気分転換

 アリスはシナリオライターとしてあらゆる仕事を受けて来たんだ。アリスだって得意不得意はあるけど、どんな依頼でも書いてこそプロだと思ってたからだ。もっとも好き嫌いが言えないぐらい切羽詰まってたのが十倍大きかったけど。


 でもこの依頼は書きたくなかった。このテーマはとにかくややこしいし、どう書いたってケチがつきそう。それ以前にこの問題の本質がサッパリ理解出来ていないのが致命的だ。


「ボクも手を出さない方が賢明だと思う」


 LGBTQに関連した啓蒙映画のシナリオなんだけど、そもそもQが良くわからないのにQを主役にしろって要求だった。アリスだってLGBはわかる。これは単なる性嗜好の問題だ。女でありながら女を愛すのがレズだし、男でありながら男を愛するのがゲイだ。Bはその応用問題みたいなもので、男でも女でも愛せるからバイだ。


 人には生物学な性がある。いうまでもなく女と男だ。LGBは生物学的な性を前提としての性嗜好の違いだ。これもアリスのようなノーマルにとってはバリバリの違和感があるけど、そういう性嗜好の人がいるのぐらいはは知ってる。


「そういう人たちって自分の仲間だけしか興味がないらしいな」


 らしいとは聞いている。自分たちが少数派である自覚があって、レズなら女に愛されたい女しか対象にしないし、ゲイもまた同様。ただしバイは理解出来ないところが多々残る。まず異性を愛するのはノーマル感覚で良いのかもしれない。


 だけどだよ同性になると一遍にややこしくなる。だって女が女を愛せばレズだし、男が男を愛せばゲイだ。レズとかゲイになればお相手もそういう性嗜好がないと愛し合えないはずじゃないか。


 さらにだよ実際のところなんて知る由もないけどバイって男と女と同時に付き合うものだろうか。それこそ今夜は異性を愛し、次の夜は同性を愛するとかだ。それが出来るからバイって言うのかもしれないけど、相手にしたらタダの二股野郎になり、二股女に過ぎないのよね。


 それを言い出せば異性と付き合うのさえ微妙になってくる。異性同士が愛し合うのはノーマルだが、お相手がノーマルの時にだよ、自分の相手が同性も愛せるバイってわかっての事なんだろうかの疑問だ。


 そうなればバイに異性として愛してもらいたい相手になってくるけど、そうなればレズ世界、ゲイ世界と並んでバイ世界があってバイ同士が愛し合う世界を形成してるのだろうか。あっても良いかもしれないけどだいぶ理解を超えている。


 でもレズ世界、ゲイ世界と並んでバイ世界はやっぱりあるのかもしれない。バイ世界があるからいわゆるノーマルは影響を受けてないはずじゃない。LBGがノンケを無理やり誘い込むエロ小説やエロビデオではあるけど、現実社会で言うとノンケ同士のレイプの世界みたいな感覚の気がしてる。


 棲んでる愛の世界が違うから、たとえ机を並べて一緒に仕事をしても問題なんて起こらず、せいぜいノンケ側から『そういう人なんだ』で思われる程度で終わってるんじゃないかな。お互いのテリトリーさえ犯さなければ平和だもの。


「LGBを差別すると言うより、LGB側が上手く距離を取っているイメージかな」


 そんな感じ。だがTはかなり違う。Tは生物学的な性を否定している。生物学的には男であるのにこれを心が否定している状態だ。


「それでもオカマバーだってあるし」


 行ってるのかよ。たく男ってやつは・・・オカマバーには女も行くか。そこは置いとくとして、今では性同一障害でポピュラーになってるけど、性転換手術を受けてまで男なら女に、女なら男になりたい過激派みたいな連中だ。それでも考えようによっては性指向は一つだ。


「Qは鵺みたいなものだ」


 ホントにそう思う。性自認って呼び方をしてるみたいだけど、自分の性は自分で決めるって考え方がベースのようだ。Tと似てるところがあるけど、


「あれは違うだろ。いつでも性自認をコロコロ変えるのを認めろだもの」


 Qのすべてがそうかどうかはわからないけど、Tとは性自認への覚悟が違うみたいだもの。Tの目標は単純化すれば性転換をすることだ。現在の技術では手術になるけどあれは手術を受けたい訳じゃなく、自分の心に適合する体が欲しいぐらいで理解して良いはずなんだ。だがQはとてもそうとは思えない。


「いつでも性自認を変えられる権利を保留してるようなものだ」


 無理やり考えればバイの心版みたいなものになるのだろうけど、どちらかの性にいつでも戻りたいから体を手術まで受けて変える気はないで良さそう。たとえば男なら今は女の気分であっても、それがいつ男の気分に変わるかわからないところがあるのがQだからだろう。


「それよりもだ・・・」


 そこなのよね。LBGはそれぞれの愛の世界を形成している。だけどねTとQはそうじゃない。愛の対象はノンケにも及ぶじゃない。だってTは心の性に適した体を得ればノンケの異性を対象にするはずだ。むしろT世界の相手なんか選ばない気がする。


 それでもTは手術で性転換したハンデがどうしても残るから自制はある気がする。相手を選ぶ時にもそんな体の自分を理解して愛してくれる相手にするというか、相手にできないはずじゃないか。


「Qの性嗜好なんか聞いてるだけで頭が痛くなる」


 あれだろ、体は男でも心が女だから、女として女性用トイレや女子更衣室に入るのは当然の権利と主張する一方で、性嗜好はレズだから女を愛するって言うんだものな。それもノンケの女だぞ。


 そんなもの単に男が女を愛してるだけじゃないか。それも女装趣味の変態野郎だ。だけど心が女だから女装だって当たり前だと言うし、女を愛するのだってあくまでも心が女だからレズだって言われたって理解しろって言うのが無理だ。


「愛の行為だって・・・」


 そりゃ体は男だから愛する行為は男が女にやる行為と同じだ。これだってさ、本来はその人の心の持ちようみたいなレベルなら良いのだけど、これを公認し権利として認めろってしてるんだもの。それもだよ心の問題だから本当にそうかなんてウソ発見器を使っても判別は難しいだろうし、


「そんなもの持ち出せばどれだけの騒ぎを起こすことやらだ」


 そうなんだよな。これも不思議なんだけど、すぐに弁護士がしゃしゃり出てきたり、そんな弁護士と一緒になって国会にまでデモをするんだもの。それをさぁ、マスコミが一点の曇りも無い正義の運動って持ちあげるんだから始末が悪い。でもさぁ、この根底にあるのは、


「だからアリスは手を出さない方が良いって。政治に関わって変な色が着いたら仕事がなくなるぞ」


 そうなるよな。アリスも広い意味で芸能界の端っこぐらいにはいる。芸能人が政治に関わるのは要注意なんだよ。もちろんタブーじゃないから逆手に取って売りにしている人だっているけど、


「あれも不思議なんだけど、政治に突っ走る芸能人って、なぜか落ち目の人が多いんだよな」


 落ち目どころか、『あの人は今』状態の人が多いじゃない。『あの人は今』って人は知名度だけはまだあるんだよね。だから周期的に『あの人は今』で取り上げられるぐらいの価値はあるぐらいは言える。でもあれって昔の看板を再利用されてるだけにしか見えないけど。


「だからもうやめておけって」


 だから断った。あんな仕事を請けなくて済むぐらいになっていて良かったよ。とにかく依頼はしつこかったし、訳わかんないけど、どっかの議員の名前まで持ち出して来やがったもの。とくに活動家ってのが来た時にはウンザリさせられた。


 そりゃ、もうってぐらいしつこかったんだ。何度も何度も電話で断ったけど、それこそカエルの面にションベンとか、馬耳東風ってあのことだと思ったぐらい。直接会って話さないとデモまで仕掛けられそうだったんだ。


 仕方なく喫茶店で会わざるを得なかったのだけど、なんと十人も来てやがった。喫茶店の雰囲気が異様だったよ。そうだな。あれはなんか変な新興宗教の勧誘に引っ張り込まれた気分だったもの。あれは数と空気でアリスを圧倒しようとした戦術に違いない。


 なんとなくそうなりそうだったから時間を見計らって健一に来てもらった。忙しいのに悪いと思ったけど、あっちは十人で来てやがったから、アリス一人では手に負えないもの。健一が来てもらうまで地獄ような時間だった。


 健一は逞し過ぎる体ではあるだけじゃなく、ドスの兆次との死闘で傷跡がたくさん出来てるじゃない。その立派過ぎる勲章は実の親でもあるクソ親でさえビビリ上がるぐらいなんだよね。そんな健一がやっと来てくれて開口一番、


『話は終わりだ。もう聞くことなどない。アリス、帰るぞ』


 こう言ったら黙り込んでた。と言うより怯え切っていた。健一もなんだよあれ、普段の作業服じゃなく、どこかそれ風の格好をしてたものな。そんな健一なら本職に見えるだろうし、アリスはその極妻とか、愛人と勘違いされた気もしないでもない。


 とにかく手を出したらヤバイぐらいに感じてくれたんじゃないかな。言うまでもないけど手なんか出したら本職並みに無事の保証は出来ないけどね。でもそのお陰か、それまでちょくちょくあった政治がらみの変な依頼は無くなった気がする。


「あれも不思議で仕方がないのだけど、あの手の活動家って同じようなメンバーの気がしてならないんだよ」


 アリスもそんな気がする。同じメンバーというか同工異曲の団体があって、横の連絡を取り合って連携してる感じと言えば良いのかな。だからアリスが本職みたいに見える健一のヤバイ女である情報もさっと広がったと思ってる。



 ああもうウンザリ気分も良いところだ。これからはもっと仕事を選ぼう。アリスのやっと挙げられたシナリオライターの看板を利用しようとする連中なんてクソ啖えだ。ここのところ溜まっていた仕事をこなすのに働き詰めだったから気分転換がしたい。


 お手軽には飲みに行くだけど、もっとパッとしたのがしたい。旅行も良いけど、同じ旅行でもツーリングがしたい。コトリさんやユッキーさんとのツーリングも楽しかったけど、やっぱり相手は男が良いよ。そう、カップルマスツーだ。


 問題はどこに行くかだ。ここに関してはアリスのダックスちゃんがどうしてもネックになる。つうかさ、小型バイクなのにあんな長距離ツーリングを平気でやってしまうあの二人を尊敬する。


「阿蘇でも行くか」


 やまなみハイウェイからミルクロードだ。あそこを走らずしてバイク乗りを名乗るのは烏滸がましいよ。阿蘇なら六甲アイランドからさんふらあに乗って大分に、


「それが王道なんだけど・・・」


 それどこだ。健一の希望なら嫌も応もないけど、


「日本でも有数のパワースポットでもある」


 それイイね。ああいうところって理由はわからないけど元気をもらえる気がする。だからパワースポットなんだろうけど、


「ボクもあやかってパワーをもらいたい」


 いらんだろ。これ以上パワーなんて身につけたら本物の超人ハルクになっちまうぞ。それでも健一が言うには日本人なら心の琴線に響くところのはずだって。まあどこだってイイか。夫婦となった健一とのツーリングが楽しくない訳がない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る