第2章 4話「報告」

 倭国軍が高句麗軍と新羅にて交戦し、大敗し任那まで退避したと一報がもたらされた。

 戦死者は数千に及ぶと言う。倭国からはさらに増兵が派遣されることになり、大鷦鷯は難波津で何度も兵を見送ることになった。

 そんな折に髪長媛が子を産んだ。元気な男子だった。名は大草香(おおくさか)と名付けた。大鷦鷯の中で、明らかに変化するなにかがあった。今まではなにをするにも、なにをやめるにも、あくまでも自身の意思でしかなかったが、髪長媛とわが子を守るためならば自身の意思だけではどうにもならないということを悟ったのだ。

 当たり前だが、それは民も同じなのではないのかと思い至る。それぞれに守るべきものがあり、それぞれに守るべき故郷があるのだ。そのために今、倭国の兵は異国で戦っている。おのれの命よりも尊いものがあると信じて。

 大鷦鷯は、いかに今まで自分が守られ、それに謳歌していることにすら気付かず、生きてきたのかと思い知った。そして、そのことに一度気付いた自分は、もう二度と元には戻れないということも。ただひたすら野山をかけた無垢なあの日々には戻れないと事実と、向き合わなくてはならなかった。もちろんそんな苦悩を表には出すことはなかった。仮にわれがそんな苦悩を吐露しても、誰も答えようがないことはわかっていた。ならば、そんな暇があるなら、目の前に山積している問題を早く片付けてしまった方がよい。大鷦鷯は必死に頭と体を動かした。

 ついに倭国軍が決死で百済と新羅を奪還し、高句麗軍は新羅の国境まで撤退したという朗報が伝えられた。大陸の中央でも戦が勃発し、高句麗が北方の防御に尽力しなければならなくなったというのが事実のようであったが、実質的には倭国軍の勝利であった。

 葛城襲津彦(カツラギソツヒコ)が凱旋し、スメラミコトが大隅宮まで行幸してきて迎えた。当然のごとく、大鷦鷯も同席することになった。


「襲津彦よ、よく無事に帰った。戦果と現状を報告せよ」


 久しぶりに見た父上の姿は、さらにやつれたように見えた。声にも以前のような張りがない。しかし誰も気に留める様子がないので、大鷦鷯の思い込みかもしれなかった。

 葛城襲津彦は恭しくスメラミコトの前にひざまつきくと、ゆっくりと顔をあげ報告した。


「新羅と高句麗は互いの国境にて膠着状態にあります。おそらく、高句麗の仇敵である後燕(こうえん)と、大陸中央から勢力を伸ばしてきた北魏(ほくぎ)の対応に追われ、南下政策は頓挫せざるを得なくなったのでありましょう」


 少し間をおいてから、倭国軍の戦果についても報告した。


「任那から出陣したわが率いる軍は、百済を奪還したあと、加羅の安羅軍と共にすぐ新羅に攻め入りました。新羅軍は王城に籠城を決め込んだようでありましたが、わが軍が得た情報によると高句麗に支援を求めていたということ…」


 倭国軍とは言わず、わが軍というところに葛城襲津彦の強い意志を感じた。


「高句麗軍は騎馬兵と歩兵が五万は超える大軍。しかも、すでに新羅の北辺の男居城に入っているという情報を得て、わが軍は一気に王城を攻め陥落させ占拠したのです。しばらくして、報告のとおり北の山間から野をうめつくす高句麗軍が進軍してくるのが見えました。まるで山間を流れる濁流のように…」


 一同からどよめきが起こった。大鷦鷯もあらかたは聞いていた話であったが、実際に目にした者の口から聞くと臨場感があり、緊迫した状況が伝わってきた。


「その光景を見るまでは、正直信じられない報告でありましたが、その数を眼下に見て、直接対峙しても勝ち目はないと判断しました。わが軍は陽動作戦をとることに切り替えました。一度任那に近い地まで撤退し、わが軍に利のある場所までおびき寄せようと考えたのであります。半島の南部、洛東江沿いは低山がつならる起伏が多い地で、高句麗軍の騎馬戦術がつかえないと踏んだのです。案の定、高句麗軍は新羅王城に辿り着いても出てくることはなく、しばらくは膠着状態が続きました」


 葛城襲津彦は咳払いをすると、


「その間に加羅で足止めをくらっていた弓月君(ユヅキノキミ)の一族を倭国へ渡れるよう手配を行いました」


 と、少し含みをもたせて言った。

 実はこの時、倭国では葛城襲津彦が新羅に寝返ったのではないかという情報も流れていたのである。平群木菟(ヘグリノツク)たちが任那に向かったのは、それを確認するためであり、さもなくば葛城襲津彦を討つという密令も受けていたという。その顛末は木菟から聞いていた。葛城襲津彦からすれば、決死の作戦中にそのような疑いがかかっていたことは屈辱的であったであろう。

 葛城襲津彦は淡々と話を続けた。


「年が明け、ついに高句麗軍が南下を始めたと情報が入りました。わが軍は待ち構え、谷間で伸びきった高句麗軍を一気に叩いたのであります。騎馬隊は寸断され逆走をはじめました。しかし、追撃はかけませんでした。わが軍を国境地帯の洛東江と別け、新羅に先回りをし決戦を挑もうと考えたからであります。ただ…、それが結果的にはわが軍に大きな被害をあたえることになったのであります…」


 その時の倭国軍の死者数は数千におよんだという。高句麗軍を寸断したつもりが、倭国軍の力も削いでしまったのである。前衛部隊は総攻撃を受け、百済の国境まで敗退することになる。これは明らかに葛城襲津彦の作戦の過ちであった。

 しかし、スメラミコトは葛城襲津彦を責めず、罪には問わなかった。今後も半島情勢に注力するように指示をするにとどめた。

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