無知の痛さ

すみはし

無知の痛さ

「ねえ、私の事好き?」


当時付き合っていた彼女に突然こんな質問をされて面食らったことがある。

嫌悪していたり微塵も好きでないなら付き合っていないし、適度な愛情表現はしていたつもりだった。少なくとも間違えたことはしていないはず。

じれったそうに、照れたように、不安そうに、縋るように、怒るように、悲しむように、憐れむように、彼女は小首を傾げじっとこっちを見ていた。

好きだよと一言いってしまえば済む話なのだろうか、はたまたそこから「どのくらい?」「どこが好きなの?」「どうして好きなの?」と問答を繰り返すのか、後者がやや優勢に感じ、面倒臭くも感じてしまった僕はただ一言の好きという言葉を返すのに酷く戸惑った。

世の中の女性はこんな質問を良くするとどこかで聞いたことはあるけれど、いざ自分がこの質問をされるとは思っていなかったなと自分の想定枠の小ささをひしひし感じた。

とまぁこんなことを考えているうちに彼女から先の感情に加え苛立ちや催促まで感じ始めてしまったので記憶を辿りこういう質問をされた時の答えを探す。

あぁ、そうだ。


『どうしてそんなことを聞くの?』


まずは傾聴。対話。そしてスキンシップ。これが正解だったはず。

肩に手をかけ引き寄せ困ったような笑顔を見せる。

実際なぜそんな質問をしたのか、させてしまったのか分からないし純粋に聞いてみたかったというものもある。

なぜ彼女は好きだと聞くのか、自分には何が足りないのか、自分は本当に彼女のことが好きなのか、いっそのこと全てを彼女の答えに任せてしまいたい。

彼女のその質問によって自分が彼女のことを好きだという気持ちがよく分からなくなってしまったが、そのまま考えがぐるぐると転がり自分には何者かに対して好きという気持ちを持つことができるのか分からなかった。

決して彼女のことは嫌いではないがもしかすると好きではないのかもしれないが、好きの反対は無関心というし関心が全くないわけではなく少なくとも好意的には感じていて、彼女と話すことで得られるものもあり楽しく会話も弾んでいたし、彼女から好かれることに喜びは感じていたはずなのだ。


「あ、なんか変な質問しちゃった感じ? ごめんごめん」

彼女の答えは色々と考えめぐらせていたことを全て無に帰すようなあっけらかんとしたものだった。

先程までの複雑な感情はどこへやら、からっとした笑顔を向けて後ろ手を組み体をピンと伸ばし、そろそろ帰ろうかと笑った。


次の日から彼女を見かけることはなかった。

自殺だったそうだ。

彼女の家庭環境はどうやら複雑だったらしくかなり思い悩んでいたようだとあとから人づてに聞いた。

そういえば、そういえば、彼女の腕や足には打撲痕や擦り傷切り傷瘡蓋が花を散らしたように体を覆っていたような気がするし、夜中に泣きながら電話をかけてきたことや深夜の公園に彼女をなだめに行ったこともあった。

僕はそんな傷つき泣きじゃくる彼女を美しいと感じていたことを思い出したが彼女にとってはその傷や泣き声は誰にも見せたくないもので、それを唯一見せてもいい相手に僕を選んでくれて助けを求めていたのだと今更ながらに気づいてしまった。

彼女のSOSにも近い質問に自分の返事が何より最悪手だった。

あの時僕が笑ってどんなときも綺麗な彼女が大好きだよと即座に抱きしめていれば彼女は死を選ぶ前に僕のところに飛び込んできてくれただろうか。

知らなかった、気づかなかった。そんな言葉で済ませることは出来ないと気づいた。

あぁ胸が痛い。だけど彼女の方がずっと。

最後の瞬間どれほど痛かったろう、それとも救われたのかな。

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