つきたん

短編 月


私は、無職の寝たきりだ。


昨年に自宅も失った。

銀行のローンを焦げ付かしたのだ。


自慢のオール電化住宅だった。

芝生の庭にハンモックを置いて、休日イヤホンで大好きなショパンを聴きながら、ウトウトと揺られているのが至福の時間だった。


愛犬のミニチュアダックスは、私のお腹の上に捕まって、揺れるハンモックの上で何とかバランスを保とうと、必死な表情をしていた。

それが可笑しくて、私はいつも笑っていた。

今となっては、それも遠い昔に感じられる。


夫が借金を残して失踪してから、一切の養育費は支払われていない。

一人親として仕事を頑張って来れたのも、その愛犬とのひと時があったからだ。


だが、あの頃自覚は無かったが、本当はもう気力、体力、何もかも限界であった。


住宅差し押さえの通知でショックを受けた私は、一ヶ月間も寝込んでしまい、上司と相談して退職させてもらった。


私は泣く泣く、娘と愛犬と共に、親類のいる地方都市へと逃げ込んだのだ。


引っ越してひと月程で、愛犬は腎臓を患い、治療の甲斐なく亡くなってしまった。


病気が発覚してから、私は毎日愛犬を抱えて点滴を打ちに病院へと通った。


折角、ペット可能のマンションにしたのに。私は診察台で震えながら皮下点滴を受ける愛犬を見やりながら、そんなことばかり考えていた。

私たちの小さな新居でのお金は、愛犬の治療代で全て消え、私たち親子はろくに食べ物も買えなかった。


そんな新しい生活のスタートだった。


私は五体満足であり、あと少し頑張れば、又働けるのかもしれない。


そんな中途半端な自意識が、私を苦しめる。

私はただ、休息が必要だった。


家なし

職なし

精神を病む


そして今、病院へ通いながら、行政のお世話になって生計を立てている。

私の心は、しんどいと悲鳴を上げていた。


自室に敷きっぱなしの布団から

毎日、天井に張り付いた丸いシーリングライトを眺めている。


娘は転校した中学校を不登校になり、毎日自宅でTVアニメ三昧である。


私には少々耳障りなアニメソングが、隣接した小さなリビングから際限なく流れてくる日常だ。


正月には、娘は親類から貰ったお年玉で、新しいビデオゲームを手に入れた。

聞こえてくる明るい電子サウンドが私を益々不快にさせる。


私は毎日、布団に寝そべって、白い天井の白いライトを眺める。

昼は、レースカーテン越しの光にポッカリと浮かぶライトを、

夜は、中の蛍光灯の輪っかに、ぼんやりと輝くライトを、

消灯後は、小さなオレンジ色が端に灯る、そんなライトを、眺めている。


まるで月のようだ、と思う。


私は自分がこれから何をしたいのかを夢想する。頭に靄がかかったように答えは出ない。


そんな時、自宅に娘の高校への合格通知が届く。


受験は勿論したが、不登校でダメかもしれないと、半ば投げやりになっていた。


私は考えた。

娘が認められるのなら、私でも、私だって世の中から認められるかもしれない、と。


私は、オレンジ色の豆電球の灯る、天井のライトを、携帯電話で撮す。

それをアイコンにして、SNSを始めてみた。


月を眺めることはもう無い。


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つきたん @tsuki1207

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