侵入

木口まこと

全1話

 急いでゴーグルを外した。あたしは自分の部屋の椅子に戻っていた。息が荒く、心臓はこれまで経験したことがないほど速く打っている。

 右を見ると、ゴーグルをかけたままの武が歯を食いしばって顔を天に向け、手足を硬直させている。逃げ遅れたのだ。あたしは急いで立ち上がり、武の顔からゴーグルをむしり取った。

 武の頬を平手で何度か軽く叩くと、体の硬直が解けて、武がゆっくりと目を開けた。顔を何度か左右に振る。

「大丈夫?」声をかけた。

「たぶん」武が弱々しい声で言った。「ちょっと寝かせて」

 武を支えてあたしのベッドに寝かせてから、キッチンで水を飲んだ。戻ると武は寝息を立てていた。あたしはベッドに腰をおろして、その手を握っていた。二時間ほどして、武が目覚めた時には窓の外はすっかり暗くなっていた。


 武と初めて顔を合わせたのは、あるゲーム制作の現場だった。武はあたしより五つ下だったけど、既に業界では名の知れたゲーム・プログラマーだった。

「シナリオの早瀬忍です」と自己紹介した。

「合田武」それだけ言って、武はまだあどけなさの残る顔で品定めするようにあたしを見た。第一印象は最悪よりちょっとましな程度だった。それでも、一緒に仕事を続けるうちに、単に話し下手なだけで悪い人間ではないことがわかってきた。いや、むしろあたしにとっては適当に話し下手なほうが居心地がよかった。

 その仕事では週に一度ほど顔を合わせたけど、雑談めいたことはほとんどした記憶がない。なにしろ、あたしたちはその作品に全力で取り組んでいたのだ。初めてゆっくり話したのは作品が完成したお祝いのパーティの日だ。作品立ち上げの時以来初めて関係者全員がオフィスに顔を揃えていた。正直、あたしは大勢の人間の中にいるのが好きじゃない。そんなあたしの様子に気づいたのか、武が「ふたりで飲みに行きませんか」と声をかけてきた。

 その夜、はじめて武のマンションに行った。ふたりで飲んで、セックスをした。主導権はあたしが握った。伊達に三十五年も生きてないから。

 それからは、週に二回くらいあたしが武の部屋に行って、週に二回くらい武があたしの部屋に泊まる生活が始まった。いつのまにか、あたしの部屋には武のためのデスクとチェアがおかれていた。でも、恋人とはちょっと違う。セックスもするし、一緒のベッドで眠るけど、気のおけない年下の親友という感じだ。


 そんな生活が一年ほど続いた頃だ。「ちょっとこれを見て」と武がチェアから身を乗り出して、額に上げたゴーグルを指差した。あたしは自分のチェアに腰をおろしてゴーグルをかけた。

 武のアバターは黄色くて細長く、顔には目も口もない。あたしはそれを棒人間と呼んでいた。「だって必要ないじゃん」が武の言い分だった。あたしのアバターはアニメの主人公をもとに作った少年だ。

「なに?」とあたしは言った。あたしのアバターの横に「なに」と表示される。

 棒人間が何かを取り出して広げた。それは紙の切れ端のように可視化されている。もちろん、それは武がそう見せようとしてるだけなんだけど。

「これを見て」武の声が耳もとで聞こえ、アバターの横に「これを見て」と表示される。

 紙切れには何か書かれているように見えた。

「ネットスペースのね」武が言う。「ほとんど見捨てられてる区域を探索してて見つけたんだ」

 あたしは紙切れを受け取った。文字ではなかった。たくさんのドットで描かれた模様のようだ。

「文字にできないの?」あたしは訊いた。

「いろいろ試したけど、どうやら文字にできないデータらしいんだな」

 模様をあたしのAIに投げてみたけど、瞬時に模様そのままが返ってきた。データの情報量からはこの模様が最適解ってわけだ。

「で?」あたしは言った。「誰かが消し残したコードの断片を拾っただけじゃない?」

 棒人間は空中からもう一枚の紙切れを出現させて、あたしに手渡した。そこにはさっきのとは少し違う模様が描かれていた。

「これは?」困惑して訊いた。

「その隣の区域に落ちてた」武の声が言う。「これもこのままではなんだか分からないけど、もう一枚のデータと合わせると意味ありげに見えるんだ」

 この模様もAIに投げて、さっきのと合わせてみるように指示した。結果はすぐに返ってきた。それは相変わらず模様だったけれども、どちらの模様とも違っていて、二枚をただ重ねただけでもない。

「ほんとだ、情報が増えてるね」あたしは言った。

「ホログラフィックな情報だと思う。解読するにはまだ解像度が足りてないんだ」棒人間が言う。

 あたしたちは現実世界へ戻った。

「で?」と武に声をかける。「あたしたちの手もとにはホログラフィック情報の不完全な断片があるというわけね」

「だから」と武。「残りの断片を探しにいかないか? 全部集めなくても、情報が読み取れる程度に集めればいい。あのあたりにまだあると思うんだ」

「なんとなく気持ち悪くない?」あたしは言った。「意味ありげな情報が落ちてるなんて、おかしな気がする」

「だからこそさ。何があるか見てみたくない?」そう言って、ウィンクを返す。「所詮はネットスペースの中のことだから、いざとなれば戻ってくればいいだけだよ」

「まあそうか」どことなく釈然としない思いを心の片隅に抱えてあたしは言った。

 そのせいか、その夜のセックスは武に完全に主導権を握られてしまい、終わったあとに少し悔しい気分が残った。


 次の日からネットスペースの探索が始まった。あたしたちはふたつの紙切れを見つけた一角から探索範囲を広げることにした。

「どんなふうに見えるの?」探索を始める前に武に訊いた。紙切れのように可視化したのは武だ。もともとどう見えていたのか、あたしには分からない。

「いわく言いがたいな」と武。「データが落ちてると、向こう側が少しぼやけるんだ。空間がちょっとだけ不透明になる」

「それだけ?」思わず声をあげた。「よくそんなものを見つけたわね」

「観察力と洞察力」武が自分の頭を指差す。

「ふうん」とあたしは言った。

 あたしたちはゴーグルをかけた。まずは手元のマシンのメモリー空間に入る。武とはメモリー空間を共有している。

「足跡は消したほうがいいね」棒人間がそう言って、指先を十字に動かした。あたしたちはいつも使っている秘匿サーバーのメモリー空間に移動した。さらに三つの秘匿サーバーを渡り歩く。これで、何かあってもあたしたちの出発点を見つけるのはほぼ不可能なはずだ。

「じゃあ、行こうか」そう言って、武が十六進数のアドレスを呪文のように告げると、次の瞬間、あたしはこれまで見たことのない場所に立っていた。

「ここは?」アバターを通して問いかける。

「ここが現実世界でどこにあるマシンのメモリー空間なのかはわからない」棒人間が答えた。「とにかくネットスペースの辺境を見たくて、データの動きが少ないほうを目指して探索していたら、ここに辿りついたんだ」

 たしかにそこはあたしが馴染んでいる空間とは全然違っていた。あたしが知ってるネットスペースにはもっと動きがあって、可視化すれば様々なデータがひっきりなしに流れていくのがわかる。それなのにここはひっそりとしていた。いくつものビルが並んでいるように可視化されていたけど、なんのデータも流れていないように思える。その空虚な感じにあたしは少し不安を覚えていた。

「ちょっと気味悪いね」声に出した。

「そうだね」と武の声が答える。「このあたりは完全に見捨てられてるみたいだ。最初のデータを見つけたのは」棒人間が足元を指差した。「ちょうどこのあたり」

「次のは?」

「ここから一テラバイトほど離れたところ。行ってみよう」

 武がアドレスの呪文を唱える声が聞こえ、あたしたちは別の場所に飛んだ。そこにはやはりビルがひっそりと建ち並び、データは流れていなかった。

「ここまでどうやって?」武に訊く。

「初めて来たときはさっきの場所からしらみつぶしに見ていったんだ。何日かかかって、ここにたどりついた」

「じゃあ、これから同じことを繰り返すしかないってこと?」

「まあね」と棒人間が言う。「どんなふうに見えるかはもう分かってるから、並列処理でなんとかなると思う」

 そこで、あたしたちはそれぞれ一万体のアバターに分かれて、ふたりひと組で探索にかかった。あたしたちはそのうちひと組のアバターに同期して、他はAIに任せる。AIに意思決定する能力はないけど、詳しく命令した仕事なら勝手にやってくれる。

 主観時間で一時間ほど探索を続けた頃にひと組のアバターから通信があった。あたしたちはそのアバターに同期した。アバターの目は足もとを見つめている。その視点に意識を集中してよく見ると、たしかに地面が少しぼやけている。

「これか」あたしは言った。「これは普通なら見逃すな」

 棒人間がかがみ込んで、地面の少し上からなにかをすくいとる。それは棒人間の手の中で紙切れに可視化された。

「ほらあった」武の声がした。

「たしかにね」あたしは言った。「武の言う通りだったね。データの残りが落ちてる」

「この調子でもう少し探索してみよう」武が言う。

 それから主観時間で四時間ほどの間に、あたしたちはさらに四枚の紙切れを手に入れた。それぞれ似てはいるけど少しずつ違う模様が描かれている。

 そこでいったん切り上げて、あたしの部屋に戻った。昼過ぎから始めて、もう夕方だった。

「たしかにあったけどさ」あたしの心には拭い切れない不安があった。「これって都合よすぎない?」口に出した。

「誰かがわざと置いていったのは間違いなさそうだね。それに乗るか乗らないか」武が言って、考えこんだ。「僕は行けるところまで行ってみたいけど、どう思う?」

 あたしは迷っていた。何が起きるのか見てみたい気もあったし、ちょっと怖いとも感じていた。

「とりあえず」とあたしは言った。「明日、手に入れたデータを解析しようよ。それからどうするか決めればいい」

 その夜はあたしは武に抱きしめてもらって眠った。


 手に入れた六枚の紙切れのデータをAIに投げてみると、二枚だけの時よりはだいぶはっきりしたパターンが見えてきた。

「これはなに?」と武に訊いた。

「ネットスペースのアドレスみたいだなあ」武が答える。「アドレスを特定するにはまだ解像度が足りないね」

「つまり」とあたしは言う。「これは招待状ってことかな」

「なんらかの意味でね。好意とは限らないよ」武が頭をかく。

 あたしの中で何かがかちりとはまり、好奇心が不安に打ち勝つのがわかった。

「それじゃあ、とにかくアドレスだけでも特定しようよ」あたしは武の腕を叩いた。

 あたしたちはその日のうちにさらに五枚の紙切れを手に入れた。全部のデータをAIに投げると、ついにひとつのアドレスが出力された。

 その夜、あたしたちは祝杯をあげてしこたま酔っ払い、大笑いしながらセックスをした。


「これからどうする?」翌朝、起きるなり武が訊いた。

「ここまできたら、行ってみるしかないんじゃない?」あたしは答えた。もしかすると、武よりあたしのほうが乗り気になっていたかもしれない。「注意深くやらないと危ないかもしれないけど」

「周辺から見ていきたいな。どうやって近づくか」武が言った。

 ネットスペースの抽象的なアドレスと物理的なコンピューターのメモリー空間との対応はあまりにも複雑だ。無秩序に繋げられたマシンのメモリー空間に自動的に割り当てられてきたアドレスの全容を把握してる人なんか、世界に誰ひとりとしていないはずだ。ネットスペースは人間の制御を離れて自律的に増殖するシステムと化している。アドレスだけを頼りにその「近く」に行くのは無理な相談だった。

「そのアドレスにAIを直接送り込んじゃえば?」あたしは言った。

「うーん」武は自分の頭を拳で軽く叩いた。「直接っていうのはあんまりやりたくないけど、しかたないか」

 AIに秘匿サーバーを四つ経由してから目的のアドレスに飛んで周辺の情報を記録してくるように指示して、送り出した。目的地で何か不測の事態があれば戻ってこられないかもしれない。あたしたちはただ待っていた。

 AIが戻ってきたのは十分後だった。

 あたしたちはゴーグルをかけて記録を再生した。AIが着いた先は目の前にそびえるたったひとつのビル以外は見渡す限り何もない荒涼とした大地だった。データの流れは検出されない。

「ここは相当な辺境だね」武の声がした。「見捨てられてるように思えるけど、誰の持ち物だろう」

「あのビルが目的地なのかな」あたしは言った。それは巨大な円筒形のビルとして可視化されている。かなり広大なメモリー空間を使って作られた構造物のようだった。

「あのビルに何かがあるんだな」ゴーグルを外した武が言う。

「AIが無事に戻ってきたから、あそこに行くだけなら危険はないのかもしれないね」あたしは言った。

 その晩、ふたりで作戦を立てた。一度めはとにかくあのビルの周囲を探索するだけにする。何か見つけても手を出さない。そのデータを精査してビルに侵入するための突破口を見つける。侵入者検知のシステムはあるだろう。それをどう出し抜くか、やってみないと分からないけど、失敗したらいつでも戻ってこられるようにしておく。


 慎重に足跡を消してから、例のアドレスに飛んだ。目の前、主観距離で百メートルほどのところに巨大な円筒形のビルがそびえ、金属的な輝きを放っていた。メモリー距離でいえば、ビルまで一テラバイトもなさそうだった。円筒の差し渡しは五十メートルほどもあるだろうか。

「行こう」武の声が言う。

 近づくに連れて、ビルは非線形に巨大化していく。そういうふうに可視化されているのだ。あたしはその大きさに圧倒されて、しばらく呆然と見上げていた。

「ひと回りしてみよう」武の声に我に帰る。

 棒人間が先に立って、ビルの壁を撫でながら、少しずつ進んでいく。

 と、突然ビルの壁にアバターが通れるほどの丸い穴が出現した。

「これは」あたしは声を上げた。

 武が慎重に穴に手を入れようとしたその時だ。あたしたちを取り囲むように、地面から壁が迫り上がってきた。

「危ない!」あたしは叫んで、まだ上がりきっていない壁に手をかけ、思い切って飛び越した。

 急いでゴーグルをはずした。あたしは自分の部屋に戻っていた。右を見ると、ゴーグルをかけたままの武が歯を食いしばって顔を天に向け、手足を硬直させている。逃げ遅れたのだ。あたしは武の顔からゴーグルをむしり取った。

 二時間後、ベッドで目覚めた武に水を飲ませた。

「すまない」武が呟くように言った。「中の様子に気を取られて、逃げるタイミングを失った」

「一度めは手を出さないって決めたのに」あたしはため息をついた。

 その夜はあたしが武を抱きしめて眠った。


 翌日、記録をプレイバックして状況をチェックした。

「穴が開いて、中に体を入れようとすると、それをきっかけにまわりに壁が迫り上がって閉じ込められる。壁として可視化されてるけど、ファイアーウォールだ。穴のほうには壁はない」武が淡々と言う。「壁の中では、過剰な情報が送り込まれる。それを僕たちのシステムが視覚情報に変換してしまい、脳が過負荷になったんだ」

「招待にしては手荒だね」あたしは言った。

「あのビルに何があるのか、ますます気になるな」武が言った。

 たしかにちょっと荒っぽくやられたとはいえ、慎重に回避しさえすれば現実世界に戻ってこられるのはわかった。これならなんとかなるんじゃないかという気がしてきた。

「ちょっと調べるから、君はなんか別のことをしてて」武が言う。

 あたしは気晴らしに散歩に出た。外はいい天気なのに、何をやってるのかなあという気が少しした。今から思えば、その時のあたしの一挙手一投足は見張られていたんだけど、あたしには知るよしもなかった。

 部屋に戻ると、武はタブレットでマンガを読んでいた。

「飽きちゃったのね」あたしは笑った。

「それどころか」武がにやっと笑い返す。「あそこを突破する方法がわかったよ」

「あら」あたしはわざとらしく驚いた顔をしてみせた。「どうするの?」

「データをチェックしたら、過剰な情報流は二秒間だけなんだ」武が言う。「それを乗り切って穴からビルに入ればいい」

「なるほど?」とあたし。「でも、どうやって」

「アバターを二秒間だけAIに預けて、二秒経過後に戻る」

「それは賭けだねえ」とため息をついた。

「AIに任せっきりってわけにいかないから、しょうがないよ。これでご招待に応えられるはずだよ」武があたしを見つめる。

「わかった。それでやってみよう。どっちかひとりだけでも逃げ遅れなければなんとかなる」あたしは言った。なにごともやってみなければわからない。


 棒人間とあたしは荒涼とした大地に立っている。目の前には金属の輝きを放つ円筒形のビルがそびえている。

「行くよ」棒人間に声をかけて、歩き出す。近づくにつれて、ビルは非線形に巨大化する。すぐにあたしたちはビルに手が届きそうなところまで近づいた。

「ここからが肝心」武の声がした。

 ビルの周囲に沿って歩いていく。突然、ビルの壁に丸い穴が開いた。

「用意して」武が言い、棒人間が手招きする。

 あたしは深呼吸してから、棒人間に近づいた。ふたりそろって壁の穴に足を踏み入れる。その瞬間、あたしたちを囲い込もうと地面から壁が迫り上がってきた。

「離れて!」武の声が聞こえた時にはあたしはもうアバターの制御をAIに委ねて元の世界に戻っていた。落ち着いて二秒数える。

「戻るよ」武に声をかけた。

 次の瞬間、あたしたちは眩しい光にあふれたオフィスルームほどの部屋に立っていた。

「ここは?」あたしは訊いた。

「あのビルの中だろうね」棒人間が回りを指差す。

「それにしては小さいね」とあたし。

「ビルそのものはメモリー空間の広大な領域を使ってるけど、意味のあるデータ量がこれくらいなんだろうな」棒人間が壁を叩いた。

 部屋の真ん中に一辺五十センチほどのガラスケースが置かれている。近寄ってしゃがみ込み、ふたりでケースの蓋を外す。中には革表紙の分厚い本が収められていた。

「これは?」あたしは言った。

「僕たちへのプレゼントだろう」武が答えた。


 あたしたちは本として可視化されていたデータを厳重に密閉したメモリー空間に展開した。外に漏れるとまずいコードの可能性は捨てられなかったからだ。

 武はそれを慎重に扱って、三日間その解析に没頭していた。あたしにできることはなかったから、この間に溜まっていた仕事を片付けて、夜は武を抱きしめてあげた。

 四日めの昼すぎ、武が「あああ」と大きな声を上げた。

 びっくりして武を見て、「どうしたの?」と声をかける。

「これはだめだ」と武が首を振る。

「なにが?」あたしは訊いた。

「なんだと思う?」武があたしをまじまじと見た。

「わかんないよ」あたしは答える。

「量子テレポーテーターの設計図。物体を遠方に転送できる。できてたのか」武が頭をかいた。

「すごいじゃない」あたしは言った。

「だめ」と再び武が首を振る。「これは米軍の機密情報」

「なんでそんなものが」わけがわからずあたしは言った。

「これが罠かな」と武が言う。「とにかくこんなものを持ってるのは危ない。売るわけにもいかないし、持ってることを知られるだけでも危険だ」

「やばいね」あたしはつぶやいた。背筋を冷たいものが流れる。誰かに見られているような気がした。

「消そう。見なかったことにしよう」武が言った。


 失敗談はこれで終わりだ。

 あたしたちは今、横須賀の米軍基地で、ネットスペースを探索する仕事をしてる。あれは一種のリクルートだったんだ。もっともこっちに拒否権はなかったけどね。足跡は慎重に消したつもりだったけど、武が最初の紙切れを見つけた時から素性は割れてたらしい。あっちのほうが一枚上手ってわけ。

 武とは基地の宿舎で一緒に暮らしてる。毎晩抱き合って眠るから、恋人なのかな。少なくとも、一緒にいるのは楽しい。

 あたしたちは基地から外へ自由に出られる。でも、軍事機密に触れてるあたしたちがそのままどこかに逃げたら、まずいことが待ってるって言われてる。今のところそのつもりはないけど、いつか気が変わるかもしれない。

 量子テレポーテーター? そんなものはなかった。そんなものはまだできてない。武はまんまといっぱい食わされたんだ。そんなちょっと間抜けなところも含めて、武のことは気に入ってる。それを愛と呼んでもいいかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

侵入 木口まこと @kikumaco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る