第11話 貴族の世界・3


 馬車が到着してすぐ、カオルは帰ってきた。


 庭に「すっ」と、気配もなく薄い緑のドレスの女が立つ。

 アルマダが「はっ!」と剣を抜きかけた所で、マサヒデが止めた。


「カオルさんです!」


 アルマダが剣を収めると同時に、ば! とドレスを脱いで、いつものメイド姿が現れた。


「只今戻りました」


「様子はどうでしたか」


「異常はありませんでした。外も中も警備は厳重です。

 私が見た限り、忍やその類の気配は感じられませんでした。

 ホテル周辺も探りましたが、怪しい輩は見当たりませんでした」


 中も。

 その厳重な警備の中に入って確かめてきたのか・・・


「レストランはどんな様子でしたか」


「夕刻からは貸し切り、と。

 我々の関係者以外は、調理係と、給仕のみになるかと」


「貸し切り、ですか」


「はい。続くロビーも閉まりますので、外部からの潜入は難しいでしょう。

 今、怪しい輩が潜入していなければ、完全に安全だと思われます。

 用意された食材への、毒物混入などの形跡は見当たりません。

 調理係にも、怪しい者は見当たりません」


 カオルは厨房まで調べてきたようだ・・・


「なんというか、丁寧に調べてきてくれましたね・・・」


「当然です」


「さすがですね。サダマキさんのような方がおられれば、我々も安心ですよ」


「恐縮です」


「あ、そういえばカオルさんは、この後はどうするんですか?」


「護衛を。潜入口も確保してあります。中もご安心下さい」


「助かります。あ、そうだ。せっかくですから、レストランで何か包んでもらいますか」


「ははは! マサヒデさん、食堂や居酒屋じゃないんですから!」


「いや、カオルさんだけ美味しい物を食べられないのとか、ちょっと」


「うふふ。マサヒデさんたら」


「あ、高い所って、そういうのダメなんですか?」


「まあ、ダメってことはありませんが、今回はやめておいて下さい」


「そういうものですか? うーん・・・あ、そうだ!

 カオルさん。帰りに三浦酒天でお弁当を買ってきます。あそこの弁当は絶品ですから」


「・・・は。ご主人様のご厚意、感謝致します」


「ふふふ。ハワード様、お聞きしました? マサヒデ様ったら、こうやってカオルさんまで口説いてるんですよ」


「ははは! マサヒデさんも手が早いですね!」


「昨日の夜なんて、もうカオルさんたら目を輝かせちゃって・・・」



----------



 カオルが戻り、マサヒデも何とか話に入ることが出来た。

 そして、ついに時が来た。


「さて、そろそろですか」


「そうですね」


「はい!」


「マサヒデ様。香水は着けましたか?」


「ここに」


 ごそごそと懐から小瓶を取り出す。


「マサヒデ様、香水はここで着けておいて下さいね。

 一滴だけ垂らして、服にそっと」


「一滴だけ・・・」


 蓋を開けて、そっと一滴。

 金貨120枚の、一滴・・・マサヒデの手が震えそうになる。


「みぞおちの少し上あたりに着けておくと良いですよ」


 指先に垂らした一滴を、言われるまま服にぐっと押し付ける。


「もっと軽く。広げるようにして」


「はい、こんな感じですか」


 マツがマサヒデの前に、目を瞑って立ち、すん、と軽く鼻を鳴らす。

 いつもと違うマツの姿に、思わず赤面してしまう。


「うん。良いでしょう」


「では、参りましょうか。ご令嬢、楽しみですね。どんな方でしょう」


「良い方だといいですね。あのお手紙、すごく純な感じがして・・・」


 マツはさっと長めのベールを被り、鼻のあたりまで顔を隠した。

 外に出る時に、顔を見られないようにするためだろう。


「あの手紙には、私も心が動かされました。もし私宛だったら・・・

 きっと、使いに返事など不要、今すぐ、と、そのまま馬を飛ばしていましたよ」


 からからから・・・


「・・・」


 門の前に止まった馬車は、豪華な意匠のもので、夕日を浴びて燦然と輝いていた。


 向かいのギルドから、冒険者達が何事かとこちらを覗いている。

 通りを歩いていく人々も、ちらちらと目を向けながら歩いていく。


 馬車の扉の前で、背の高い、これまた高そうなスーツを着た初老の男が頭を下げている。

 馬車に近付くと、男が扉を開けた。


「お待ちしておりました。さあ、どうぞ」


 アルマダが乗り、マツに手を伸ばす。

 マツがそれを握り、馬車に乗る。

 続いてマサヒデが乗り、静かに扉が閉められた。


 中は広く、椅子はソファーのようにふわふわしている。

 小さな机の上に、皿くらいの幅のガラスのコップのようなものがある。

 中には砕かれた氷と、おそらく酒であろう瓶が突っ込んである。


「馬車なんて久しぶり! なんだかわくわくしちゃいますね!」


「私もですよ。たまに故郷に帰った時に乗るくらいでしたからね」


「・・・なんだか、私は落ち着きません」


「マサヒデさん、もっと堂々として下さい。初めてのパーティーで緊張するというのは分かります。でも、そんなにもじもじしてたら、ご令嬢もがっかりしてしまいますよ」


「そうですよ。あなたは私の夫なんですから。妻に恥をかかせないで下さいね」


「・・・善処します」


「マサヒデさん。よく聞いて下さい。ご令嬢は、試合の時のあなたの姿を見て、あなたなら、と受け入れてくれたんですよ。試合の時を思い出して下さい。背筋を伸ばし、身体の力を抜いた、自然体の構えです」


「うーむ」


「以前、ギルドに交渉に行った時にお話したことを覚えていますか。

 交渉も剣と同じ、と。今回も似たようなものです」


「いや、交渉事はまだ分かるんですけど・・・」


「うーん、そうですね・・・交渉は、いわば真剣勝負。

 パーティーは、知らない流派との交流稽古、くらいの感じです。

 見たことのない技を楽しむくらいの感じで、ただし油断はせず、くらいです」


「ふむ? 知らない流派との交流稽古ですか」


「ええ。そんな感じです」


「そういえば、今朝、冒険者の方々と稽古をしました。トミヤス流も実戦流派、と謳っていますが、冒険者の方々こそ、正に実戦で鍛えた、という・・・道場の稽古では味わえなかった、いい経験が出来ましたし、楽しかった」


「そんな感じで臨んで下さい。いい経験になります。きっと楽しめます」


「なるほど・・・分かったような?

 カオルさんも、それを知ってて稽古に誘ってくれたんでしょうか?」


「そうかもしれませんね。サダマキさん、気が利く方のようですし」


「マサヒデ様。稽古をつける時に、あなたが縮こまっていたら、稽古にならないでしょう? もっと背筋を伸ばして、びしっとして下さい」


「確かにそうですけど・・・うーん?」


「あなたはまだ経験がないから、見た目に驚かされているだけです。実際に行けば、なんてことのない、見た目が違う飲み会です。ま、今回は見合いですけど」


「・・・」


「とにかく、美味しい食事とお酒、ご令嬢とのお話を、普段通りに楽しんで下さればいいんですよ」


「う、酒ですか」


「ははは! 先日の試合の後の打ち上げで、散々呑まされていましたね!」


「ええ・・・あまり、呑みたくはないですね」


「まあ『武術家として酔わないように心掛けていますので』とか言って、適当に誤魔化しておけばどうです」


「でも、少しくらいは呑んであげて下さいね。折角、ご用意して下さってるんですから」


 喋っていると、すぐに馬車は止まった。

 同じ町なのだ。大して時間が掛かるものではない。


「着きましたか」


 す、と扉が開き、


「お待たせ致しました。ホテル『ブリ=サンク』に到着致しました」


 先程の初老の男が頭を下げている。


「ありがとうございます」


 今度はマサヒデが先に降り、アルマダが乗った時のように、マツに手を伸ばしてみた。

 マツはあら、という顔をしてから、にっこり笑って、マサヒデの手を取った。


「嬉しい」


 アルマダが降りてきて、笑った。


「ほう。マサヒデさんも飲み込みが早い。さて・・・」


 アルマダが上着を着る。


「皆様、参りましょうか」


 遠くからも見えていたが、近付いて見ると想像以上に建物は大きかった。

 はあー・・・と、マサヒデが見上げていると、


「マサヒデさん。行きますよ。驚いてないで、びしっとして下さいよ」


「いや、無茶言わないで下さいよ。こんな大きな建物、生まれて初めて見るんですから」


「帰りに好きなだけ見て下さい。お待ちしてるんですから」


「あ、そうですね。待たせてるんでした。行きます」


 落ち着いてみて、歩きながらそっと周りに目を配ると、そこらに警護兵がいるのが分かる。カオルの言った通り、たしかに厳重だ。


 だが、よく見ると鎧が統一されていない。紋章も入っていない。

 傭兵か、冒険者だろうか。


 マツとアルマダが、入り口で待っている。

 あれは受付の係の者だろうか。早足で向かう。


「こんにちは。私、マサヒデ=トミヤスです。今日、ここのレストランで約束があって来たんですが」


「お待ちしておりました、トミヤス様」


「今回、立会人として参加致します、アルマダ=ハワードです」


「同じく立会人、この町の魔術師協会長の、マツ=マイヨールと申します」


「ハワード様。マイヨール様。ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」


 ドアが開くと、天井まで吹き抜け。

 大きなシャンデリアが下がっていて、窓からさす夕日をキラキラと反射している。

 また、はあー・・・と見上げそうになったが、ぐっとこらえ、着いて行く。


 ロビーには数人の給仕。階段の上に人はいない・・・

 と、癖で周りを鋭い目で見渡してしまう。

 見ただけでは分からないが、どこかにカオルもいるはずだ。


 案内人が大きな両開きのドアの前で止まり、振り向いた。


「ようこそ。ブリ=サンク・レストランへ。こちらでお待ちしておられます。

 皆様、どうぞ、良い時間をお過ごし下さい」


 そう言ってドアを開け、横に下がって頭を下げた。


「う!」


 目の前に広がった光景に、マサヒデはまた驚いて足を止めてしまった。

 100人は軽く入りそうな広い部屋。

 真ん中に、テーブルがひとつ。

 がらん、として何もない。


 そのたったひとつのテーブルに、あの銀髪の娘が座っている。

 銀髪の娘はマサヒデを見て、ぱっと顔を上げ、がたっと音を立てて立ち上がった。

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