第12話「コンプレックス」

 ドゥーシャとお出掛けの約束をした数日後の事。彼女は俺にこんな事を言い出した。


「あ、あの……お兄様! お兄様……もしかして、ヒジリビ学園へ転入するおつもりですかっ?」


「え?」


 何の事だと首を傾げる俺だが、すぐに何故ドゥーシャがそんな事を尋ねたのか察する。


 ここ最近、俺はよくヒジリビ学園のパンフレットを眺めていた。だから、彼女は俺がヒジリビ学園に転入するとでも思ったのだろうか。


「いや、ヒジリビ学園に転入するつもりなんてないけど」


「そ、そうなの? はあ……よ、よかったあ」


 安堵の吐息をつくドゥーシャ。


「ヒジリビ学園は全寮制の学校だから……もしお兄様が転入したら、ずっと会えなくなるなーって……不安だったんです」


 俺に会えなくなると思って不安がってたのか。そう言えば、最近妙にそわそわしてたような気がするけど、もしかしてそれが原因か?


 ……全く。


「お前は相変わらず可愛い奴だな!」


「え、えへへ」


 照れたように笑うドゥーシャはそれからはっとなって首を傾げる。


「あ、でも……だったらどうしてヒジリビ学園のパンフレットなんか眺めてたんですか?」


「んー、ああ、やっぱ見られてたか……実はちょっと考えてる事があってな」


 俺は居住まいを正して、ドゥーシャに向く。


「ドゥーシャ。お前、ヒジリビ学園に転入しないか」


「え?」


 俺の言葉にドゥーシャは目を丸くする。


「気付いていないと思うけど、お前、かなりのポテンシャルを秘めた獣人だと思う」


「わ、私がですか?」


「ああ、9歳で対馬海峡を泳ぎ切った事だってそうだし……それに、俺、目利きには自信があるんだ。その俺からしてみても、ドゥーシャには紗良にも劣らない潜在能力があると思う」


 俺には”獣師”としての能力はない。だが、素質はあるのだ。獣人の能力を見抜く目なら一族の中でも随一だと思う。


「だから……勿体ないなって思うんだ。ヒジリビ学園に入って、一流の教育を受ければ、きっと九輪祭の金メダルも夢じゃないと思う」


「わ、私が……私なんかが……九輪祭に……?」


「どうだろう、ドゥーシャ?」


 正直、俺の中で迷いがあった。


 ドゥーシャにヒジリビ学園を勧めれば、彼女はここを去ってしまうかも知れない。俺の元からいなくなってしまうかも知れない。


 それはとても辛い事だ。


 だが同時に、彼女の事を思えば、この提案をせざるを得ない。


 ドゥーシャのポテンシャル。彼女ならば九輪祭の金メダリストになれる可能性だってあるのだ。


 彼女の将来の事を考えれば、話さずにはいられなかった。


 ドゥーシャはしばし迷ったように黙り込んでいたが、俺の手を取ると意を決したように口を開く。


「だ、だったら……お兄様も一緒に!」


「え、俺も?」


「お兄様が一緒なら、私もヒジリビ学園に転入します」


 余りにも真っ直ぐとした目で言われたので、俺は狼狽えてしまう。


「お兄様が私の力を認めてくれたのであれば、私は全力でそれに応えたいです! ヒジリビ学園に入学して、九輪祭の金メダルを目指したいです! でも、それは……お兄様とが良いです! お兄様と離れたくありません!」


「……いや、俺は」


 俺はそっと身を引く。


「俺はヒジリビ学園には行かない。行くなら、ドゥーシャ一人になる」


「……じゃあ、私も行きません。お兄様が行かないのであれば」


「え、いや……!」


 それは駄目だと俺は思った。


 俺の所為でドゥーシャがヒジリビ学園に行かない。それはつまり、俺と言う存在が彼女の未来を潰す障害になると言う事に他ならない。


 それは耐え難い事だった。


「俺の事は関係ない。才能があるなら、それを磨くべきだ。お前には才能がある。それだけだ」


「それは……そうですけど。でも、だったら、どうしてお兄様はヒジリビ学園に行かないんですか?」


「……どうしてって」


「武嵐家の人間なら普通科の学校じゃなくて、”獣師”のための専門学校に行くものじゃないんですか?」


「……ッ」


 俺はドゥーシャの言葉に黙り込む。


「こ、言葉を返すようですけど、”獣師”の才能があるなら、それを磨くべきだと思います! ヒジリビ学園に行って、一流の教育を受けるべきです」


「……ドゥーシャ……俺は……」


「一緒にヒジリビ学園に行きましょう、お兄様!」


 ドゥーシャに手を強く握られる。手は痛くは無かったが……心が痛かった。


 痛かったし、モヤモヤとして……気持ちが悪かった。


 俺を真っ直ぐと見つめるドゥーシャに悪気はないのだろう。


 分かってる……分かってるけど……!


「俺は行かねえって言ってんだろ! お前一人で行け!」


「!」


 俺の怒鳴り声にドゥーシャは目を見開く。


 怯えた表情を見せるかと思いきや、彼女は珍しく睨み付けるように俺を見た。


「どうしてですか! お兄様の分からず屋! 私には行けと言っておきながら、どうして自分は行かないのですか! そんなの勝手です!」


「分かんねえのかよ!」


「分からないですよ! 教えてくださいよ、お兄様!」


「痛っ」


 ドゥーシャは怒っているようだった。俺を握る彼女の手に力が込められる。万力でしめられたように痛い。


「何か事情でもあるのですか、お兄様!」


 純粋な疑問と怒りの瞳。本当に何も知らないようだ。


 俺は歯軋りをして、己の劣等感をぐっと押さえつけ、口にする。


「____俺には”獣師”の能力がないんだよ! 使えないんだよ、能力が!」


 口にするだけでも惨めな言葉だ。古傷を自ら抉るような感覚に陥る。


 ドゥーシャは目を丸くして____


「お兄様、どうしてそんな嘘を吐くのですか!」


 尚の事怒りを露わにして怒鳴る。


「私、そんな嘘に騙される程子供じゃないですよ! 馬鹿にしないでくださ____」


「嘘な訳ねえだろうがッ!」


 言葉を遮るように、俺は怒りの言葉をぶつける。


「もう一度言うぞ! 俺には”獣師”の能力がねえんだよ! あったらとっくにヒジリビ学園に入学してるわ! つーか、何で知らねえんだよ、俺に”獣師”の能力が無い事を!」


「……え?」


「おかしいと思うだろ、普通! ライラック学園にいる時点で察するだろ普通! 逆にどうして”獣師”の能力があるなんて思ってんだよ! 馬鹿かよ!」


「……え……じゃ、じゃあ……本当に……?」


「ああ、そうだよ!」


「で、でも……紗良様は九輪祭で金メダルが有望視されてる獣人で……お兄様も……」


 言い掛けて、ドゥーシャは青ざめる。どうやら、言葉の途中で、全て自分の勝手な思い込みである事に気が付いたようだ。


「……あ……わ、わたし……そ、そんな……悪気は……」


 同時に自分が踏み抜いて来た地雷の数々を思い出しているようだった。


 ドゥーシャは俺の手を離すと、よろよろと後ろに下がり、口元を両手で押さえた。


 そして荒い呼吸を繰り返し始め、吐き気を堪えるように唸り始める。


「わ、わたし……そんなつもりはなくて……わたし……わたし……!」


 涙を流し始めるドゥーシャ。


 いつもの俺ならそんな彼女の背中をさすり、なだめて上げていたのだと思う。


 だけど、今の俺は____


「泣きてえのは俺の方だぜ! 落ちこぼれだのなんだの言われ続けて来た俺の気持ちなんざテメエらには分かんねえだろうさ! お前もサラもクソッたれだ! どうしてテメエらはそうやって俺の傷を抉るような事ばっかしやがるんだ!」


 俺の怒りの言葉に、ドゥーシャは涙を流しながらも、必死に謝罪の言葉を述べようとする。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……わたしはただ……!」


「失せろ! もう顔も見たくない! 早く出て行け!」


「!」


 怒鳴り散らかすと、ドゥーシャはふらふらと部屋を後にした。


「……くそっ」


 ドゥーシャの背中を見送る。


 最悪な気分だ。


 頭は痛いし、吐き気もする。


 俺はぐったりとして床に座り込んだ。


 壁の向こう側では、嘔吐の音が聞こえて来たのだった。

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