『渡る世間は事故ばかり』

小田舵木

『渡る世間は事故ばかり』

 昨日の事である。

 私は出勤するために最寄りの駅に行った。

 いつも。10分前には到着するようにしている。

 だが。その日の駅は。何かがおかしかった。

 発車標の下に人が集まりザワザワしている。

 ああ、これはやらかしたなあ、とそれを見た瞬間私は思った。

 ●R九州、●●●本線。この路線は人身事故なんかでダイヤが乱れる事が多いのだ。

 

 問題は。これから定刻通りに出勤できるか?ここにある。

 一応、電車は動いてはいる。大幅な遅れが出ているが。

 私は駅のホームで案内放送を聞きながら待つ。

 とりあえず。私は数駅先に着きさえすれば良い。

 

 数分待つと電車は来た…

 だが。その電車は快速電車である。

 私の目的地は快速は停車しない。

 結局。博多駅で降りて。普通電車を待ち合わせる事にする。

 結果。私は定刻通りに出勤が出来なかった…ああ、時給の4分の1が消し飛んだ。

 

 この電車のダイヤの乱れ。

 コイツは予想不可能なアクシデントだった。

 何せ原因は架線への飛来物。そんなモノ予想だにしていない。

 それに。私は油断しきっていた。雨の日くらいで電車のダイヤが大幅に乱れるなんて誰が予想しようか。

 

 このように。

 人生というヤツはアクシデントの連続だ。

 事故と人生は切り離せないモノである。

 それっぽく言えば―渡る世間は事故ばかり…昔のドラマのタイトルのもじりである。

 

 事故。

 この響きにゾワっとするのは。工場労働者だと思う。

 何せ。不具合を起こして工程がめちゃくちゃになるのをそう表現するからだ。

 私は。過去に生産機械をオペレートしていて。

 その経験の中で。1、2度事故を起こしている。

 アレは嫌な経験だったが。元を辿たどればヒューマンエラー、私の不注意が成せるモノだった。

 

 人生にアクシデント…事故は付き物である。

 人生とは予測しない方向に話が転がる事が多い。

 

 人生を送る上で起こるアクシデント。それには2種類がある、私調べでは。

 一つは完全に自分が予想出来ない、制御が出来ないモノ。

 もう一つは。自分の油断が招き寄せるモノ。これはある程度は制御出来る。

 

 出来る事なら。

 事故なんぞに出会わずに人生を送りたいものだが。

 そうは行かないのが現状である。

 いくら気を張ってようが、自分のコントロールの外で起きた事故だけはいかんともし難い。

 それに。事故に巻き込まれないように気を張り続けて人生を送るのはかなり疲れるからだ。

 

 出来るのは神頼みくらいなのである。

 ああ、神よ、事故を我に与え給うなかれ。

 だが。その手の祈りは届かない。

 人の居る所に事故はあり。社会という人の入り混じったカオスに脚を突っ込む以上、アクシデントが起こる可能性はゼロにはならない。

 これだから人生は面倒くさい。

 

                  ◆

 

 そう言えば。

 話は少し変わるが。

 私が2日前にポストした【R−18】『殺人鬼の穀本さんと出歯亀くん』がカクヨムの運営様から公開停止処分にされた。

 これは。事故っちゃ事故であるが。

 ある程度予想していた事でもある。

 それは。カクヨムの執筆基準の中で、過激な表現はR−15相当まで、という決まりがあるのに、私がえてそれをスルーし、投稿しちまったからだ。

 あの時何であんな事をしたのか…分からない…というのは嘘だ。

 何となく書いた作品、それはおどろおどろしいモノであったが。

 何かきらめくモノがあった。なんだかいい作品が仕上がったように思えた。

 すると。人様に見せたくなるのが心理であり。私はつい出来心でカクヨムにポストしてしまったのだ。

 本当なら。R−18相当の表現が出来る投稿サイトにポストすべきだった。

 だが。投稿サイトをマルチに使っていくのは正直面倒くさい。

 んで。結果がこうである。

 コイツは。予測できた事故である。投稿した2日前から削除される事を予期していた。

 

 人生で起こしてしまう事故。

 それは大抵が自分のせいである。

 私は愚かな男なので。事故を起こしがちだ。

 いつでも。人生で事故が起きてパニック状態なのである。

 それではどうしたら良いか―

 気をつけろ、というのが答えだが。これは安易というか、正論だけの役に立たない言質である。

 そもそも人間なんて。判断ミスをしまくる生き物なのだ。

 心理の中には各種バイアスがあり、間違った推論をしがちなのだ。

 

 と、なると。

 気をつけるのは当然だが。事故と付き合っていくのも人生である。

 うん。アクシデントへのリカバリ。これが大切だ。

 私は昨日の電車の遅延に対しては中々適当に立ち回れた気がする。

 予想は出来なかったが。起きてしまった後の対処はよく出来た。

 博多駅に着いた時点で、職場に遅れると連絡出来たし、次の電車の時間から到着時刻を告げる事も出来た。遅刻は15分で済ましたのである。

 

 まあ?何時でも事故に対して巧く立ち回れる訳ではない。

 昨日の電車の遅延程度なら、適当に立ち回れるが。

 それ以上の事故だって人生にはある。

 それに対してどうすべきか?

 これが問題なのだが…私の小さな小さな人間の器では、巧い対処は思いつかない。

 落ち着け、というしかない。

 だが。事故って奴は冷静な判断力を失わせる。

 事故に遭ってしまった不幸を呪うので精一杯な事はままある。

 

 …やはり神頼みと気をつける以外に対処はないのかも知れない。

 神なんぞに祈る事は馬鹿らしいが、やはり祈らずには居られない。 

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『渡る世間は事故ばかり』 小田舵木 @odakajiki

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