ホテル、推理パート2
成安は安井からの通話をスピーカーにすると、机の上に置いた。
4人の視線が白いスマホに集まる。
「成安だ。なにか分かった事があったか?」
『わかったって言うか、衝撃的なコメントを発見いたしました! 遠藤さんがSNSにさ、和弓の画像を投稿してたんだけど、誹謗するような事が書いてあったんだって。そのアカウントはたぶん板野さん。裏アカウントだと思う』
「それで、なんてコメントしてたんだ?」
『インチキしてる噂、知ってます。その弓で、練習試合に参加する気ですか? 弓道家としてどうなの?……って』
拓真の表情がひきつった。
今高と國丸は目を合わせた。
『そのアカウントの性別は非公開なんだけどさ、投稿した画像の中に、相葉くんが藤本くんに馬乗りしている画像があったの。これはっ! と思ってコメント読んだら。弓道場でこんな事する? ちょっと刺激的〜って。そこにね、鈴木さんがコメントしてたんだ。〝見かけによらず、腹黒い人ですね〟って』
今高のスマホに、伊田からアドレスが送られてきた。それを開いた今高は、コメント覧を表示した。そこには確かに馬乗りした写真、だが手元は写っておらず、それが板野だと判断する事は出来ない。だが、國丸はその写真をじっと見たあと、こう言った。
「これ、選手控室だよね。小さいけど、鏡に写っている人は板野さんじゃない? ほら、見にくいけど、爪みたいな部分が赤い」
弓道場の射場には、体全体が映り込むほどの鏡が設置されていた。今回選手控室として利用されていたのは、遠的場と呼ばれる射場。拓真と相葉は、その矢道にいたのだ。
遠藤と板野はSNS上で激しく揉めるようなやり取りをしている。同じく鈴木がしたコメントに対し、反発もしている。それが裏アカウントであり、板野の本心を表しているのだとしたら。板野は攻撃的な性格、かつ、矢摺籐に色を塗る動機がある。それは、遠藤が新しく買った和弓に対し、最初から否定するようなコメントをしていることから、以前より不信感がある事を示唆しているからだ。
拓真は鈴木の言葉、それと相葉から見せてもらった写真を思い浮かべた。
〝芝居が上手そうだから〟
拓真は壁にもたれかかり、腕を組むと思考する。投稿時間からして、鈴木がこの事を把握したと仮定した場合、その後、何らかの理由で板野の持ち物を見つけた。嫌味のようにコメントを投稿し、わざと板野を怒らせた。その理由はわからない、だが……練習試合1日目が終わったあと、板野は鈴木を待っていたのだ。そして、鈴木は相葉と拓真の画像を見せた、同一人物でしょうと言ったのだ。
そして板野は自分じゃないと否定するため、落とし物を受け取らず、去っていったとしたら……。もし、そのポーチの中には矢摺籐に色を塗った赤い塗料が入っていたとしたら、その事実を鈴木が知っているとしたら、筋は通る。
『それでね。メインだと思われる、板野さんのアカウントにはね、〝大事な物を落としました、たぶん矢取りの時かな。ポーチ探してまーす〟ってコメントしてあるの。自撮り写真と一緒にね。今日の昼休み中にもめっちゃ写真投稿してるから!! でもさ、どの画像もめっちゃ美人なんだって! 板野さんをフォローしてる数も凄いよ! そんだけ!』
「ありがとう。また何か分かったら教えてくれ、通話を切るぞ」
『わかりました〜』
成安は通話を終了すると、板野のSNS 画面を見つめながら、眼鏡を押し上げた。
板野の投稿した写真内容を確認すると、拓真に言った。
「君が言っていた、板野の証言は虚偽だ。この投稿内容の時間、コメントを入力する量、場所を考えれば、射場からすぐに出た可能性は低い」
「なんで言いきれる?」
「君はSNSをやっていないから分からないと思うが、写真には様々なデータが付与されている。板野の場合、位置情報こそ入っていないが、写真を撮影した時間は記録として残っている。それに、弓道場の様々な場所を撮ってまわっているようだ。写真撮影を禁止していたわけではないから、この行動に問題はない。ただ、射場を出たと言っていた時間も、複数回に分けて撮影した写真を投稿している。コメントも入力していることから、少なくとも、10分程度は射場にいた可能性が高い」
「そう……なのか?」
拓真はSNSをやっていないが、位置情報や写真情報の事は知っていた。そのため、成安の言っていることは理解できた。
だが、そうなるとなぜ板野は、相葉と射場に入ったなどと言ったのだろうと拓真は考えた。そうしなければならない理由が、あったのかと。
成安は言った。
「仮定の話をしよう、相葉が射場にやってきたとき、板野は射場で写真撮影をし終えた。そして相葉は中仕掛けを直しはじめた。板野がいつまで射場にいたかはわからないが、もし矢摺籐に色を塗るとしても、相葉が近くにいても塗ったのだろう。かえって盲点かもしれない。中仕掛けを直している最中は、視野が狭くなるはずだ。塗料が硬化する時間もそうだが、鈴木が証言する事にも該当する」
中仕掛けの調整、それは基本的に座った状態で行う。基本的に弦と至近距離の位置で作業を行うため、少し離れた場所なら、視界に入らないといった理屈は通る。それに、木工用ボンドを用いるため、相葉の鼻はボンドの臭いのせいで、塗料の臭いに気がつかない可能性も十分にある。それに射場は開けた場所だ、相葉が気が付かず、小野田が気が付かずとも、なんら不思議ではない。
成安は中指で眼鏡を押し上げ、言葉を続けた。
「確かに………でも大胆すぎやしないか?」
「気持ちの問題じゃない、可能か不可能かだと思う。実際、この場合鈴木の証言にもあてはまる。投稿された写真の撮影時間は、板野が居ないと言っていた時間、射場にいたことを証明している動かぬ証拠だと思う。そして、板野には動機がある。裏アカウントを使ってまで、遠藤の弓について否定している。これは立派な動機だ。なぜ裏アカウントを使って否定する必要があるのか、それは板野が持つメインのアカウントは人気ものだ、フォローの数もすさまじい、アイドル級だ。当然、人気を維持しようと思うなら、メインのアカウントで、人を誹謗、中傷するような発言は絶対しない。だからこその裏アカウントだ」
拓真は納得した、確かに筋は通っている。
「板野の手先が器用なのかは分からないが、板野は3年生、1年生の鈴木と比較すれば、遠藤を不快に思っているという動機もある。理論的には一番犯人に近いのが板野だと思う」
「アカウントを複数持ち、片方では攻撃的なコメントをする……確かに、弓に細工した遠藤を失格させるために、塗る可能性はある。だけど……人の横でやるか?」
「私の場合、やる人はやるんじゃないかと思う。君は矢摺籐を直しているとする、横でT字型の定規を持った人が、和弓を手に持ち、弦の高さを図ったり、調整している。何も不思議がらないだろ?」
「確かに、弓道家であれば、自分の弓を調整しているだろうとしか思わない」
今高は寝転がりながら言った。
「俺が思うのはさ、拓真が推理した方法もひとつの可能性だし、成安が言っている事もひとつの可能性でいんじゃねぇの?」
國丸は壁にもたれかかり、首を曲げながら言った。
「それに、具体的な証拠もない状態の話だし、あくまで推測でしょ? 性格って理由なら、鈴木よりも納得がいく理由がそろってると思うよ」
〝容疑者。板野宇美、こげ茶のサイドポニーヘア〟
拓真は腕を組み、天井を見上げた。成安の推理にも一理あると。
それに、拓真が思いついたトリックよりも、成安のほうが単純だ。それは、実行する事を前提に考えた場合、多くの人が板野の発想をするだろう。現に、鈴木の証言の裏をとれば、板野の行動、性格も理解出来る。
だが拓真は何かが引っかかっていた。それならば、相葉や小野田だって該当するのでは……いや、思いたくない。黒咲に限っては、鈴木と遠藤の矢摺籐を確認した。その場合、どちらかが嘘をついていれば、あるいは共犯か……。
成安は拓真に言った。
「君の発想が奇抜なのは知っている。でも、先輩に逆らうような事は基本的にしないだろう。3年生の先輩、それも他大学の先輩の弓に色を塗ろうと思う発想がよく分からない。そこは自分の考えを当てはめるべきじゃないと私は思う。言いかえれば、拓真の性格は変わっていると思ったほうがいいな。私は状況的にも、板野が最有力候補の犯人だと考えている。君はどうだか分からないが」
「俺の中で最有力候補は鈴木舞香だ、動機は……わからない」
「そうか。まぁ、少し休憩しよう。さすがに疲れた」
「ははは、そうだな。ちょっと待ってろ」
今と國丸も頷いた。
拓真は席を立ち、レジ袋からパンを取り出すと机の上に置いた。
「みんなで食べよう。甘くて美味しい」
「なはは、藤本が食料をシェアするとは、正直驚いた」
「まぁな、たまにはな」
拓真はチョコチップをかじる。成安も、今高や國丸もかじる。
ここまでの疲れを癒やすかのように、関係のない話をしつつ、しばらく休憩をとった。拓真は時間を確認し、もうこんな時間かと心の中で呟いた。
成安も眼鏡を外し、目頭をマッサージしている。
拓真はパンをかじりながら思考する。考えれば考えるほど、様々なパターンが思いつく。もし隣に誰かいても、矢摺籐に色を塗る事が可能であるなら、犯人の線引きは塗料の硬化時間を基準にするしかない。ほとんどの人物が該当してしまう。
どうすればいいのか、どう判断すればいいのか。
その時、拓真の電話が机の上で鳴った。———寺尾からだ。しかし、情報に関する事については、成安の電話に掛けるようになっているはず。拓真は疑問に思い、そのままスマホを耳に押し当てた。
「はい。どうした?」
『寺尾です!』
「いや、分かってるよ……」
『あのさ、めっちゃ話変わるんだけどさ。藤本はぶっちゃけ、誰が犯人だと思っとん?」
「え? 今のところ……」
拓真は話の意図が見えぬまま、寺尾に犯人は鈴木か板野だと伝えた。
それは推測であり、確信がないことも。物的証拠もない。
だが、拓真は残る4人の想いを胸に秘めている。それは、拓真自身が信じたいと思うだけの事。成安や今高、國丸には否定される部分もあるが、心の奥底にある言い表せれない気持ちが確かにあった。
電話越しに、伊田の声が聞こえる。「それ本当に言うのぉ?」と聞こえた。拓真は後頭部を壁につけた。
『そうなんだ。じゃあもうそいつでいいじゃん。ウチは正直よく分かんないからさ、藤本が決めたやつが、もう犯人でいいじゃん』
「なんだよそれ……そんな理由でいいのか?」
拓真は苦笑う。その様子に、成安が興味深く視線を向ける。
今高は寝転がりながらも、拓真を見た。
國丸は、まぶたを開き、眉毛を上に移動させた。
『こんな事言うのもなんだけどさ、ぶっちゃけなんでもよくね? だって矢摺籐に色を塗っただけじゃん。ウチてきにはさ、人を見る目に関しては、藤本が一番だと思ってる。だったらさ、間違えても、あなたが犯人でしょって言っちゃえばいいじゃん!』
寺尾の疲労は限界だった。眠たいのに、なんでこんな事しなきゃいけないんだろうと思っていた。
電話越しに、伊田も、安井も、小町も。その疲労は限界に達しようとしていたのだ。それは成安も、今高も、國丸も。
そもそも、練習試合の大会運営を目的としてここに来ている。それが本来の目的なのである。成安や拓真にとって大事件でも、他の者にとってそう感じていない者もいる。拓真はため息を吐いた。
だが———。
『藤本らしく、もう好き勝手やればいいじゃん! 無茶苦茶な事とか、ウチには出来ないけどさ、藤本なら出来ちゃうじゃん。襟足はちょっと長いと思うけどさ」
「……好きなように?」
ガチャガチャと音が鳴り、寺尾の変わりに、伊田の声がした。
『さっき寺尾と話してたんだけどぉ。藤本のやりたいようにすればって。もちろん協力はする』
「そっか……色々と付き合わせてゴメン。ありがとな。もうこんな時間だ、
『え? あ、はーい。じゃあおやすみ〜』
拓真は通話を終えると、スマホを机の上に置いた。
成安は「その顔、マジか」と言うと、眼鏡をクイクイっとする。
今高は「神ゲーやって寝るわ」と言うと、アプリを起動した。
國丸の眉毛は小刻みに上下すると「僕は瞑想しとくよ」と言って布団を敷き始めた。
拓真は立ち上がり———襟足をかき撫でた———。
「成安、主将達に犯人見つけるって言ったんだろ?」
「そうだけど。お前マジで好き勝手やる気か? 犯人間違えたら謝罪しなきゃならんのだぞ!?」
「いいじゃん別に。その時は俺も一緒に謝るよ。だから……俺は決めた。証拠はない、でも犯人は絞れた。あとは───」
拓真はゆっくりと部屋の隅へと歩いていく。置かれてある遠藤の和弓に、黒い弓袋をかけていく。いま、拓真の白いフリースの裾は揺れ、黒い髪はなびいた———エアコンの吹き出し口が、スイングする。
黒咲の悲しむ涙———遠藤の秘める想い———小野田の勇気———相葉の笑顔———。
その襟足に宿る想いが、人の影が、まるで蜃気楼のように現れては霧のように飛散していく。成安は幻覚を見ているのかと、目を疑った。
拓真は弓袋のヒモを結ぶと、そっと弓を壁に立て掛け、成安の方に体を向ける。
拓真を見た成安は、
なぜなら拓真の瞳は———狼のごとく鋭かったのだ。
拓真は覚醒した。理屈で推理するのではなく、自分らしい推理を貫き答えを出せばいい。拓真は100人中のうち100人が右に行こうが、後ろに行きたいと思ったらそっちに行く男なのだ。常識、調和、固定概念にとらわれない思考の持ち主であり、覚醒した拓真が学連内で起こしてきた事件は数知れない。
だが———拓真は決め台詞を放つ。
「オレ、想いで推理するんで」
委員長は絶望しているが、拓真には考えがあった。それは推理した情報を武器に、犯人に対し心理戦を挑むのだ。
成安の眼鏡が曇る。———終わった、寝よう。と言いたげだ。
*
成安は───板野宇美が犯人だと考えている。
しかし、決定的な証拠を掴むまでは、断言は難しいと思っていた。
成安は、〝赤い塗料は、鈴木が持つポーチの中だ〟と睨んでいる。
なぜ板野が矢取り道にポーチを持っていく必要があるのか、成安には理解出来ないからだ。邪魔になるようなものを、わざわざ大事に持ち歩く必要があるのかと。
板野が鈴木から受けとらなかった理由。鈴木は板野の犯行をすでに見抜き、何か揺さぶりをかけたのだ。だからこそ、板野が怒ってしまった。拓真にジュースを奢らせる鈴木なら、その程度の事はやるだろう。
〝鈴木は板野を犯人であることを知っている〟だからこそ、情報屋などと言い、この事件の推理を楽しんでいるのだと。
明日の朝、鈴木からの情報で答えが出る。成安は、そう確信していた。
*
拓真は───鈴木舞香が犯人だと考えている。
決勝戦での出来事、拓真が遠藤に失格を言い渡した後、板野が遠藤に放った言葉に、嘘はないと感じていたからだ。
〝いくらアンタがムカつくからって人の弓に目印なんてつけない!〟
板野は、回りくどいことはしない。それは間違いないと感じた。
それに、鈴木が言っていた不自然な動き。
〝午前中の立ち稽古で、金髪男が
拓真にとって、遠藤の矢摺籐の動きには練度を感じた。あれだけの動き、よほど練習していたに違いないと。それは遠藤が心に宿すチームへの想い、その強さこそが遠藤を鍛えたのだ。
鈴木は嘘を言っている。あの動きを見抜けるはずがないと、確信していた。
明日の朝、拓真は鈴木に勝負を挑む。
***
室内が薄暗くなったあと、拓真はカーテンを空け、窓を開けた。ほんのりと暖かいそよ風が吹き、それが心地よかった。
一瞬で静まり返った室内に目を向け、拓真は思い出し笑いをする。拓真が学連の役員になったのは大学2年生の春。そして、メンバーとの付き合いは約2年だ。短いようで長い付き合い、だがそれも、あと1年もたてば終わってしまう。
拓真は辛気臭い気持ちになりながらも、ぼやいた。
「俺が遠藤に失格を言い渡したこと、後悔はしてない。こうやって、またひとつ思い出が増えたんだからな。学連を引退しても、いい付き合いが出来るといいな」
拓真が見上げた空には星影が広がっている。ひっそりと月明かりを照らしていたのは、反り返る和弓のような形をした
拓真は魅入ったあと、静かに窓を閉めた。
〝タイムリミットまで、あと13時間30分〟
───犯人は、次の回で確定する。
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