第20話「紗良様との添い寝」

 今朝の一悶着の謝罪にやって来た紗良様。私が彼女を許す代わりに出した要求。それは私との添い寝だった。


 そう言う訳で、夜も深まって来た頃、私と紗良様は同じ布団の中にいた。


「……」「……」


 お互い無言だ。そして、お互いギンギンに目が冴えている。つまり、お互い気不味過ぎる。


 ……どうしてこんな事を要求してしまったのだろう。


 完全にその場のノリだった。だから、今になって後悔する。


 一人でもぞもぞとしていた私だが、ふと勇気を振り絞る。


「起きてますか、紗良様」


「……はい」


 声を掛けたら、返事が返って来た。


 何だろう……それだけで、少しだけ嬉しかった。


「え、えへへ……き、緊張して眠れないですね」


 私がそう言うと、背中からくすりと笑い声が聞こえて来た。


 あ、もしかして、笑ってくれた?


 紗良様、今笑ったよね?


「あの……ごめんなさい、紗良様。私の我儘に付き合って頂いて」


「……いえ、貴方が望まれたので……罪滅ぼしのためですわ」


 優しい声だ。すごく落ち着く。今朝の恐ろしいイメージがまだ脳内に焼き付いている私は、そのギャップにドキドキしてしまう。


「もう……怖かったですよ、紗良様」


「申し訳ありませんでしたわ」


「それに……悔しかったです。お兄様の事、悪く言われて」


「……ッ」


 お兄様の名前を出した途端、紗良様は呼吸を止めるように息を詰まらせた。


 聞くのが少し怖いけど……でも____


「お兄様の事、どう思っているんですか?」


「……どうって」


「私、2人は仲の良い兄妹って聞いていました。でも、今朝の2人は凄く険悪で……一時的な喧嘩にしてはとても根深そうな感じがして……」


「……」


 紗良様は質問に答えず、黙り込んでしまう。


 私は身体を反転させ、布団の中で紗良様の背中に触れた。質問から逃さないように。


「教えて下さい、紗良様」


 強いるように言うと、紗良様は溜息を吐いた。


「……仲が良い兄妹でしたわ」


 根負けしたのか、紗良様は話し始める。


「でも、私がヒジリビ学園へ行く前に喧嘩をいたしましてね。それで、もう、絶交のような状態ですわ」


「……仲直りしないんですか。兄妹喧嘩なんて、よくある事じゃないですか」


「入学前の喧嘩はただの切っ掛けです。小学6年生の始めぐらいから、私達の仲はだんだんと噛み合わなくなりました。話も合わなくなり、見据える未来も別々のものになって行きましたわ。もう、仲の良い兄妹ではございませんことよ」


 一つ分かった事があった。


「紗良様、お兄様の事……本気で嫌っている訳じゃないんですよね?」


 紗良様は辛そうにお兄様の事を話していた。それはお兄様の事を真剣に考えているからこそだ。だから、紗良様がお兄様の事を嫌いな筈がない。


「嫌いじゃないんですよね?」


 私が確認するように尋ねると、紗良様は「いいえ」と静かに答える。


「……腐っていますわよ、あの人。だから、大嫌いですわ」


「どうしてそんな事言うんですか?」


 私は冷静な口調を努める。


「何で腐っているなんて……そんな酷い事を言うんですか?」


「腐っているからですわ。頑張る事を放棄した、堕落した人間でしてよ」


 私は怒るのを我慢して、静かに反論する。


「腐ってなんていません。お兄様は頑張り屋さんです。この前の期末試験だって、学年一位だったんですから」


「……そう」


「私が不便しないように色々と気を配ってくれますし」


「でも____」


 紗良様は苦し気に言う。


「”獣師”の道は諦めてしまわれましたわ。彼は逃げたのです。何か能力を発現させる方法があるかも知れないのに、それらを放棄して。……人の気も知らずに」


 それはとても寂し気な口調だった。


「……やっぱり」


 私は紗良様の言葉と声音で確信する。


「本当はまだお兄様の事を想っているんですよね」


「そんな事は____」


「だから、私に嫉妬しているんですよね」


「な!? し、嫉妬!」


 私の言葉に紗良様はがばっと身体をこちらに反転させた。


 彼女と視線が合い、私はどきっとしてしまう。


「私がお兄様と仲良くしているから、妬いているんじゃないですか」


「そ、そんな事ありませんわよ」


 この反応。多分、図星だ。


「し、嫉妬など、する筈がございません」


「……本当かなあ」


「本当ですわよ」


 顔を赤くして頬を膨らませる紗良様。


「でも、私は紗良様に嫉妬してるんですよ」


「……へ」


 と、紗良様が目を丸くする。


「お、お兄様の実の妹である紗良様の事が羨ましいんです!」


 私は思い切って心中をぶつける。


 すると、紗良様は寂しそうに首を横に振った。


「そんな必要……ございませんのに。だって、お兄様はもう、私の事なんてどうでも良く思っているのですわよ」


「そんな事ありません。だって」


 今になってようやく分かった事があった。私はずっと気になっていたのだ。


「私を見るお兄様の目……時々なんですけど、他の誰かを重ねているような感じがして。多分、それは……紗良様なんじゃないかと思います」


 言葉にして、私は自分自身で腑に落ちた。


 お兄様はずっと紗良様の事を想っていたのだ。


 私と話している時も、きっと、実の妹の幻影を追いかけていたのかも知れない。


 そんな風に考えると、悔しさが込み上げて来た。


「ずるいですよ、紗良様!」


「きゃっ」


 私は悔しさをぶつけるように紗良様に抱き着いた。


「ずるいよお! ずるいよおっ! ずるいよお、紗良様!」


「や、やめなさ……ふふ……あはは……おやめなさい!」


 頭をぐりぐりと紗良様の胸元に押し付けると、紗良様はくすぐったそうに笑い声を発し始める。


「実妹の座独占禁止法違反で頭ぐりぐり攻撃の刑です!」


「わ、わけが分かりませんわ! いいからやめて!」


「いやです!」


 それから、しばらくの間私達は布団の中で揉み合いを続けた。


「……はあ……はあ……全く……ひどいですわよお……髪もぐしゃぐしゃですわ……」


「……はあ……はあ……ご、ごめんなさい……でも____」


 私は息を整え、笑みを浮かべる。


「すっきりしました、色々と!」


「……もう」


 紗良様も困ったように笑みを浮かべる。そして、そっと私の頭を撫でてくれた。


 瞬間、温かさと安らぎが全身に広がっていく。


「えへへ……やっぱり、兄妹なんですね、お兄様と紗良様は」


「どう言うことですの?」


「一緒に居ると安心します。似ていないようで、お二人ともとってもそっくりです」


「……」


 複雑そうな表情を浮かべる紗良様。


 それから、咳払いをして少しだけ真剣な口調で口を開いた。


「米澤さん、何かあったら私の事も頼って下さいまし。出身の事で色々と危険な思いをすることもございますので」


「心配してくれるんですか? でも、大丈夫ですよ。亡命してからは、特に何か危険な目に遭った事はありませんし。平和って良いなあって思ってます」


「そういう油断は一番いけませんわよ。しっかりと注意して下さいまし」


 少しきつめ目の口調で諭される。何だろう……やっぱり……お姉様みたいだなあ。


「あの、紗良様。良ければなんですけど……」


「ん? どうかされましたか?」


 布団の中でもじもじとする私に紗良様は首を傾げる。


「そ、その、私の事、米澤さんじゃなくて……ドゥーシャって呼んで欲しいなあ」


「まあ」


「だ、だめですか?」


 不安気に紗良様を見つめると、その口元が優しく緩んだ。


「構いませんことよ。そちらの方が親し気があってよろしいですし」


「ほ、本当ですか」


「ええ、勿論ですわ、ドゥーシャさん」


「……わ、わぁ!」


 嬉しい。出来れば”ドゥーシャさん”じゃなくて”ドゥーシャ”の方が良かったけど、でも……嬉しい!


「……う、うう……うれしいよぉ……うれしいよぉ……うれしくて……うぅ……」


「ちょ、ちょっと、ドゥーシャさん!?」


「ご、ごめんなさいぃ……う、うれしくて……涙が……」


「は、はわわ」


 嬉し泣きを始める私に紗良様は慌て始める。


「も、もう! なんなんですのお!」


「ごめ゛ん゛な゛さい……こま゛らせちゃってぇ……!」


 泣き止むのにしばらく時間がかかり、私も紗良様もぐったりとしてしまう。


「……疲れましたわ」


「ご、ごめんなさい」


「いえ、丁度良かったですわ。お陰でよく眠れそうでしてよ」


「あはは」


 確かに、これなら後はぐっすり眠れる。


「……でも、良かったあ……その場のノリで一緒に寝る事をお願いしちゃったけど……結果的に紗良様と仲良くなれて」


「……そうですわね」


「やっぱり、お布団の中に限りますね。色々と話を打ち明けるのは」


 私はふふっと笑って____


「前にお兄様に過去のお話をした時も、お布団の中ででしたし」


「え?」


 その瞬間、紗良様はがばっと布団を跳ね除けて、私に覆いかぶさる。


「あ、貴方、今なんと仰いましたか?」


「え、えーと……前にお兄様に過去のお話をした時も、こんな風に布団の中で____」


「は、破廉恥ですわ!」


 金切り声を上げる紗良様。


「同い年の男女が一つのお布団で!? そう言う事ですわよね!」


「え? え? あ、えーと……別に変な事は何もしてませんよ? 普通に喋って、一緒に寝ただけです」


「それが既に変な事でしてよ! だ、だって貴方……!」


 紗良様はわなわなと身体を震わせる。


「間違いが起きたらどうなさるおつもりでしたの!?」


「ま、間違い? 間違いって?」


「エッチな事ですわあ!」


「エ、エッチな!? お、起きないですって……だって、私とお兄様ですし」


「ちょっと、ドゥーシャさん! 貴方、そこに正座なさい!」


「は、はい」


 それから私は一晩中紗良様の説教を受ける事になった。

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