第58話 番外編3:吸血鬼の歴史学者
「まさか侵入者の正体が吸血鬼だったとはなぁ」
「しかもあっさり捕まったらしいですよ」
「命乞いをしたって話も聞いたぞ」
「……そいつ、本当に吸血鬼なのか?」
「銀の刃に触れた指先が塵になりかけたから間違いないってさ」
「なら益々分かんねぇな」
「多分ここにいる皆が同じことを思ってますよ」
一呼吸置いた後、若い狩人たちは同じ言葉を口にする。
「何であいつは図書館にいたんだ?」
──同じ頃、牢に入れられた吸血鬼の男は怪訝な顔を審問官たちに向ける。
「図書館で何をしていたか、なんて決まっているでしょうに。本を読んでいたのですよ」
「わざわざ深夜に忍び込んでいた理由は?」
「面倒事を避けるためですよ。アナタたち人間は夜遅くに活動しない、と聞き及んでおりましたから」
「……盗んでしまおう、とは考えなかったのか?」
「そんな下賤なことをするくらいなら妖精の着せ替え人形になることを志願しますよ」
暫し顔を突き合わせた後、審問官たちは肩を竦める。
「じゃあ、歴史書ばかりを読んでいた理由は?」
「意外に思われるかもしれませんが勉強をしていたのですよ」
「吸血鬼が、」
「歴史の、」
「勉強……?」
「──ああ、やはりそういう顔をなさる。同族に何度と無く嗤われていた頃に比べたら幾分もマシですがね」
愚痴を溢す吸血鬼の男に対し、審問官の一人が首を傾げたまま訊ねる。
「吸血鬼が勉強をするのは珍しいことなのか?」
「余程のことが無い限り吸血鬼は学ぼうとしませんよ。元人間の吸血鬼はそうでもありませんがね」
「その言い草だとお前は違うってことだな?」
「夜の闇から生まれた純正の吸血鬼ですよ、ワタクシは」
どこか誇らしげに吸血鬼の男は胸を張る。
「……で、人間の歴史を勉強して何をするつもりだったんだ?」
「同じ物を作ろうかと」
「同じって……まさか歴史書か?」
「ええ、吸血鬼の歴史書です」
審問官たちが困惑する中、吸血鬼の男は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「アナタたちにとっても有益な話だと思いますよ?知見を広げられるわけですからね」
「……どうする?」
「どうするも何も、上の判断を仰ぐ以外に選択肢は無いだろ」
「そりゃそうだ」
それから暫く経った後、教会の上層部は歴史学者たちに協力を要請した。
吸血鬼の歴史を知ることが出来るまたとない機会に食い付いたごく数名がその要請に応じ、吸血鬼の男と対面した。
熱心な勉強家である吸血鬼の男を歴史学者たちはいたく気に入り、歴史書を作るにあたって必要不可欠となる知識を次々に提供した。
あまりの白熱ぶりに監視役を兼任する審問官たちは一抹の不安を抱いたが、幸いにも万が一の事態が発生することは無かった。
吸血鬼の男と歴史学者たちによる勉強会が十数回に及んだある日、遂に吸血鬼の歴史書制作が始まった。
「まずは紀元……始まりに相応しい出来事が起きた年の選定を行うところからやるのでしたね」
暫し考え込んだ後、吸血鬼の男は徐に口を開く。
「やはり最初の女王吸血鬼イザベラがその座に就いた年こそが紀元に相応しいでしょうね」
「誕生した年、ではないのかね?」
「彼女がいつどこで生まれたのかを知る者はいませんし、彼女が女王吸血鬼の座に就くまでの間にどれだけの年月が経過していたかを正確に把握してる者もいませんので」
「……なるほど」
「ちなみに
「ええと確か……この頃だったかと」
吸血鬼の男が指差した項目を一読した後、歴史学者の一人は眉を顰める。
「フルモアーサ婦人が失踪したのと同じ年に女王吸血鬼という地位が作られた……一見すると同一人物によるもののように思えますが……」
「血染めの薔薇を最初に作ったかの貴婦人とイザベラは別人ですし、この二人の関係は被害者と加害者のそれですよ」
「ほほう……いやちょっと待った、フルモアーサ婦人が血染めの薔薇を作ったとはどういうことかねキサントス殿!?」
歴史学者の一人が早口で叫んだ内容にキサントスと呼ばれた吸血鬼の男は首を傾げる。
「もしや御存じではないのですか?かの貴婦人が永遠の美を得るために禁書を紐解き、血染めの薔薇を作ったという話はアナタたち人間が魔の存在と呼ぶ者たちの間では有名な語り草なのですが……」
「申し訳ないが初耳だ。フルモアーサ婦人が歴史に名を残すほどの有名人になったのは誰もが羨むその美貌と彼女が起こした奇怪な事件が理由だという見解が定説でね」
「奇怪な事件、と言いますと」
「突如凶行に走った挙げ句、忽然と姿を消した。稀代の美女が当事者であることを除けばごくありふれた事件だよ」
溜め息混じりに言った後、歴史学者の一人は姿勢を正す。
「フルモアーサ婦人の話はまた今度することにして、本来やるべきことに専念しましょう」
その後も何度か横道に逸れたり、思わぬ行き詰まりに苦しめられたりすることはあっても作業そのものが止まることは無かった。
「イザベラの時代を
「
「いやはや全く」
そして数年の時を経て一冊目の歴史書が完成した。
今後も歴史書を製作して
以上の二つを守ることを条件にキサントスは釈放された。
新たな歴史書が寄贈される度に歴史学者たちは歓喜し、研究に一層励んだ。
人間と吸血鬼、常ならば敵対関係にある二種族が歴史の編纂という共通の目的を果たすために協力した事実が歴史書に記されることは無かった。
──その理由は推して知るべし。
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