『汚された武勲』

 各国の王や領主、使節を招いて行われた夕食会の後、メリルは束の間の息抜きに、傍に仕えていたスカーレットと言葉を交わしていた。周りの客人たちにはいつもの、王女と軍人としての会話に見せかけながら、睦ましく微笑みあう。


「初めてのお仕事は楽しみなような不安なような……今日からわたくしも、本当の王族になるのですね」

「メリルはこれからこの国の平穏の象徴になるんだ、メリルにしかできない仕事よ。大丈夫、公国へは私も随行する」

「心強いですわ」

「君の最初の仕事に携われることを、私は誇らしく思うよ」


 立志式と共に外務大臣という重職を任せられたメリルは、政治家として初公務のためにエリク公国への訪問を控えていたのである。エリク公女が領主をしているこの国は、約二十年ほど前に併合されて帝国の同君連合となった国だが、両国間の仲は険悪である。不安があるメリルをなだめるように、スカーレットは優しかった。


「心配はいらない……私が、ついているから」


 メリルが愛らしい貌(かんばせ)を綻ばせた、そのときであった。例の耳につく声音が、わざとらしくメリルを呼んだのだ。


「そんな卑しい女と喋っていたら白いドレスが汚れてしまってよ、メリル殿下?」


 ロックハーティアが現れて、ひらひらさせていた羽扇をぱちんと閉じると、眦を鋭く侮蔑の念で歪め、スカーレットを見やる。背の高いスカーレットは意味深に注がれる視線が含む言葉を分かっている風情で、凛々しい眉をぴくりともさせない。


「卑しいですって……エリク公、あなた……そう仰ったの?」

「ああ、メリル殿下は知らないのね……〝血まみれ将校〟の素晴らしい武勇の数々を」


 ロックハーティアは淡々と、メリルに刻み付けるように言った。


「この女、ハークネス中将はあたくしの国を帝国支配下から独立を戻そうとした反帝国を訴える有志たちを殺したの」


 スカーレットは無表情であったが、ロックハーティアの物言いに手のひらを握りこむ。


「休戦と和平の話を持ちかけて皆殺しにしたのよ……恐ろしい」

「四年前……ベルリリーの乱で、あんたは軍人なのをいいことに殺戮をした……あたくしの可愛い国民たちが殺されたこと、忘れなくってよ。例えあんたの仕事が、戦争だとしても」


 ロックハーティアが憎々しげに言ったのは、同君連合というつながりでありながら頻発していた帝国と公国の最後の戦い――尤も、今のところ、という但し書きがつくが――四年前に公国の反帝国支配を掲げた反乱軍の蜂起、ベルリリーの乱についてであった。

 当時大佐であったスカーレットが、現在は故人である先の大将から命じられて連隊を率いて指揮とり、公国側の反乱軍は全滅、しかしスカーレットの部隊も多数の死者を出した戦いである。

 スカーレットは反乱軍を一人残らず殲滅させたことで国内外に血腥い功績を轟かせ、血まみれ将校という不名誉な綽名をつけられることとなった。


「あたくしはメリル殿下の従姉。だから心配してるのよ」


 ロックハーティアは閉じた扇の先で、スカーレットの胸の勲章をとん、と叩いた。


「メリル殿下と親しくして執政官の座を狙っているんじゃなくて?」


 スカーレットはロックハーティアの言葉に溜め息交じりで苦言を呈しただけであった。


「混血の薔薇は淑女的に話もできないといったところか……そのような女が主の国が気の毒とだけ申し上げましょう」


 ロックハーティアは声を軋らせて、スカーレットを睨めつけた。目障りなものを見る、そんな視線だ。


「そんなことが言えるのは今のうちよ……一兵士の分際で!」


 メリルが反論しかけると同時に、ロックハーティアは身を翻している。追いかけようとしたメリルの腕をスカーレットがそっと止めた。反駁を吐きかける表情の不服はそのままに振り向いたメリルを、スカーレットは諭した。


「言わせておけばいい」


 そこへダズマールとミゼルがやって来たので、メリルは握りしめた拳をほどいた。

 しかしロックハーティアの捨て台詞は聞こえていたのか、既に遠ざかっているロックハーティアの耳に入らない声で、ミゼルがぶつぶつ言っている。


「お姫さまが聞いて呆れるってもんですね」

「ミゼル、仮にも同君連合国の主人だからそういうことは心の中でだけ言ってくれ」

「公国はお婿が来なくて滅ぶ気がしません?」

「勲章の授与式は四日後、また公女も来ると思うと憂鬱だ」


 ダズマールはさらっと話題を変えて、後輩が振ってきた下世話な問いかけを流した。スカーレットもダズマールの言葉に苦笑を返す。


「そうだな」

「この国にとって公女は完全に、目の上の瘤(こぶ)でしかない」


 ロックハーティアは邪魔者――そう意訳できるダズマールの台詞を自国への脅威として懸念の声を上げたのは、意外な人物であった。


「エリク公女は王位継承の第一位……大きな脅威と見なしていいだろう」

「親父……」


 顔だけが気が抜けたようで、ぼそりと呟いたのはミゼルである。

 ローブを揺らしてゆったりと近づいてきたのは執政官の勲章をつけた六十代くらいの、白髪混じりの黒髪の男――次席執政官クロードであった。

 彫刻のような顔立ちの、厳しい表情は息子の方には欠片もないが、宮廷の第二派閥の代表者で、ミゼルの父親である。

 父の代まで弱小政治家であった家をたて直し、次席執政官にまでのぼりつめた新興の家系でありながら、宮廷に派閥を持つ実力者だ。

 尤も息子のミゼルは庶子なので、認知されてクロード家の姓を名乗るが上に政治家の異母兄がいるために父を父と呼んでも、親しみのない口調である。日頃の関係、その希薄が目に見える。

 スカーレットとダズマールは、クロードに会釈した。ダズマールが言葉を引き継ぐ。


「継承順位は薔薇の血を持つ者の年功序列ですからね……母親が陛下の姉君という公女が、先に生まれたばかりに」


 クロードは頷いた。だがローブの下で組んだ腕をほどいて、思案げに角ばった顎を撫でる。


「……だがまあ、次期君主問題になる頃には、陛下がしかるべき理由で殿下を選ぶだろう」


 そこへ今一人、別の足音が聞こえてくる。派閥を持たない最強の執政官バフォメットが、一人悠然と歩いてきたのだ。クロードがぴくりと眉を動かす。バフォメットは今日の天気でも話題にする口調で、にこりとして無機質な笑声(えごえ)を出す。


「皆さん、お揃いで」


 バフォメットはクロードを一顧だにせず、メリルに目礼する。それから黒いマントの端をひらりとさせて、スカーレットの前の歩み出ると、薄手の手袋をした細い手に口付ける。

 バフォメットはあくまで恭しく、スカーレットの美貌を見据える。


「中将、少し話がしたい……お時間を頂戴しても?」

「話? 私に?」


 慇懃に頷いたバフォメットに、スカーレットは応じた。


「分かった、すぐに行く」


 バフォメットはスカーレットを呼ぶという用事が済むと、他の者たちには目もくれずに身を翻す。スカーレットはバフォメットについて退出した。

 ミゼルが唇を尖らせる。


「内緒話かよ」


 ミゼルが横目でみた父の顔色は、今までに見たことがないほどの猜疑心に満ちていて、ミゼルは自然と口を閉じていた。

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