『不当と正当の狭間で』

 帝都へ戻ったメリルたちを迎えたのは帝国貴族の三派閥――次席執政官クロード傘下の新興貴族たち、党首をもたない古い家柄の貴族たち、そして傘下の者を持たない首席執政官バフォメットという最強――であった。同君連合国の領主たちも、皇帝の危篤を受けて集まっている。

 リステラから舞い戻ったメリルとロックハーティア、注目の二人に視線が集中する。メリルはドレスのすそをからげてバフォメットの元へ行くと、父王の容態を確認した。


「父上のご様子は……」

「ご覚悟を、殿下」


 バフォメットはそう言ったのみであった。メリルは小さく俯いたが、すぐに顔を上げる。

 慌ただしく大司教が終油の儀式の用意をしているのと親族入室の準備が行われている忙しさを顧みて、いよいよなのかと緊張を握りしめる。

 ロックハーティアが王の死をこまねくように羽扇でぱたぱたと扇ぐなか、メリルはスカーレットに前に立つと、凛呼とした美貌を見上げた。


「……殿下?」


 いつになく冴えて、冷酷な将校という面を際立てるスカーレットに、メリルは頼んだ。


「ハークネス中将……父上の臨終に立ち会ってほしいの、お願い」

 スカーレットは切れ長の大きな目を見開いた。

「…………私が?」


 時間を要した割りに短い返事には場違いである者の驚きがあった。メリルはスカーレットを説得しようと言葉を探しているようであった。


「駄目ですわ、殿下……教会法がありますから」


 国教のマロワ教では、臨終のときに立ち会っていいのは庶子を除いた親族のみとされる。スカーレットは含まれない。

 メリルはスカーレットの、指の長い綺麗な手を握りしめた。ぽつりと呟いた言葉は、たった一言であった。


「だって……悲しいの、こんな終わり方は」

「メリル……」


 メリルはつないでいた手をするりとほどくと、身を翻してバフォメットの元へ、スカーレットが自分の傍につくことの許可を取りに行っている。バフォメットが二つ返事で承諾している様子が見える。

 親族の入室が許されると、ロックハーティア、メリル、メリルに連れられるスカーレット、そして王の特例として首席執政官バフォメットと大司教が寝室に入る。


 アルフレッドは昏々と眠ったままであった。この数日で更に痩せやつれ、顔はくすんだ土色に淀んでいる。

 ロックハーティアは弱りきった王を遠巻きに眺めていたが、メリルはさっと前に出て、父王の手に手を重ねた。恐らく返事がないことを分かっていながらそっと呼びかける気丈が、メリルにはあった。


「父上」


 このまま目を醒まさずに息を引き取るかと思われたアルフレッドは、メリルの呼びかけに応じるように薄目を開けた。


「おお……メリルか……」

「ええ、父上。メリルはお傍にいますわよ」

「ハーティも来てくれたのか……」


 王が無言の内に終われば戦争という最悪の事態を招いたが、ロックハーティアは王の意思確認という面倒ごとが増えたので小さく舌打ちする。やつれた王の近くに行く気は全くないという風情である。

 アルフレッドはメリルやロックハーティア、大司教とバフォメットが居ることに自らの運命を悟っているようであった。メリルは何て言葉をかけたらいいのか、分からなかった。

 スカーレットは一番後ろ、扉の近くで凝然と立ち尽くし、硝子のような瞳で王を見ていた。

 アルフレッドは靄(もや)のかかった赤い目でスカーレットを見つめながら、メリルの手を握りしめる。とつとつと紡ぎだした言葉は、父としての謝罪であった。


「不出来な父を……赦して、ほしい……」


 スカーレットはメリルに気付かれないように退出する。

 アルフレッドは指の根に輝いていた赤と白の薔薇を象った二つの指輪をメリルに示した。


「これを、分けて、くれ」

「指輪を?」


 王位の証でもなんでもない指輪を、メリルは父の指から抜き取る。メリルには大きい指輪であったので、この場では親指につけておく。父王の意を汲んで、預かる。

 アルフレッドはゆっくりと口を開き、メリルの小さな手を再び取った。そして痙攣にも似た微笑みを浮かべる。その微笑みが父の顔なのか、君主の顔なのか、メリルには判断しかねた。だがアルフレッドは最期の力で最後の横暴を、王の勅令を下したのであった。


「メリル、お前が、次の女王だ……」


 ロックハーティアの白い顔がひび割れる。大司教が王の発言を書き留める。メリルは頷いて、まだ何か言おうとしている父王の口元に耳を寄せた。王はメリルの所有物となった指輪を触り示し、かすれた声で言う。


「これで、――を、殺すんだ……」

「え……」

「――を、守れるのは、お前だけ、メリル……」


 父王の本当に最期の台詞は、メリル以外に聞いた者はいなかった。ついに力が抜けてするりとメリルの手からこぼれた父王の手と、自分の指に輝く形見となった指輪、そして、託された、意図が不明な使命……


「父上……?」


 涙は出なかった。ただメリルは指輪が光る手にもう一方の手を重ねて、震えた。

 父が密かに恐れていた存在があること、そしてその存在の隠然たる力がいつか、メリルにとって大切なひとを苦しめることとなるという不吉の暗号に、震えるしかなかった。


(これからわたくしは)

(どんな顔をして、あの方を見ればいいの……?)


 アルフレッドが崩御し、娘メリルは正式に次期君主として指名されて玉座を手中に収めた。

 大司教が王の死と、次期君主にメリルが選ばれた旨を集まっていた人々に触れて告げるなか、メリルとロックハーティアは王の寝室から退出する。

 メリルは意外なほどに毅然としていた。貴族たちはメリルが涙を見せないことと、硬い表情に含まれた力強さに、たおやかで儚い印象を拭われた思いでぞくりと静けさをのむ。

 メリルに対してロックハーティアは青い顔で唇を噛みしめていた。ロックハーティアは典範上では継承順位が一位であったのにも拘らず、アルフレッドに法を無視されたことに対してこの場で怒る権利すらなかったのだ。アルフレッドにとって姪のロックハーティアなど蚊帳の外の存在で、最初から眼中になかったことが明らかになっただけであったのだ。この状況下で怒ったところで愚か者だと見なされるだけ。ロックハーティアは唇から血が出るほどに、喉をせり上がる炎を噛んでいた。

(忌々しいアルフレッド王、玉座と娘が可愛いからって……!)

 ロックハーティアの内で母の血が沸いていた。講和の人質として帝国から降嫁された母の無念が煮えたぎっていた。生まれたときから敗戦国の公女、母の血のために百合の国の姫でありながら紅百合と綽名される屈辱、同君連合という聞こえのいい隷属にも甘んじて耐えた――それは全て、自分が次に玉座に座る身分を保有していたからで、他に理由はない。


「次期君主はメリル殿下、か」


 ロックハーティアに歩み寄ってきたのは、バフォメットであった。嘯くバフォメットにロックハーティアは怒りの捌け口を見つけたと言わんばかりに目を吊り上げる。


「あなた帝王製造機なんでしょう!? メリル殿下を推さないと言ったのに!」

「なに、方法はいくらでもありますよ」


 バフォメットはいつぞやのメリルの言葉を皮肉るように、そのやり取りを知らないロックハーティアに引用した。


「どうとでも変わりますよ……臣が殿下を推さないことは不変です」


 ロックハーティアは早くもメリルの人事政策を予想しはじめていた。

 メリルが即位すれば、メリルの忌まわしい寵臣スカーレットが高確率で執政官に昇る。軍の中将であるスカーレットが宮廷での発言力を強固なものにしたら、公国が不利になることは明白だ。スカーレットは公国での戦いで不名誉を受けたから、メリルに公国と友好関係を築くことは促さないであろう。

 ロックハーティアと一部の勢力にとって、スカーレットは権力を持たせてはいけない邪魔者でしかない。


(あの女を処分する方法を考えないと)

(あたくしは、何でもする)


 玉座を奪うため、ロックハーティアは身を翻していた。何が正当で何が不当なのか、その境界は歪み溶けていた。

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