『見覚えのある白い囚人』

 冷たい壁に背を預けて、スカーレットはひび割れた天井を仰いでいた。かつて、ただ一人頼ることができる存在であった者を見上げていたときの心許なさが、甦るようであった。

 政治犯収容所の牢獄の中で、囚人服を着せられたスカーレットは、座り込んで長い脚を床に投げ出す。剣や銃は勿論没収されてしまったが、金の髪留めまで取り上げられてしまって、血のような美しい赤髪を散らし、柔らかく波打つ毛先が床を摩している。髪留めは、母の形見であった。

 離れざるを得なくなったメリルの身を案じて、スカーレットは沈黙していた。考えていたのは、四年前の戦のことであった。命令をスカーレットが下したと嘘をついた部下が、四年前の戦いでスカーレットの元で戦った生き残りであったからだ。裏切りの背後にあるものを、有り余る時間の中で探し続ける。

 メリルの寵臣である自分を陥れることに何の利点があるのか――少なくとも、あの元部下の兵士個人には利益はないはずだ。むしろかなりの危険を伴う行動である。公女の暗殺を企てることで捕らわれているはずであるし、今件でメリルの王位が揺らぐならば、得をするのは被害者の公女になる。

 今頃宮廷でバフォメットやメリルが、自分を中将に昇らせたことや執政官への昇進を推したことについて任命責任の追及を受け、最悪メリルがに公女暗殺をけしかけたと糾弾の矢が放たれていると思うと、スカーレットの脳裏に昏い憶測がかすめた。


(国に……公国の間者が?)


 憶測が正しければ、自分を踏み台にメリルと王家に仇なそうという者がいることになる。スカーレットはコンクリートが打ちっぱなしの床に爪を立てた。

 このような動きは以前もあったのだ。四年前のように、スカーレットはまた踏みにじられ捨て石とされる口惜しさに奥歯を噛んだ。血まみれ将校という綽名をつけられた四年前、自分は王から見放された。王家の名誉のために、スカーレット個人の名誉は汚された。王は知っていたのだ。国内に存在する不逞の輩から国を守るため、スカーレットは切り捨てられたのだ。当時自分に前線で指揮を取るよう命じた故先代大将が打ち出した作戦の採決に異を唱えたのがバフォメットだけであったと、後で知ったときの怒り――

 務めて一介の軍人であれど、命令と身分を盲信して従っていたあのときとは違う形ではあるが、同じように利用されている自分。自分を見捨てた先の王は死んでしまったからいいとして、今はメリルの王位がかかっているのに、利用されることしかできない今の自分を、スカーレットは呪った。

 奇しくも獄中のスカーレットは〝反王家勢力〟の存在を悟った。元部下は、公国とつながる反王家の誰かしらに焚きつけられて公女を襲い、帝国と公国の両方から利益を得たに違いない。そうでなければ、こんな危険を冒す価値はないからだ。

 看守の足音が聞こえてきたので、スカーレットはゆっくりと顔を上げた。食事の時間にはまだ早いと思って鬱陶しげに視線を投げた先にいたのは、看守と、白い囚人服を着た白髪の若い男であった。

 短く切り揃えられた白髪に金の瞳。何処かで見たような覚えがあったが、スカーレットは思い出せないまま、疲れた目で白い男を凝視した。白い男はとても囚人とは思えない身なりの良さであったが、一点のしみのように、きつそうな閉口具が不穏な空気を醸し出している。傷をつけられた白い花のような繊細が、垣間見える。

 スカーレットは白い男を自分と同じ牢に入れた看守に問うた。一人でいたかった。白い囚人が煩わしかったのだ。


「……彼は誰なんだ」

「それが、分からないんですよ、中将殿」


 すると看守は、妙なことを言った。暇を持て余している腑抜けた看守たちは、自分の立場を揺るがさない程度にならば、時々こうした告げ口をする。囚人相手に怠慢に過ごしているのであろう。


「分からない?」

「もう何年も前から此処にいるんですがね、囚人だというのに待遇が良くて……気味の悪い奴です」

「何年も前というのは?」

「確か……公女様が領主になられた頃です」

「襲爵の邪魔でもした政治犯か?」

「さあ……我々は何も聞かされていないんで」

「そうか、仕事の邪魔をしたな」


 看守が去って行くのを、白い男は見送っていた。姿が消えると、白い男は閉口具の下で口をもごもご動かしていたが、何を言っているのかは分からなかった。それでも、若者はスカーレットに何かを訴えかけている。


「一人にしてくれないか」


 白い男はスカーレットの力ない言葉を聞くと、床の一部をこつこつと叩いた。

 血と埃で汚れたコンクリートの一部を指差している。白い男が示している箇所を溜め息と共に見遣ったスカーレットであったが、よく見てみると、床に四角い切れ目が入っているのが分かる。


「これは……」


 白い男は声を出すなと言いたいのか、閉口具越しに唇にひと差し指を立てた。スカーレットはそっと、四角い床に手をかける。コンクリートと思われていた床は、その部分だけがコンクリートを模した板であった。外してみると、地下に階段が続いている。


「看守が来ないか見ていてくれ」


 小声で言って、スカーレットは地下へ降りた。短い階段を下がると平坦な道に変わり、今度は地上への階段に辿り着く。灯りがないので壁に手を置きながら、道を伝って上へ出る……

 道を失った場所にあった四角い蓋を持ち上げると、押し寄せてきた清浄な大気に、スカーレットは息を詰まらせた。牢の地下通路を通って出た先、そこは牢獄の裏道であった。


(地下通路……)


 ひとの声がしたので、スカーレットはすぐに引き返した。戻った獄内で、あの白い若者が引き返してきたことに疑問を示すようなそぶりを見せたので、スカーレットは逃げられないことを説明する。


「私は帝国の軍人で、私が今此処から逃げ出したら不利になる方がいらっしゃる……帝国の、メリルという王女殿下に、私は仕えているんだ」


 メリルの名を聞くと、白い囚人はかっと目を開いた。

 この囚人はどうして地下通路のことを知っていたのか――スカーレットは不思議に思ったが、白い男の言葉を汲む方法がないので、口をつぐみかける。


(誰だろう……以前合同演習で見かけた軍人か?)


 高貴な赤髪に、窓から差し込んだ光がきらきらと光沢を描く。対照的な光輝を匂わせて、白い囚人は寂しそうに、何かを憂うようにスカーレットを見つめていた。

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