クレーンゲームと明日の約束。
「ロウガ君は花火大会とかいかないの?」
話題を振ってきたのは、黒子さんの方からだった。
ゲームセンターの一階。クレーンゲームのアームを操作する片手間で。
彼女は、両手が景品でいっぱいになっている僕に向かって、不意にそんなことを問いかけてきた。
たまには気分転換にクレーンゲームにでも興じようと彼女が言い出したかと思うと、たった二千円程度で僕の腕には、ぬいぐるみが六つと菓子の詰め込まれた袋が三つぶら下がっていた。はやく帰りたい。心底そう思った。
「そんなことどうでもいいでしょ。ていうかこれ、重いんですけど」
「頑張って。男の子でしょ」
言っている間にまたひとつ。ぬいぐるみが取り出し口に転がり落ちた。
手に取った黒子さんは感触を楽しんだあとで、僕の抱えているぬいぐるみの隙間にその猫のぬいぐるみもねじ込まれた。
ほんの三〇〇円程度で欲求を満たした彼女は、次の獲物を探して周囲のクレーンゲームの景品を見回している。
「今度はあれね」
赤いネイルが塗られた指が示した先にあるのは、昨今流行している競争馬をモチーフにした美少女たちの賭博合戦を描いたアニメのぬいぐるみだ。何故そんな作品が流行してしまったのかは謎だが、聞いた限りでは賭博に人生を狂わされていく描写のリアリティがずば抜けているらしい。俄然流行の理由が分からなかった。
足早に歩いて行く黒子さんの後を追う。
筐体の前に辿り着くなり、黒子さんは目当てのぬいぐるみを指さして、
「スペシャルウェークちゃん知ってる?可愛いんだよ。賭けで負けそうにあったらインチキするのが常套手段でね、先輩にいつも怒られるの。それでね……」
うんたらかんたら。
聞く限り、そのアニメにはろくでもなししか存在しなさそうなので、途中からは聞き流すことにする。類は友を呼ぶというのだし、彼女なりにシンパシーを感じているのだろう。僕には理解できないが。
思っていると彼女のオタク語りは終わっていて、筐体に真剣な眼差しを向けながら彼女はアームを操作していた。
待っている間、手持ち無沙汰になってしまって辺りを見回した。
「……?」
ふと、視界に覚えのある人間の姿が飛び込んできた。
編み込んだ黒髪が可愛らしく、愛嬌に満ちた童顔のワンピースの似合う清楚という言葉を纏った少女。小鳥遊さんがクラスの一軍と呼ぶべき活発な女子生徒数人と共にいた。その笑顔は、どこかぎこちなく見えた。
その姿が見えなくなるのを見送って安堵と共に黒子さんに向き直る。
「ちょっと。なに余所見なんかしてるの。いまは私とデート中でしょ」
そこに居たのは、特大の耳の生えたぬいぐるみ。黒子さんの声に合わせて手足がばたばた忙しなく動いている辺り、あくまでそれはぬいぐるみの台詞ということなのだろう。
「ガキくさ」
「ちょっとそれは聞き捨てならないなぁ!?二階行くか!?ぼこしてやるよ若造!」
煽るとぬいぐるみの裏から黒子さんが生えてきて、怒号を放った。
抱えていたぬいぐるみたちで耳を塞いで凌ぐ。
怒号は一階の喧騒にも負けず劣らずの声量で、辺りにいた店員がこちらに鋭い視線を送ってきた。古い筐体が多く人気のない二階で騒ぎ立てる分には構わないが、一階では話が違うらしい。
出禁にされるのも困るので、謝罪して彼女を見やった。
目が合うと、どこか清々しく彼女は笑っていた。
―――
収集したぬいぐるみを、その日は偶然にも車でゲームセンターを訪れていた黒子さんの車の後部座席に並べていた。
車の後部座席にはカーテンが掛けられていた。シーツと枕もあって、車内だというのに妙な生活感のある空間だった。洗濯籠には黒子さんがいつか着ていた上着とそして、女性ものの下着があった。
「……あの、黒子さん。これは」
ぬいぐるみを押し込みながら呻くと、運転席を掃除していた黒子さんが肩越しに僕を見やった。
女性ものの下着を直視できなかった僕が指差した先を追い掛けて、洗濯籠が剥き出しになっていることに気づいたらしく、
「ごめん!ごめんね!そういうつもりじゃないから!」
ひっくり返る勢いで後部座席に手を伸ばし、洗濯籠を抱え上げて助手席に叩きつけた。その山の中から、はら、と一枚黒い布が落ちる。
「え」
座席に掛かったのは、男性ものの下着だった。
思考が凍りつく。
原因は分からないが、なぜかその瞬間僕はなにひとつ思考することができなくなってしまっていた。
対して黒子さんは、
「これはあれだよ!女ものの下着ってすごい締め付けられて気持ち悪いからさ!寝る時に履いてるの!別にあれで使おうとか、誰かの忘れ物とか。そんなのじゃないからね!」
大声でまくし立てて、下着を洗濯籠の奥に突き刺していた。その上に向かって、彼女はこれでもかと消臭剤を吹き付けている。目は、涙ぐんでいた。
頭の上から湯気を立てている黒子さんとは対照に、僕はまだ固まったままだった。
そんなこちらの様子を見かねてか、黒子さんは深呼吸をした後で告白した。
「実は昨日、住んでたアパートを追い出されたんだ。しばらくは車で寝泊まりするしかなくてさ。……ごめんね、こんな見苦しいとこ見せて」
「……追い出されたって。どうして」
「家賃滞納してたんだ。ずっと。仕事行ってなかったし」
深い、虚ろなため息と共に彼女は吐き捨てた。
中学生相手に、決して大人が見せてはいけない暗い表情をしていた。
その所為で、つい口が滑った。
「家に来ますか。狭いアパートですけど、母さんに説明すればきっと……」
我ながら幼稚な発想だった。
困っている人がいたから。それが我が子の顔見知りだから。と、見ず知らずの赤の他人を家に招き入れることを許可する親が何処にいる。
それに相手は無職で、成人している。息子によからぬ事を吹き込んでいるのではないか。
そんな疑いの目を向けられることを第一に懸念できなかったのは、多分この時の僕がいつもよりも冷静ではなかったからだ。
目を丸くして黒子さんが言った。
「だめだよ。そんなこと。出来るわけないし、君に悪いよ」
彼女は一層表情を暗くした。励ますつもりで向けた言葉は、逆に彼女の心に影を落としてしまっていた。
でも、と否定が口に出かけたけれど、それ以上何も言えなかった。
それが歯痒くて。悔しくて。
僕が大人だったなら、と。
まだ幼稚なこの身体を、僕は初めて呪った。
―――
どう彼を誘えばいいんだろう。
ゲームセンターの二階の窓から。車から降りてくる葛谷君とお姉さん——黒井さんって兄さんは言ってたっけ——の姿を眺めていた。
すると不意に、隣から声がした。
「あれはヤることヤってるね」
「え!?そうなの!?」
「諦めなよ。小鳥。相手が悪すぎる。あの人、大人の色気むんむんだし、おっぱいおっきいし。私ら中学生には勝てないよ」
「そんなぁ……」
梅雨の終わり頃から不意に葛谷君が帰るバスが同じになったから、もしかしたら何か進展があるのかもと期待していたのに。
私が落胆していると、長く癖のない茶髪と澄んだ翡翠色の双眸をしたその子は私の頭を撫でてきた。
「いつまでも幼稚園と同じ扱いしないでよ、春ちゃん」
「抵抗しないってことはまんざらでもないんでしょ」
よしよし、と頭を撫でる手を止めない春ちゃんを他所に、私はゲームセンターに入って来る二人をしっかり観察する。どんな会話をしているのかは分からないけれど、葛谷君があんなに人と話しているのを私は初めて目の当たりにした。
観察しているだけで、胸がずたずたに裂けてしまう気がした。
「いつから葛谷がここに通ってるって気づいてたの」
「……夏休みに入る前から。彼が放課後何してるのか気になって」
「で、尾行した挙句に気づいたんだ。葛谷が大人のお姉さんと遊んでるのに」
「……はい」
もう一月ほど前になる。
葛谷君にバレないように変装までして後を追いかけたのに、彼はこのゲームセンターに入るや否や、さも当然のように黒井さんと話してゲームセンターの二階に上がっていった。
絶対に付き合っている。
そう確信してしまって、私は夏休み前半のほとんどをベッドの上で過ごした。
傷心した自分をいくら慰めても何も変わらないと思い至ったのは、つい数日前のこと。
その日。黒井さんと一緒にいる葛谷君を見つけて、また心が折れかけた私を見かねた兄さんが彼に声を掛けてくれなかったら、きっと今頃私はベッドに籠っていたと思う。
葛谷君と黒井さんが付き合っていないと知って、まだチャンスはあると思っていたのに。
二人が入った車が激しく揺れるのを見て、春ちゃんが放った一言が私の淡い希望を打ち砕いていた。
「もうだめなのかな……やっぱり、胸が」
「そうね。結局、男は胸と顔しか見てないのよ」
言いながら、お互いの胸を見やった。ない。皆まで言わずとも、私たちはないことを互いに理解していた。
ずぅん、と。重たい空気が落ちる。
「ハル~!ゲーセン飽きたし、カラオケ行こ~!委員長も来るでしょ?」
二階フロアを貫く声量で、すこし低めな女の子の声がした。多分、クラスで一番活発な秋山さんだと思う。活発で先生たちからの評判の悪くないが、私はあの子が苦手だった。
呼ばれて春ちゃんが、視線を秋山さんに向けた。
「私はパス!小鳥も行かないってさ!」
「なにそれ~、『クズ』みたいなこと言わないでよ!ま、いいや。わかった!じゃね!」
彼女は葛谷君のことをよく思っていないから。『クズ』というのは、葛谷君の名字から取ったものだ。葛谷朗河という名前からそのあだ名に行き着いた経緯は理解できても、実際にそれで他人を呼ぶ無神経さは大嫌いだ。
確かに寡黙で何を考えているのか一見分からないけど、彼はこれ以上なく人にやさしい人間だ。私の委員の仕事もさりげなく手伝ってくれるし、その場の空気を読み取って常の最善の手を打ってくれる。
それに周りが気付けていないのは、彼女たちが鈍感で。恐らく人の好き嫌いを、自分にとって相手の存在が快か不快かでしか判断できないからなのだろう。
思っていると、春ちゃんが言う。
「さて、人払いは済んだことだし。こっちはこっちで打って出るわよ」
「打って出るって……何を?」
訊ねると春ちゃんは携帯の画面を私に見せつけてきた。
そこに表示されていたのは、葛谷君との個人的なメッセージのやり取りの履歴。彼の連絡先なんてどこで手に入れたのか問いただしたかったが、それは飲み込む。
写真が添付されているメッセージがあった。
『説明求ム』と綴られたメッセージと共に、赤い車に入っていく黒井さんと葛谷君の姿がばっちり映っていた。
葛谷君はそれにメッセージで異議を唱えているが、春ちゃんが『直接会って話そうね♡』と返信していて彼も渋々了解した様子だった。やり口が汚いと思ったことは、口にはしない。
「東雲さん。なんでここに」
そうこうしているうちに葛谷君が黒井さんと一緒に二階に現れた。
隣に私がいることは知らされていなかったようで、黒井さんの方が私を見るなり動揺していた。
飄々と東雲さん——もとい春ちゃんが答えた。
「遊びに来てたら偶然ね。あ、先に言っとくけど。さっきのメッセ送ったのは小鳥だから。あんたがその人とどんな関係なのか気になってるみたいよ」
「あることないこと言わないで!?」
「半分は事実なんだから気にしないの」
言われて、つん、と私は葛谷君の前に差し出された。
強引すぎるやり方に異論を唱えたい気持ちは山々だったけれども、自分一人では決してここまで辿り着けなかった。怒りと感謝が半々な、複雑な心境のまま春ちゃんに視線を寄越していた。
「小鳥遊さんが僕に?なんの話?」
「ひゃい!?ご、ごめんなさい調子に乗って……!」
反射的に謝っていた。自分でも何に謝っていたのか理解できない。
完全に挙動不審になってしまっている。
なんとか声を出さないと。
なんとか間を持たせないと。
「あっ、あの……、明日のことなんですけど」
言うと、彼の表情が切り替わった。
私が何を言わんとしているのかを察したようだった。
「ごめ——」
「花火大会、よかったら一緒に見に行きませんか」
彼の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
言いさした言葉を口に食んだ時。
彼の視線は、傍らの黒井さんに向けられていたから。
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