第23話 会社の文哉と司
定刻通りに出勤した文哉はオフィスに向かうエレベーターに乗ろうとしたところで司の姿を見つけた。
「司、おはよう」
「主任、おはようございます。あれ、前髪切ったんですか?」
全体的にだいぶさっぱりした文哉の髪は、前よりボリューム感が抑えられて固められていた。すっきりした印象に眼鏡を掛けたクールな顔つきと眼鏡の奥の小さな黒目。同じくデキる男感百点満点の司と共に、朝から社員たちの注目の的となっていた。
「ああ。昨日東真くんと南央ちゃんの髪を切るついでに切ってきた。2人とも本当に可愛いんだよ」
文哉はクールな印象を台無しにする溶けた顔でスマホの画像を見せる。司は苦笑しながらその画面を覗き込むと、こちらも顔を綻ばせた。その表情に周囲がざわめくけれど、2人は一切気にしていない。
「やっぱり可愛いですね」
「だよな?」
東真と南央のツーショット。肩ほどまであった髪をハーフアップに纏めていた東真は、耳が見えるくらいまでバッサリと髪を切った。前髪もおでこが見えるくらいまで切られて、キリッとした凛々しい目元が露になった。
南央もボサボサになるほど量の多かった髪が梳かれて、いつものハーフアップツインテールが収まりよく纏められている。重たい前髪も短くなって、大きな目が強調されるようになった。
「東真くんって本当にイケメンですよね」
「それをお前が言うのか」
苦笑した文哉がちょうど到着したエレベーターに乗り込むと、司は肩を竦めながらもそれについて行った。黙ってオフィスがある階まで上がる。そして廊下に解放されてからまた会話の続きを始める。
「司は東真くんたちが関わると表情が緩むな」
「そう、みたいです。昨日は全然表情が動きませんでした。なんなら、普段使っていない筋肉を使って顔が筋肉痛になっていたくらいです」
「ははっ、まあ少しずつだな」
司がいつもの無表情のまま頬に触れる。手でゆるゆると動かす頬は液体かのように柔らかく動いた。
「それと、一昨日のメッセージの件だけど」
「はい、西雅くんとは話せましたよ。西雅くんはスポーツ推薦で大学に行くようです」
「そっか。聞いてくれてありがとな」
「いえ、僕も西雅くんとお話したかったですから」
司の言葉にニヤリとしたり顔をした文哉は、司の肩をポンポンと叩いた。横並びのデスクに腰かけると、それぞれが仕事を始める。メールの開封をした文哉はゲッと顔を歪めた。
「司、午後に来月の島川原カンパニーとの合同イベントの件で営業と先方と会議があっただろ?」
「はい、14時から3B会議室ですよね」
「そうそれ。向こうの都合で1時間早まるってさ」
文哉が肩を竦めると、司は励ますようにその肩を叩いてスケジュールを確認し直した。
「午前の業務が終わり次第セッティングしますね」
「俺もやるよ。昼休み返上かぁ」
「折角の東真くんのお弁当が食べられませんね」
「本当だよ」
文哉は鞄の中の包みをちらりと見やってため息を吐く。1日の楽しみを奪われた人間らしく、文哉の作業ペースが低下した。
「主任、今やらないと残業になって夕食も食べ損ねますよ」
「それはマズい」
司の言葉にまた文哉のペースが上がる。その様子に司は小さくため息を吐いた。
「主任って案外単純ですよね」
「さっきの写真あげねぇぞ?」
「すみませんでした」
2人は笑い合うとパソコンに向き直った。文哉は司の綺麗すぎない自然な笑みを思い出して頬を緩めて気合いを入れ直した。
それから黙々と仕事をこなした。そして午前の業務が終わると、肩を並べて3B会議室に向かった。
「机動かしますね」
「分かった。椅子は任せろ」
2人で前向きに並んだ机を会議用に向かい合わせに組み直す。それが終わると使わない分を隣の倉庫に移動させた。この作業がなかなか骨が折れる。
「どうして小会議室が使えないんだ」
「それなら社内報に出ていましたよ。空調が壊れていて、その修理のために来週まで使用禁止になっているそうです」
「全部一気に壊れるかよ」
「全部一気に取り付けましたから」
文句を言いながらも手は動かす。思いの外早く準備が終わって、歯磨きの時間を考えても5分くらいは食べる時間が取れそうだった。
「急ぐぞ」
「はい」
急ぎ足でデスクに戻った2人は、その足で食堂に向かう。そこでパッとお弁当袋を広げると、おにぎりにかぶりついた。手っ取り早くエネルギーになるおにぎりだけでも食べておけば、午後もどうにか乗り切れる。
「おかずもちょっと食べるか」
3口で食べられるくらいの小さめのおにぎり2つを完食した文哉は、腕時計をちらりと確認してからお弁当箱を開けた。その隣で文哉の倍はあるおにぎりに苦戦していた司は、お弁当箱の中身の彩の良さにゴクリと口の中のものを飲み込んだ。
「基本に忠実な最高のお弁当ですね」
「そうなのか? あ、それ食べ終わったら卵焼き食べるか?」
「良いんですか?」
「マジで絶品だからな。むしろ食べて欲しい」
つくねを堪能する文哉の横で、司は最後の1口をどうにか飲み込んだ。文哉はそれを横目で見ると、司の口の前に卵焼きを差し出した。
「いただきます」
司は文哉の箸にかぶりついた。卵焼きをひと噛みした瞬間、目を薄く細めた。
「絶妙な塩加減ですね。それにゴマとしらすも良い具合にマッチしています」
「味は日替わりなんだよな。朝の匂いで予想して、昼に答え合わせをするのも楽しいんだよ」
文哉はニッと笑うと、おかずを半分、おにぎりも2つ残して袋に仕舞い直した。
「よし、残りは会議の後な。歯磨き行くぞ」
「はい」
2人はまた急ぎ足で食堂を出て行く。疲れも吹き飛んだすっきりした表情の文哉だったけれど、歩きながら袋の中のまだ中身が残っているお弁当箱を覗き込むと未練がましくため息を零した。
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