不安と思考停止

無名の人

不安と思考停止

以前NHKの番組で、医療の専門家たちがコロナ禍初期を振り返って、「不安と思考停止」に陥っていたことを反省していた。(少なくとも私はそのように受け止めた。)専門家でも未知の疾病に対する不安のあまり思考停止状態に陥ってしまうのは人間として自然なことかも知れない。実際、学校関係者・行政関係者を含めて社会の至る所で、程度の差こそあれ似たような経験をした人も多いと思う。あえて乱暴な物言いをするならば、主に「大人」が犠牲者になると言われた未知の疫病を前に、断定的な言動(または無言の圧力)による二項対立が蔓延して社会の分断を招いた結果、最大の犠牲者は子どもと若者(特に大学生)であったと言えるのかも知れない。


コロナ禍の最中の(振り返ってみると)滑稽なまでに愚かな行動から、喫煙・飲酒問題への(毎年数兆円単位の税負担を期待する一方で) あまりにも不寛容な社会の雰囲気まで、構図は似たり寄ったりかもしれない。さらに、911テロの後のアメリカ社会、プーチンの戦争(ウクライナ侵攻)直後の国際社会、統一教会問題やジャニーズ問題における(数十年間にわたる黙殺の後の)ヒステリックなまでの手のひら返しなど類似の例は枚挙にいとまがない。直近の事例では、2023年10月以降のネタニヤフ政権(イスラエル)による「ジェノサイドに近い」(国際法を恣意的に解釈した)傍若無人な振る舞いの後の欧米先進国の腰の引けた反応と「国際的孤立」がある。(人口でも経済規模でも近年存在感を増しつつあるグローバルサウスの国々からは世界の見え方が全く異なるようだ。)


動物行動学的に解釈するならば、ヒトは経験で対処不能な状況に陥ったとき、不安のあまり思考を停止して(考えることを放棄して?)生存本能に従った「デフォルト・モード」の行動に走りがちなようである。本能対本能のぶつかり合いになると、「武力衝突であれ言葉のぶつけ合いであれ」、作用反作用の法則以上にエスカレートする一方だ。一国の責任ある立場の人々から(折に触れて)「根絶やしにしてやる」などという前近代的言辞が出てくるようだと、それと同等またはそれ以上のリアクションを引き起こすだけで、双方が納得できる「最終決着」からは遠のくばかりであろう(負の無限大に発散?)。(火事場泥棒のように騒ぎに便乗して本家の欧米諸国だけでなく中国にまで飛び火しつつある反ユダヤ主義の類は許容されるべきではないが)世界的に若い世代を中心に、ジャニーズ問題と同様に数十年間も黙殺(あるいは過小評価)されてきた「パレスチナの人々に対する重大な人権侵害」に注目が集まり共感が広がり始めたことは特筆に値するだろう。(年齢を重ねれば理性的な人間になれる訳でもないということか?)


訳知り顔に政治的・軍事的駆け引きを弄するよりも、「優しさ・正直さ・遵法精神・努力」に基づき多様性の相互承認と社会的包摂を目指す方が「急がば回れ」になるような気もする。何でもかんでも「水に流し」たり、「禊(みそぎ)や祓(はらい)」や「金の力」で無かったことにされても困るが、万事100%を追求したり(原理主義)、「未来永劫忘れない」などと「正しすぎる」態度をとられると、必ずどこかで「不安と思考停止とむき出しの本能モードの行動」が新たに生み出されて「無限ループ」に陥りそうではある。そのような一種の「精神的ハリネズミ」状態に陥ると、周囲から見て相手の「気の毒な境遇」を頭では理解できても「なんとなく怖い」ので、真の共感や和解には至りにくいような気がする。


砂漠の一神教を信じる人々の間の争いだから外野の日本人が下手に口出ししない方が良い(触らぬ神に祟りなし)との「無難な立場」も理解できなくはないのだが、「七福神の精神」 (驚くべき宗教的寛容さと異国の神々を含めた他者へのリスペクト) や「おたく文化」を誇る「のほほん」とした日本人が貢献できることも多いはずだ。


2023.11.15

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