5-8 ラビリンス・ストロベリー

「お疲れ様、柑夏かんなちゃん」


 春日部さんの下校を見送った後、私はオカルト研究会の部室にやってきた。

 私のそもそもの目的地はここだ。だってここが私の居場所だから。

 部室の扉を開ければ、いつものようにソファに座った香葡かほ先輩が出迎えてくれた。


 私の香葡先輩。私がいると信じている香葡先輩。

 幻想、妄想、思い込み。なんだっていい。

 そこに香葡先輩はいる。


「とっても頑張ったんだよね? こっちに来て、いつもみたいに話を聞かせてよ」

「はい」


 朗らかに明るい笑顔でそう言う香葡先輩。

 太ももをポンポンと叩いて促され、私はいつもそうするように倒れ込んだ。

 狭いソファに寝転んで、頭を先輩の太ももに委ねて。

 そして私は、今日の話をした。春日部さんと私の話を。


「そっか。とっても難しい選択をしたんだね。柑夏ちゃんも、その苺花いちかちゃんも」


 聞き終えると、香葡先輩は私の頭を撫でながらそう言った。

 私を見下ろす表情はとても優しくて、暖かくて。

 とても安心して、私は体の力を抜きながら頷いた。


「どっちも選びたかったし、どっちも選びたくありませんでした。とても決められることじゃ、ありませんでした。私に背負いきれるものじゃなかった……」

「でも選んだ。自分で選んだじゃん。柑夏ちゃんは偉いよ」

「偉いん、でしょうか……」


 この決断を後悔していないと、ハッキリとは言えない。

 間違えたとは思わないけれど、正しかったとも思えない。


 私が恋を消した後の春日部さんは、とてもすっきりとした表情をしていた。

 彼女は自分のしてきたことを後悔してはいなかったけれど。

 でもやっぱり、自分ではどうしようもない感情に苦しんでいたんだと思う。


 でも同時に、その気持ちを手放したくないと、そうも思っていたはずだ。

 そうじゃなければ彼女の涙は、もっとずっと早く止まっていたはずだから。


 私の選択が本当に彼女のためになったのかはわからない。

 あれは結局、私のための選択だったように思える。

 それもまた、正しかったのかはわからないけれど。


「偉いよ。だって柑夏ちゃんは、最後まで苺花ちゃんのことを考えたんだから。苺花ちゃんは柑夏ちゃんに選択を任せたんでしょ? だったら、何を選んだって苺花ちゃんは満足だったと思うよ。大切なのは、柑夏ちゃんが選んであげたことなんだから」

「……はい」


 春日部さんは覚悟を決めていた。

 その覚悟に応えたことこそが春日部さんのためになったと、そう思っていいんだろうか。


 私なんかに恋をしてくれた春日部さん。

 そんな彼女が気持ちを失って、それでも私に好意を抱いてくれているかは、まだわからない。

 私のような人間を、春日部さんみたいな人が快く思ってくれるかは、わからない。

 また私たちが友達になれるかはわからない。


 でも、次に会う時は、私から声をかけてみてもいいかもしれない。

 私なんかにずっと友達と言ってくれた春日部さんに、私は友達になる努力をするべきだ。

 それが、私のできる唯一の、彼女への想い。


「香葡先輩……」


 いつものように私の頭を撫でてくれる香葡先輩を見上げる。

 暖かく柔らかな笑みと、キラキラと綺麗な瞳が、私を優しく見下ろしている。


 今日のことを考えると、春日部さんとのことに気持ちを整えていると、どうしても思い起こしてしまう。

 今までずっと蓋をしてきたものを。見ないようにしてきたものを。


「香葡先輩はどうして、死んでしまったんですか……?」


 もういない人に尋ねる。意味のない問いを口にする。

 それに答えるのは、ここにいる香葡先輩。


「柑夏ちゃんの気持ちに応えられないことが辛くて。恋がわからない自分が嫌で。苦しかったから」


 そんなことを言う、香葡先輩。

 でもそれは、香葡先輩の答えじゃない。


「私は、柑夏ちゃんが知らないことは、わからないことは、教えてあげられないよ」


 香葡先輩は今まで通りの優しい表情のままに言った。

 私の知っている、私の見ている、香葡先輩のままに。


「だから、私が言った言葉も、私の考えも、私の気持ちも、全部柑夏ちゃんから生まれたもの。柑夏ちゃんはいつだって、一人で考えて、一人で決めてきたんだよ」

「……はい」


 今私といてくれている香葡先輩は、私がそこにいてくれていると信じているもの。

 私が見ている幻。私が思い描く妄想。私が信じる夢。

 私が知らない香葡先輩は、その中にはいない。

 私が望まない香葡先輩もまた、現れはしない。


「それでも柑夏ちゃんは、まだ私と一緒にいたい?」

「そんなの当たり前じゃないですか……」


 腕で目を覆い、私は答えた。

 あまりにも当たり前すぎる、私の望みを。


 香葡先輩が好きだ。大好きだ。愛している。

 一人になんてなりたくない。ずっと一緒にいたい。

 香葡先輩がいない現実なんて考えたくない。

 どんな形だって私は、香葡先輩を感じ続けていたい。


 こんなの間違っているってわかっている。

 もういない人の影を追って、空想を現実に織り交ぜて、私は立ち止まっている。

 他でもない私がみんなにそうしてきたように、ケリをつけなきゃいけないんだ。


 でも、できない。私には香葡先輩を手放すことはできない。

 香葡先輩を、香葡先輩への気持ちを失うくらいなら、私は死んだ方がマシだ。

 だから私は、香葡先輩を求め続ける。例えそれが、私の頭の中にしかいなくても。


「現実を見ろとか、他のものに目を向けろとか、言いますか?」

「言わないよ。だって私は、柑夏ちゃんの香葡先輩だからね」


 香葡先輩はそう答えると、目を覆う私の腕をどかした。

 溢れていた涙が隠せなくなって、赤い目を見られてしまう。

 先輩は、穏やかに微笑んでいた。


「言ったでしょ? 私はずっと柑夏ちゃんの味方だよ。いつまでだって、柑夏ちゃんのそばにいる。それを、望んでいてくれる限りね」

「じゃあ、どうして、私を置いていったんですかっ……」


 その言葉がどこまで香葡先輩のもので、どこまでが私の望んでいるものなのか。

 わからない。わからなくて、答えのない問いをぶつけてしまう。


「ごめんね。ごめんね、柑夏ちゃん」

「私は、香葡先輩が大好きだったのに……香葡先輩だって私のこと、好きって言ってくれたのに……!」


 こんなこと、今喚いたって仕方ない。

 でもあの日のことを思い出してしまって、私は荒ぶる気持ちを抑えることができなかった。

 香葡先輩はそんな私を見下ろし、困ったように眉を落とした。


「好きだよ。大好き。でもだからこそ私たちは、一緒にいられなかったんじゃないかな」

「わかりません……わからないっ……!」

「そうだよね。きっと私も、わからなかったんだと思う」


 子供のように泣き喚く私に、香葡先輩は言った。

 その言葉は、どこから出てきているのか。


「わからなかったから、だから、離れたんだよ。柑夏ちゃんのことがすっごく好きだったのに、この好きが柑夏ちゃんの好きと同じなのかわからなかったから。だから私は、そんな自分が許せなかったんだよ、きっと」

「なに、それ……」


 知らない。そんなの知らない。そんな気持ち、知らない。

 それは私の願望? 妄想? 悲観する幻想?

 そんなわけがない。私はそんなこと、考えもしない。


「私は、自分の気持ちが理解できないのが許せなかった。柑夏ちゃんへの気持ちがわからない自分が、赦せなかった。そんな自分に、柑夏ちゃんの気持ちを独り占めする資格はないと思った。これ以上一緒にいたら、柑夏ちゃんを傷つけちゃうって、思ったんだ」

「香葡、先輩っ…………!」


 それは、私が初めて聞く、香葡先輩の気持ち。

 本当に私の内から湧いたものじゃないと、自信を持っては言えないけれど。

 でもそれは、私が思ってもいなかったものだった。


 香葡先輩は、私に追い詰められたんだと思っていた。

 私が苦しめたから、堪えきれなくなったんだと思った。

 そう思って疑わなかった。これまでずっと。


「ごめんね、柑夏ちゃん。勝手なことして。でも私はそれくらい、柑夏ちゃんのことが好きだった。大切だったんだよ」


 柔らかい手が、私の頭を撫でる。

 これは全て私の頭の中で起こっていること。

 私が思い浮かべる、都合の良い空想。


 わかってる。わかってるけど。

 でもその言葉は、香葡先輩の言葉だと、信じたくなった。


 相談して欲しかった。頼って欲しかった。もっと気持ちを話して欲しかった。

 でも私が、自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、香葡先輩と楽しく過ごすのに夢中で。

 私は全然、先輩のことを考えられなかったんだ。

 だから私は、香葡先輩が自分を追い詰めていることに気付かなかった。

 どれだけ私を大切に想ってくれて、だからこそ自分を責めていることに気付かなかった。


 恋も、罪も、私は自分のことしか考えていなかったんだ。


「大好きだよ、柑夏ちゃん。一緒にいてあげられなくて、ごめん」

「勝手ですよ、本当に。私は一緒にいられるだけで、幸せだったのに……」


 それで満足しようと思っていたんだから。


 いやだからこそ、香葡先輩はその選択をしたのかもしれない。

 私が妥協していることに気付いていたから。

 恋を諦めず、けれど一歩引いた幸せに甘んじてしがみついている私に、罪悪感を覚えて。

 私を留めている自分が、許せなくなってしまったのかもしれない。


「私は、次になんて進めませんよ。ずっとずっと、香葡先輩を引きずり続ける。私はこれからも、香葡先輩を好きでい続けます」

「うん。ありがとう。柑夏ちゃんがそう思い続けてくれる限り、私はそばにいるよ。でもね、柑夏ちゃんはもうちゃんと前に進んでるよ?」


 私のわがままのような宣言に、香葡先輩は言った。


「今はまだ、『私』が必要かもしれないけど。でも柑夏ちゃんは、ちゃんと自分の気持ちで考えて、自分が助けたい人に手を差し伸べてきた。柑夏ちゃんはちゃんと、成長してるよ」

「でも、でも私は……」

「良いんだよ、私を忘れられなくても。でもね、それでも歩みは止めないで。進み続けることを諦めないで。最後まで私はそばにいるから。ずっと味方でいるから」

「香葡先輩っ…………」


 私はきっとこれからもずっと、ものすごく長い間、香葡先輩への気持ちを忘れることはできないと思う。

 でも先輩が私にくれた沢山のものが、私を少しずつ後押ししてくれている。

 一人ぼっちで、でも一人じゃ何もできなかった私を、香葡先輩が導いてくれている。


 今だって私はやっぱり、人と関わるのが苦手だし、面倒なことは避けていたい。

 でも、私の中の香葡先輩を感じ続けていれば、私は少しだけ勇気が出せる。そんな気がする。


 私は香葡先輩が好きだ。ずっと好きだったし、これからも好きだ。

 だからこそ私は、香葡先輩に誇れる自分にならなきゃいけない。

 今はまだ寄りかかったままだけど、それでも一歩いっぽ、前に進まなくちゃ。


「好きです。大好きです、香葡先輩。ずっとずっと、これからも、ずっと。一生この気持ちは、変わりませんっ……!」


 一人わんわんと泣きながら、切実な気持ちを吐き出す。

 それに応えてくれる人はもういない。

 でも香葡先輩は、私とずっと一緒にいてくれる。そう、約束した。

 だから私は、この気持ちをいだき続ける。


 ガールズ・ドロップ・シンドローム。

 叶わぬ恋に堕ちた心が異能に拾われる病。

 どうしようもない感情に囚われ、身動きが取れなくなった私たち。

 そのしがらみから、一人で抜け出すことはとても難しい。


 それを私は身をもって体験して、今も尚足掻いている。

 だからこそ、身に染みているからこそ、同じ思いをしている人たちに、できる限りの手を伸ばそう。

 その痛みを知る者として、力を貸そう。


 その代わり、聞かせてもらう。味わわせてもらう。

 飴のように甘い恋の病に罹った少女たちの物語を。

 そうして私は、自分の気持ちを想い出し続けて。


 これからも、香葡先輩に恋し続けるんだ。




【了】

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ガールズ・ドロップ・シンドローム〜少女たちは恋に堕ちて異能に拾われる〜 セカイ @sorariku0626

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