巨大樹のカルス

蜂須賀蜾蠃

第1話 巨大樹の星

 巨大樹のまたから僕は生まれた。


 惑星テラキュールの地表は巨大樹の森に覆われている。植物界ブナ科ブナ属の落葉広葉樹による広大な森林。それがこの星の三分の一、つまり陸地の全てを飲み込んでいるのである。僕たちはこの木を、旧文明の古い古い言葉から取ってフラットケーキと呼んでいる。僕たちの知る青い空とは、大樹の葉脈越しに眺める物なのだ。大地もまた同じである。粘土層や旧文明の人工岩盤は太い根と腐葉土の向こう側にあって、僕は発掘実習以外で見たことがない。苔むした幹と蒸散した水分の香り。そこに土の匂いが混ざったものがテラキュールの大気の味である。その大気を吸っているからだろうか、虫も獣も鳥も魚も、旧文明が栄えた500年前より格段に大きくなっている。特に僕たち以外の脊椎動物は記録の3倍から4倍になっていて、今しか知らない僕たちからすればこれは当たり前の景色だけれど、けれどそれ以前を知る知性体が今のテラキュールを見たらきっと卒倒するほど驚くんだろうな。この星における食物連鎖のピラミッドその最下層が小型の節足動物であるならば、外郭の三角形がフラットケーキと言う樹木なのだ。

 そんな巨大樹は、しかし元々は植物でなかったらしい。

 曰く、それは僕らによく似た知性体だった。かつてのテラキュールの覇権を握り5000年強。僕たちヴィーラよりも前にこの星に登場し、多くの物語を遺してある日滅んだ遥かなる先達。見た目はヴィーラと何ら変わらないけれど気性は僕らよりも幾分荒っぽかったとか。旧文明。多くのヴィーラは彼らをそう呼んでいる。未だフラットケーキの腐葉土の底には彼らの痕跡が残っていて、僕たちの文明はその解明から始まった。 

 テラキュールに生じた最初の知性。それが、巨大樹の種。

 彼らの名前は、Human。人間。彼らは確かにこの星に生きていた。そしてある日突然、何の前触れもなく、一気呵成に、示し合わせたかの如く、人間たちは樹木になった。

 ここから先は類推である。状況証拠をモザイク画のような物だ。しかし正当な知識と論理に基づくモザイクの並びにはジグソーパズルくらいの必然がある。僕は先程人間たちを種と言った。現代の定説に於いて、人間たちの滅亡はそのまま呼んで字の如くであったとされている。彼らの中に、突如生じた植物の部分が生じた。滅亡の数日前のことだ。心臓や肺の側、肝臓の近くなど体の中心とも言うべき場所に赤子の拳の形をした痼が生まれたそうだ。『正体不明の奇病』であるとされて、人間に残された最後の数日間は、鉄火場で身内に鉛玉や慟哭を忍ばせた人々を除きそのことばかり話していたとされている。そして滅亡の日。痼は枝葉となって肌を裂き、幹となって胸を引き裂いて、茎頂分裂組織が頭蓋を貫いた。彼らの内側から、フラットケーキは発芽した。きっと痼は胚だったのだろう。宿主たちは胚乳であり、種皮だ。そう考えると樹木になるという結末は、霊長に取ってある種の進化なのかもしれない。否、人間の他のボノボやチンパンジーが格別影響を受けていない所を見ると知性体に内在する可能性の一つと見る方が正確なのだろうか。閑話休題、斯くて当時81億いた人間全部が、もとの体と同じサイズの木にそっくり置き換わるという結果がテラキュールの大地に残されたのである。仕組みはわからない。どうしてそうなったのか、どうやってそうなったのか。何一つわからない。けれども確かに現象だけを追うならば。

 動機も道理も顧みずただあったことのみを語るのならば、テラキュールで最も栄えた生物はそんな風に滅亡したのである。

 これが定説。事件現場に遺された証拠から見た旧い時代の最後の緞帳。垂れ幕は500年間閉じたままだった。ステージに目隠しがされている間に小さかった木は巨大樹になった。海の上だったり空の上で芽吹いた個体は当然枯れてしまったようだけれど、それでも殆どの個体は現代にも残っていて、天を覆い隠すような両椀を目一杯に伸ばしている。酸素濃度が上昇したのもこの時期だ。恐らくこの変遷で死に絶えた生き物も少なくないんだろうな。しかしてこれも現代からでは確かめようの無いことである。いや、研究が進めばその限りでは無いのだけれど。だけど今の僕たち確かなことは殆ど無い。

 無窮の最中に確かなことは自分の生まれくらいなものだ。

 人間の滅びから丁度きっかり500年目。ヴィーラはテラキュールに発生した。大樹の皮を突き破って。今から497年前の話だ。

 未だ僕らは生きている。

 吸血鬼と一緒に。

 そうだ。これも話しておかねばなるまい。テラキュールにはヴィーラの他にもう一つ知性体が生きている。吸血鬼だ。ヴィーラの血を主食に(昔は人間の血を吸っていたらしい)し、姿形を自由に変えて影に潜み、怪力を操る僕たちの近縁種。人間の世から存在した旧き時代の伝道師にして新人類の出現を祝福した新しい時代の天道虫。太陽が天敵の吸血鬼たちにそんな例えをするのはどうかと思うけれど、けれど僕たちにとってのヴァンパイアとは文明の黎明の無明における太陽その物だったのだ。

 人間の時代、吸血鬼は怪異だった。血を吸い人を殺す鬼。夜に紛れて人を食う化け物。それが人間に取っての吸血鬼だ。今とは偉い違いである。その頃の彼らは個体数もかなり少なくて目撃談などもまとまりにくかったから、有り体に言って好き放題していた。その上人間は吸血鬼の存在を何故か無いものとして認識していたから、特に一時期は狩り放題の無法地帯だったらしい。だがそれも長くは続かなかった。人間は滅んだのだ。すると大変、吸血鬼たちは食べ物を失うこととなる。ここで注釈すると、彼らは基本的に不死身である。全てに共通する弱点は日光くらいだろうか。天日干しや心臓の串焼きなんかをしない限り吸血鬼は原則死なない。だがそんな彼らでさえ、飢餓には勝てなかった。

 彼らの飢えと乾きの先に待っているのは死ですらない。ただの消滅だけが結末である。どうしようもなくなったヴァンパイアたちは、冬眠することにした。次なる餌が生まれる日まで、古式ゆかしく奥ゆかしくも、棺に入り闇に身を潜めることにしたのだ。彼らは極夜の中心地、南極。格別大きなフラットケーキの根の下に龍穴を掘り、そこに互いを擲ったのである。以来彼らはそこで泥濘の滅びと戦ったと言う。

 そして、497年経ってヴィーラが生まれた。ナイトウォーカーが挑んだ土中の昏き戦いは、そして漸く終わったのだ。以来僕たちは相利共生、否相利匡正の関係を築いている。

 喰う側と喰われる側ではなく。対等な相異なる種族として。

 この話は、そんな平穏の終焉にこそ端を発する。

 ヴァンパイアとヴィーラ。このまま行けば、テラキュールに生きるこの二種は文明萌芽の500年を待つことなく、絶滅の道を歩もうとしているのだ。幸か不幸か、自滅でもなければ植物でもない方法で。

 敵によって滅ぼされんとしている。意外でもなく、滅びは宇宙そらからやってきた。

 

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巨大樹のカルス 蜂須賀蜾蠃 @HatisugaSugaru

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