『皮肉あるいは誉め言葉』

 スカーレットが主犯の公女暗殺未遂事件についての緊急会議は、分かりきっていたことであったが、紛糾するのに時間はかからなかった。スカーレットの執政官昇進が事実上消滅したことへの安堵の吐息を何処かで誰かがこぼしていると思うと、メリルは煮え湯を飲まされた気分になる。悪意ある溜め息をついているのは、一人や二人ではないのだ。事実確認のための集まりという名目の内に、何人もスカーレットを陥れようとしている者が存在すると思うと、胃の中が燃えるようであった。愛らしい象徴としての王女の顔を保つことに、こんなに努力を要したことはなかった。

 議場には曖昧を装って沈黙している首席執政官バフォメットと、次席執政官のクロードを長とした新興派閥、そして昔から存在する古い家柄の貴族派閥とが、スカーレットの処遇と公国への対応に苦慮していた。

 苦い顔をしたクロードが諸侯たちに言った。


「殿下の即位が決まったこのときにエリク公の暗殺を企むなど、これはハークネス中将に重い処分をしないと広告は黙ってはいない。一刻も早い裁きを行い、公国に反撃の余地を与えないようにせねば」

「そうだ、殿下の王位を脅かす売国行為だ!」「重大な背信行為だ!」


 クロードの派閥の貴族たちが続々と声を上げる。クロードは更に続けた。


「殿下のため、ひいては国のため、外交関係を重視すべき。国をこのような混乱に陥らせては、国政に携わる者として、先帝陛下と殿下に顔向けができません。此処は中将を処分し、早急に公国には示しをつけて殿下の王位を守るべきではと思うが、如何だろうか?」


 クロードは煽るような強い口調であった。灼(や)けた鋼のような温度の声が、周りに熱を含ませた。事実確認が目的であったのに、問題の大きさと時期の悪さを勢いにして、スカーレットの処分に話が進んでいる……

〝暗殺〟――メリルは細い指先で顎の線をなぞった。クロードの言うことは理にかなってはいるが、自分を次期君主として支持する帝国派ならば、仮にスカーレットによる暗殺企図が事実だとしても断定せずに嫌疑にしておくところではなかろうか。

 メリルは小さく息をつき、可憐な唇で冷笑を吐いた。秘密はばれるためのものだと知った風情でありながら、熱を帯びた議場を一瞬で冷やす玲瓏を以てさほど大きくもない声を響かせる。


「――皆さまの、王家と我が国を守ろうとしてくださっているお気持ちに、わたくしはとても感謝していますわ」


 清澄でありながら建前として述べられた言葉の意図に気づいた者はなく、議場の熱に染まらない口調に、空気は徐々に鎮まっていく。メリルは自分に注目が集まった頃合で立ち上がり、事実確認という本来の議題へ話を戻した。


「今件が事実であれば中将は処分を免れません――事実であると、証明されたのならば」


 メリルはあくまでも、何も知らないという姿勢を通しながらも、スカーレットの嫌疑が本当ならばと強調する。諸侯たちを見据えた。誰を見るでもなく睚眥のまなざしで以て、見えない敵に目を凝らした。スカーレットを陥れ、ひいては王女である自分へ背信を示し、そして国を裏切ろうとしている寄生虫のような人々に、絶対の薔薇の系譜は汚すことも触れることもできないという、己の内に流れる傲慢な矜持が燃え立つのを感じる。

 メリルは胸の上で、父王の指輪が光る右手に、左手を重ねた。今は見えない反逆者の心に爪を立てるような静かな鋭さで、メリルはわざと嘯いた。唇に、朽薔薇がほどけた。


「罪状が事実ならわたくしは中将を処分します――ただ、父上に通じた嘘は、わたくしには通じなくてよ?」


 バフォメットが、はじめて、メリルに感心したように頬杖をやめた。貴族たちの間に怯えたような不穏が立ち込める中、メリルは続けた。


「ハークネス中将はわたくしの即位が決まった大事な時期に公国から責められる要素をつくるような愚かな方ではありません。それにわたくしの国に中将はなくてはならない存在です。その彼女を何の証拠もなく切り捨てることこそ、わたくしへの背信と売国に当たりますわ」


 スカーレットへの処分は決まらなかった。メリルの言葉に紛糾は冷水を浴びせられたように凍え、結論はもちこされた。


 散会後、ミゼルがダズマールの元へ向かおうとして、父である次席執政官のクロードとすれ違った。言葉は交わさなかったが、すれ違いしなに、クロードが口の中で呟いた短い言葉に、ミゼルは足を止める。


「小娘が」


 感嘆を出す暇もないうちに、クロードは去っていった。ミゼルはしばらく、動けずに父を見送っていた。王女とはいえ若いメリルに反論できなかったのがそこまで不快であったのか――ミゼルはそこまで考えてから、我に返って小走りになった。


「消えた実行犯の行方はまだ掴めていません」

「わたくしの推測ですけれど……公国か国内の反王家に匿われていると思いますわ」

「国内は実行犯にとって危険だから、殿下の予想だと公国にいる可能性が高いと思われます。小官は引き続き調査に当たります」

「お願いします」


 ダズマールの簡単な報告を受けたメリルは一人でバルコニーの階段を上っていた。立志式の日が、遠い昔のようだ。此処でスピーチをした誕生日——スカーレットに導かれ、父王がまだ健在であった、あの日。


(まだ、そんなに時間は経っていないのね……)


 メリルは立志式のときとは違う気持ちで、閉め切られたバルコニーの豪奢な硝子戸に映る自分を見つめた。頼りない愛らしさしか、今のメリルには己に見出せるものがなく、気がついたら涙があふれていた。

 愛らしさなど、何になろうか? 姫という象徴にできることの無さと、無力感に苛まれる。それでも自分は王女で、王女であることを放棄することは病に赦されなかった父王のように、自分にも赦されない。

 父王の死に際しても涙は出なかったのに、囚われているスカーレットを想うと涙はとめどない。メリルはくしゃりと顔を覆った。涙に濡れながらしゃくり上げて、メリルは自分の心をスカーレットに誓った。格好がつかない、みじめで泥くさい今の自分にはあまりにも滑稽に思えたが、ほどける前の白薔薇に注ぐ慈雨のような意思は強かった。


(わたくしは、薔薇の女帝になるのだから……泣くのは、今、だけ……)


 強くあらねば――そう自分を叱咤していたとき、音もなく目の前が日差しを遮られたようになる。硝子が曇る。背後に誰かが立っている。映り込んだメリルの崩れた愛らしさが、暗がりになる。そこにいたのはバフォメットで、神妙な表情でメリルの涙を嘲る気配もなく呟いたのであった。


「中将が、否、姫がいなくなってから……殿下は強くなられましたな」


 それは皮肉か褒め言葉か――メリルは花のようなフリルがこぼれる袖で、涙を拭い捨てた。

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