また会う日まで

石動 朔

白銀に耀う鳥を、俺は見逃していた

「わ...マジで雪だ」

 君は隣でつぶやく。

 朝の予報でも午後から雪とは言っていたが、ここまで荒れるとなると学校も5.6限を放棄して休校せざる負えなかった。


「でも、こんな雪で休校とかさすが東京って感じだな」

「そりゃあ北海道育ちは慣れてるかもだけど、地方と違って交通機関に影響が出るんですよー」

 俺のコメントを的確にツッコむ彼女に、俺は何も言えない。


「でも次は暖かいとこなんでしょ?良かったじゃんっ」

 渋い表情をしている俺を見て励ましてくれたのだろうか。そう言って君は体に見合わない大きさの傘を勢い良く開いた。


 降っている、というか横殴りしてくる雪に目を奪われるような美しさはなく、ただただ右から左へ強風と共に流れていっている。

 雪の一粒一粒が大きく、傘からは「ぼと」と鈍いものが絶え間なく吹き付けていた。元々雨だったものが雪になったので地面は濡れていて、地上に降り立った結晶の塊は次の仲間を待つことなく透明へと化していく。


 目の前から赤や黒のランドセルをガタガタと鳴らしながら走って来る小学生が見えた。傘は刺さず、上を見上げながら走っている。

「いいねぇ若いって」

 君は微笑みながら楽しそうな子供たちを眺めている。

「あんたがここに来た時も、ちょっとだけ雪、降ってたよね。懐かしいなぁ」

 つぶやいた彼女は下を向き、防ぎきれない足元の雪をほろっていた。

 

 小学校で二回ほど転勤した俺は、ああ、あんまり親しい友達は作っちゃいけないんだなと気づいた。

 行くとこ行くとこ全て同じ訳ではない。ある場所は俺を歓迎してくれるし、ある場所はいじめに似たものをしてくるところもある。どちらにせよ、結局自分はまた、自分さえも知らないどこかに行ってしまう。

 今回は、みんなが程良い距離感で接してくれた。年を重ねれば俺のような存在の扱いがわかってくるのだろう。正直、そっちの方が俺もありがたかった。でも...


「私はね。あんたと関わって良かったって思うよ。後悔なんてない。そっちはどうよ、ぼっち回避できて良かったやろ」

 

 そうだね、良かったよ、なんて俺は言えなかった。


 君は無責任だ。本当に。無責任にも程がある。

 小学校の時の友達なんか連絡先も繋がってないし、すでに覚えている事も少ない。

 けれど、君は違う。出会った年も関係はしてくるが、それだけじゃない。この一年間で君に与えられたものは数え切れなかった。どんなに近づかないで欲しいアピールをしても拒まずに話しかけてくれて、一人じゃできない事、見れないものをたくさん味合わせてくれた。


 君の表情や声や仕草が、俺の世界に溶け込んで、すでに取り返しのつかないところまで来てしまっていた。


 そんな俺の気持ちなんか一切考えずに淡々と別れを惜しまない態度が、少し気に食わなかった。

「そうだよ。お前が俺を一人にさせてくれなかったせいで、こんなに辛い思いを味わってんだ。どうしてくれるんだよ...こんなん、何時までもお前の事、忘れられなくなるだろ...」

 いつの間にか傘は落ちていて、上から一つ、また一つと雪が折り重なっているのがわかった。

 俺は息を吐いた、白い空気は風に流れて俺の前を横切る。

 次に見た君の顔は、俺が初めて見る表情だった。


 彼女が傘を置いて、俺に近づいて来る。あと一歩のところで、俺は彼女を見つめた。

 俺は、唇を噛みしめその横を流れる一粒を掬い上げて、永遠に凍らせて大切にとっておいてしまいたいと思った。それ程に、彼女の見せる泣き顔は俺の心を締め付けさせた。

 

 俺は一歩近づいて、そっと腕を回す。すると彼女は手加減せずに俺に体を委ね、その全てを俺のコートに押し当てた。

「そんなの、私も同じに決まってるじゃんかばかぁ...」

 彼女は俺のコートに顔を擦り付けて言う。

「私も、あんたとこんなになるまで仲良くなるつもりなかったのに...もうあんたのいる生活に慣れちゃったの。どうしてくれんのよ、もう...」

 その後も、彼女は泣きじゃくりながらずっと何かを言い続けていた。

 その間、俺は一つも言葉を発さずにただ君を抱きしめていた。寒さで表情の筋肉が言う事を聞かなくなったのか、自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。


 先程まで五月蠅かった子供たちの声が静まり、辺りは沈黙を続けている。

 そっと、彼女は俺から離れた。

「ご、ごめんっ取り乱しちゃった」

 そう言って鼻を啜りながら、前髪をいじっている。髪に乗っていた塊がほろほろと落ちていっては新しい雪が積もっていった。

 いつの間にか風は止み、雪の勢いは穏やかになっていた。


 先に沈黙を破ったのは俺だった。

「あの、さ。俺、君の事」

 頭が回っていなかったんだ思う。俺は今思っている事をそのままに伝えようと思った。しかし、彼女は俺の発言を途中で制した。


 しばらく俺の口を塞いだ後、彼女は言った。

「きっとね。これは世界で初めての病なんだよ。うん、そうだよ。私達だけの病気。そうだな...えっと...朱鷺患ときわずらい。これは、これはこういう病なんだよ。聞いた事、ない?」

 彼女の笑みには奥底に見えない何かが隠れていた。そして俺は、その君の意図に気づく。

 彼女の選択は、正しい。正しいけれど、それが必ずしもハッピーエンドになるとは限らないのは確かだ。

 しかし、俺は君の言う芝居に付き合うしかなかった。そうする事で、全てが平らに収まるんだ。

「朱鷺患い...か。いいね、病にしてはお洒落すぎるぐらいだよ」

 まさに、今の彼女の頬には朱鷺色でいっぱいになっている。考えれば考える程、ますます彼女を見つめてしまう自分がいた。

 

「出発は、明日なんだよね」

 再び歩き始めた俺らは着実にそれぞれの家に近づいていた。

「そうだよ。せっかくなら明日の朝に雪合戦でもしたかったな」

「ねぇ、今そういう事言わないでよまた泣いちゃうじゃんっ」

 そう言いながら、笑ってコートの袖で俺の腕をはたく。

「じゃあ次会う時に、もし雪が積もってたら、その時は雪合戦しようね」

 そうしよう、と俺は彼女に負けじと、明るいの声を出して答えた。



「にしても、この景色は本当に綺麗だな」


 別れ際、俺は君に向かって言う。

 景色に関してこんなにも心を動かされるのは生まれて初めてだった。


 しかし、返事はすぐに来ない。悩んでいる彼女に声をかけようとしたその瞬間、彼女は何かに気づいたのか、慌てて俺を見つめ、そして妙に口角を上げた。


「その綺麗な景色、きっと引っ越し先で見たとしても、そうは感じないはずだよ」

 そう言ってやけににやにやする彼女に、俺は余計もやもやが増し、どうしてと少し強めに聞く。すると彼女はさらに笑みを零し、こう言った。


「それは、絶対に何かが足りなくなるからだよ」


 最後に彼女は俺の胸に腕を突き出して、「向こうに行っても頑張れよっ」と言った。突き出した腕に俺がコツンと拳を合わせると、君は手を半回転させてその手の平を広げた。

「ミサンガ、足首につけてね。切れたら願いが叶うらしいよ。...じゃ、今度こそ、またねっ」

 

 そう言って駆け出した君の後ろ姿を、俺は目に焼き付けた。

 もう忘れられない代わりに、彼女の姿を最後まで見つめた。

 雪のせいで視界が霞むまで、静かに、しかし心の情念を絶えず燃やしながら。


 いや、あれは雪のせいではなかったかもしれない。

 それでも俺は、雪のせいにした。



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 福岡空港に着いた俺は、その光景に笑う事しかできなかった。

「まぁ、あいつ馬鹿だし西に行けば暖かくなるとか思ってるんだろうなぁ」

 滑走路に広がる一面の雪景色は、窓越しでもわかる程に壮大だった。

 ただ、それだけだった。


 福岡駅に着き、ロータリーに出る。空港から地下鉄だったため外の世界は見れなかったが、ここも相変わらずしとしとと雪が降っていて、足跡が残る程には積もっていた。

 ただ、それだけだ。


 おかしい。

 場所が違えど俺があんなに、感動した光景と変わりないじゃないか。

 あれ、いや、違うな。俺は東京に来る前は北海道にいたんだぞ?

 雪には慣れているはずだ。

 でもあの時、確かに俺は、初めて見るような......そうか。

 そうだ、確かにそうじゃないか。

 

 なんて、なんて俺は馬鹿なんだ


 俺はスマホを取り出して、急いで電話をかける。

 数コールもしない内に君は電話に出る。まるで俺が電話をかけるとわかっているかの様に、君は少しの笑みを零していた(のだろうと容易に想像できた)。


 そして、君は言った。

「ただの白一面じゃ、満足いかないでしょ?だから言ったじゃん。私たちは、に冒されてるんだよ」

 俺は沈黙を維持する。この景色を、感動を完成させるには。



 答えはもう、わかっている。








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