夏の残り香とロンリーガール。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。
黒子さんがゲームセンターに現れることはなかった。
彼女は、あの日を境に僕の前から姿を消してしまった。
彼女との再会を果たせないまま夏休みは終わって、僕は彼女のいない日常に戻っていった。
そんなある日の放課後。
帰宅しようとしていたところを、僕は東雲さんに呼び止められた。
「デートしなさい!葛谷!」
「誰と」
「小鳥とに決まってるでしょ!……てか、なんでそんなに余裕そうなのよ」
「……別に余裕はないよ。いちいち感情を起伏させるのが面倒なだけだよ」
言うと、東雲さんは困惑しつつも背後の物陰に視線を送った。
そこには、壁に身を隠してこちらを覗く小鳥遊さんの姿がある。
こちらに視線を移して、東雲さんが僕の耳元で囁いた。
「花火大会のとき、小鳥にキスされたんでしょ?黒井さんのことが好きなのは理解できるけど、あの子の気持ちも汲んであげて。今日はその埋め合わせってことで」
「……わかった。いいよ」
頷くと、東雲さんは両手で大きく〇を作って小鳥遊さんに向けた。
それを確認した小鳥遊さんは、ぱたぱた上履きを鳴らしながらこちらに歩み寄ってきて、深々と頭を下げる。……なんだこれ。
「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
何か段階がおかしい気がする。
指摘すべきか悩んでいると、顔を上げた小鳥遊さんの耳を奪って、東雲さんが耳打ちしていた。その顔は真っ赤で、今にも爆発しそうになっている。
会話の内容は聞こえてこないが、小鳥遊さんの反応のせいで大方の内容の予測は出来た。
「うん。うん。大丈夫だよ。兄さんも春ちゃんとお出かけするの楽しみにしてるって言ってたし。二人で楽しんできて」
「小鳥遊さん。聞こえてるよ」
「ちょ……!小鳥!?あんたわざと!?無二の親友に恥かかせるんじゃないわよ!」
「そんなことないよ!」
言い合っている二人を他所に、下駄箱からスニーカーを取り出す。
靴を履き替えていると隣に小鳥遊さんも腰を下ろしてきて、ほんのりと甘い香水の香りがして、僕の視線を奪っていった。
小鳥遊さんと目が合って、彼女は照れくさそうに、
「黒井さんがあんまり綺麗だから嫉妬しちゃった。お化粧も、香水も、最近色々試してるんだよ。……この匂い、葛谷君はどう思うかな」
「……いいと思うよ」
黒井さんと同じ香りの香水だった。
そのせいか、脳裏に彼女の姿を思い出してしまう。
もう思い出さないと決めたはずなのに。
何の連絡もなく。何の相談もなく。
忽然と消えた彼女を、僕は未だ許せていなかった。
「葛谷君、最近放課後はどうしてるの?あのゲームセンターにはまだ通ってるの?」
校門を出てバス停に向かって歩いていると、小鳥遊さんに問いかけられた。
僕よりもほんの少し身長の低い彼女を見下ろしながら、二学期に入ってからの放課後の行動を僕は思い返した。
思えば、もうゲーセンには行かなくなっていた。
それは目的だったはずの黒子さんが、あの場にはもういないからに他ならない。
「最近は漫画喫茶とカラオケが多いかな。……ゲーセンにはもう用がないし」
「そうなんだ……」
何故か彼女は落胆している。
怪訝な視線を向けると、すこし暗い顔と共に小鳥遊さんは胸中の思いを告げた。
「夏休みに黒井さんとクレーンゲームをしているのを見た時、すごく楽しそうだったから。葛谷君はゲームセンターが好きなのかなって思ったんだけど。違ったかな」
「嫌いではないよ。ただ、もう用がないだけで」
「じゃあ用があったら、一緒に行ってくれる?実はね……」
そう言って小鳥遊さんは携帯に表示した画像を僕に見せてきた。
それはいつか黒井さんが熱弁していたアニメのぬいぐるみ。
「これ、今日から出るから欲しいんだ。一緒に行ってくれないかな」
「……うん。いいよ」
そうして僕たちはゲームセンターに向かうことにした。
あのゲームセンターに入るのは、夏休みが終わって以来。
実にひと月ぶりの事だった。
―――
ゲームセンターに入ると程なくして。
「なんでこんなにアーム弱いの!?ちょ、絶対におかしい!なんでそこで落ちるのよ!あああ!!!私のキトサンブラックちゃんがあああ!?」
覚えのある悲鳴が聞こえた。
僕と小鳥遊さんは目を見合わせ、クレーンゲームの筐体に張り付いて喚いている女性を見やった。白い目で。
相変わらずな風貌に、相変わらずな情緒の起伏。
そこにいるのは間違いなく黒井黒子その人で。
知らず、僕は彼女に歩み寄っていた。
「……黒子さん。何してるんですか」
声をかける。
と、一瞬肩を跳ねさせた彼女は壊れた機械のように僕の方を振り向いてきた。
「ひ、人違イジャナイデスカ……?クロ……クロ?ゴメンナサイ、私日本語ワカラナイダカラ……」
「ちょっと来てください」
彼女の腕を鷲掴んで、僕はゲームセンターを出た。
はじめは抵抗する素振りを見せた彼女だが、次第にそれもなくなっていた。僕と黒子さんの後を追って小鳥遊さんも外に出て、僕らは三人で近くの運動公園のベンチに腰かけた。
「黒子さん。どうして急にいなくなったんですか。あの斎藤って男、家に女の人を監禁してて捕まったんですよね?なのにどうして……」
あの日僕を殴って、黒子さんを連れ去ろうとした斎藤という男はその翌日に警察に逮捕されていた。
あの男の存在が、彼女が僕の前から姿を消す原因になったとは考えにくい。
もっと他の原因があるはずだ。
探りを入れてみるが、黒子さんは黙り込んだまま僕の質問には答えようとしない。
「黒子さん……!答えてくださいよ!心配してたんですよ!?」
「……ごめん。そのことは謝るよ。でも、仕方なかったんだよ。私も、もうこれ以上君に甘えられなかったから」
曖昧で不明瞭で、真相を隠そうとする言葉。
それが何故か異様に腹立たしくて。
僕は、彼女に詰め寄って子供のように言い放っていた。
「なんで隠すんですか!教えてくださいよ!僕は、黒子さんともっといたかったのに……!黒子さんがいないゲームセンターに来て、僕が感じた虚しさを分かってるんですか!?」
自分の感情だけを押し付けるそれは、間違いなく子供のやることだった。
彼女はきっと呆れている。
伏せられた顔の影で、唇が微かに動いている。
その頬を、一筋涙が伝っている。
「……いま、私がなにを思ってるのか。君にわかる?」
「はい……?」
震える声で紡がれた言葉を理解できずに首を傾げた。
黒子さんは肩ごと揺らす呼吸をして、これまでため込んできた想いを全て吐き出すよう嗚咽のように言葉を並べた。
「嬉しいんだよ。これ以上ないってくらいに……。誰かに必要とされてるって、思いこんじゃってるんだもん。今の私が受け入れられてるんだって、私は安心してる」
それの何が悪なのか。わからなかった。
どうして涙しなければいかないのか。脳で幾ら思考しても理解できない。
彼女の言葉は以降も続いた。
「だから、変わらなくちゃって思ったのに。そんなこと言わないでよ……。私は一人で生きていけるようにならなくちゃいけないのに、君に依存しちゃってる自分がいたから……!だから——」
僕の前から姿を消した。
納得しようとした。
一人で生きる力を付けなければいけないと、彼女が自分で選んだ答えだから尊重しなくてはいけない。そう思った。
思考ではわかっていた。
脳では理解していた。
そのはずなのに、口は勝手に動いていた。
「だったら僕も同じですよ。いつの間にか、黒子さんと居るのが……。いや、誰かといるのが僕にとっての当たり前になってたんですから。依存してたのは僕の方です。……僕の方こそ、黒子さんに甘えてた」
言葉にした途端、黒子さんは胸を抑えて泣きじゃくった。その手を隣の小鳥遊さんが握っている。彼女はいまにも泣きそうな顔をしているのに、必死に嗚咽を堪えていた。
黒子さんから視線を外して、深呼吸する。
たぶん、僕たちは長く一緒に居すぎたのだろう。
「……もう、会うのはやめましょう。黒子さん。たぶん、それがきっとお互いの為です」
傍らで泣きじゃくる声は一層激しくなった。
けれど、それがきっと最善の手だから。
彼女が新しいスタートを切る為に必要なことなのだとしたら、僕はもう彼女に関わるべきではない。
そう決意した結果の選択だった。
「黒子さん」
「なに?」
夕暮れのなか。
背かに呼び掛けると、目を腫らした彼女は誤魔化すように笑っていた。
これだけは、彼女に伝えなければいけない気がした。
「僕、もっと人と関わってみることにします。次に会うときに、僕が友達を作っても知りませんからね」
彼女はどんな反応をしたのだろうか。
すぐに背を向けてしまったからわからない。
けれど、その右手はひらひら揺れていて、
「口だけじゃないことを祈ってるよ。少年」
そうして、彼女は僕の前から去っていった。
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