3-8 バイオレンス ・パイン

柑夏かんなちゃん! 大丈夫!? 怪我とかしてない!?」


 オカルト研究会の部室に私が戻るなり、香葡かほ先輩が叫びながら飛びついてきた。

 突然のことに面くらった私は、部屋の扉を閉じるのもそこそこに受け止める。

 香葡先輩はガッチリと私の体を捕まえて、ぎゅーっと強く抱きしめた。


「心配したんだからね? 柑夏ちゃんが怖い目にあってないか、私本当に……」

「ありがとうございます。何とか大丈夫でした」


 私からも強く抱きしめ返しながら答える。

 香葡先輩の存在を強く感じて、無事に事を終えた自覚がジワジワと押し寄せてきた。

 ついつい甘えて、その首元に顔を埋めてしまう。


「すごいよ、柑夏ちゃん。頑張ったね」


 そんな私の頭を香葡先輩は優しく、何度も何度も撫でてくれた。

 強く強く、大事に抱きしめてくれながら。


「さて、じゃあ聞かせてもらおうかな」


 しばらくそうやって抱きしめ合って。

 腕を解いたところで香葡先輩はそう微笑んだ。

 いつものように先にソファに腰掛けて、太ももをポンポンと叩く。


 私は飛び込みたい衝動と、倒れ伏したい衝動の二つに苛まれながら、けれど落ち着いて体を倒した。

 仰向けに寝転がると、普段通り香葡先輩の温かな笑顔が見下ろしてくれる。

 私はとても安心した気持ちになって、先程までの出来事をゆっくりと報告した。


「────そっか。宮条さんは、全てを手放す事を選んだんだね」


 話を聞き終えた香葡先輩は、少し寂しそうな顔をして言った。

 私の頭を撫でてくれる指先からは、どことなく力が抜けているように思えた。


「でも自分でちゃんと、それを選べた。それはとっても、立派だよね」

「はい。そう思います」


 玉砕の末ではあるけれど、それでも鳳梨ほうり先輩は自らの意思で選択した。

 正直私は、自暴自棄になって強硬手段に出てしまう、という可能性を考えていたけれど。

 でもそこは先輩の真っ直ぐさなのか、引き際は弁えていた。


 いや、あの時鳳梨先輩が言っていた、その通りなのかもしれない。

 これ以上気持ちを持ち続けていたその先の、自分の行動が信じられなかった……。


「ただ、家庭内暴力、かぁ。苦しみつつも愛を手放せなかった藤咲先生と、どうしてもそこから救いたかった宮条さん。ままならないって言ったら、なんかそれまでだけど。切ない、なぁ」

「はい。私は正直、藤咲先生の気持ちはあまりわかりませんでした。自分を傷付ける人を愛し続けるなんて」

「そうだね。普通に考えたら、助けてもらうのがいいように見えるけど。でも違うんだろうね。人を好きになるって、そう単純じゃ、ないんだろうね」


 そう言って悲しげな笑みを浮かべる香葡先輩。

 私がそんな先輩の手を握ると、ありがとうと少しだけ口元を緩めた。


「でも、それでもさ。藤咲先生にはやっぱり抵抗の意思はあったと思う。今のままじゃいけないっていう、意思が」

「鳳梨先輩の能力、ですね?」

「うん。宮条さんの強力な身体強化の能力。それはきっと、藤咲先生の抵抗の意思の表れなんじゃないかな」


 理不尽な暴力を振るう旦那さんを、それでも愛していると言った藤咲先生。

 それでも苦しく辛い日々であることは間違いなくて。

 そんな現状からの離脱を、理不尽への抵抗を望んだ結果が、鳳梨先輩のあの能力だったのなら。


「今はまだ、すぐどうこうはならないかもしれないけど。でもいつかきっと藤咲先生は、自分の力で理不尽から抜け出すんじゃないかな。そうすればきっと、宮条さんの想いは叶うよ。恋は、実を結ばなかったけどさ」

「そう、ですね。そう、信じたいです」


 あくまで私たちの願望に過ぎないことだけれど。

 そう願いたい。少しでも報われてほしい。二人に。


「ただ、目の前の宮条さんのことは心配だね。柑夏ちゃんが恋を消してあげたとはいっても、重い失恋の痛みはあるだろうし。まっすぐな彼女が、それで曲がっちゃわないといいけど……」

「はい。ただ私は、それは大丈夫じゃないかって思うんですよ」


 鳳梨先輩は、確かにそそっかしくて激情型で、能力を抜きにしたって危うい部分がある。

 でもその本質はやっぱり、正しくありたいと願う強い心だから。

 大きな目標を失って、過剰な力を手放しても、きっと鳳梨先輩はこれからも曲がることはないはずだ。


「恋を失った鳳梨先輩は、それでも藤咲先生を悪く言ったりはしませんでした。自分がしてきた向う見ずな振る舞いの数々もとっても反省していて。空手部の部員たちには一人ひとり謝りに行って、またみんなで部活をできるようにしたいって、そう言ってました」

「そっか。やっぱり強いんだね、宮条さんは」


 私の答えに、香葡先輩は嬉しそうに目尻を上げた。

 今回の件はどう転ぶかわからなかったし、本当に危険なことが起きてもおかしくなかった。

 それは私もそうだし、鳳梨先輩や藤咲先生たち当人だって。下手したらもっと多くの人が。


 結果は悲しく、心苦しいものではあったけれど。

 見知った人たちの無事に、香葡先輩は安堵しているように見えた。


 二人の気持ちは交わることはなくて、けれど長い間のすれ違いは、ようやく終わりを迎えた。

 鳳梨先輩と藤咲先生は違う道を行くけれど、二人の愛は違う方向を向いているけれど。

 けれどそれが、二人にとって正しい道のりになればいいと、私は思う。

 きっとそれは、香葡先輩も同じだ。


「でも本当に、柑夏ちゃんが無事でよかったぁ。私は本当に心配で心配で……」

「なんとか生きてます。あんなにリアルに命の危険を感じたのは初めてでしたけど」


 ホッと息を吐く香葡先輩に私は苦笑する。

 今まで色んな問題に関わってきたけれど、あんなあからさまな危険に直面するなんて思ってもいなかった。

 確実に、私に対処できる範疇を越えていた。でも今回はもう、引くことはできなかったから。


「本当にお疲れ様。頑張った。よく、頑張ったよ!」

「はい、頑張りました」


 いつもにも増して念入りに頭を撫でてくれる香葡先輩。

 私はその手に身を委ね、気持ちいい感触に目を瞑る。


「柑夏ちゃんが死んじゃうなんて、私嫌だからね? もう無理はしないで」

「はい。でも、最初にやれって言ったのは香葡先輩ですよ?」

「もー! そーだけど! でもやめなとも言ったじゃん! 最終的に決めたの、柑夏ちゃんだもん!」


 私がちょっと意地悪を言うと、香葡先輩はバツが悪そうにしながらもムクれた。

 癒しを堪能している私の頬に指を突き立て、ぐりぐり捩じ込んでくる。

 突然の攻撃に驚いて身悶えしながら降参の意を示すと、香葡先輩は唇を突き出した。


「まったく、後輩が生意気だと困っちゃうなー」

「うぅ、香葡先輩ひどい……」


 私が頬を押さえて非難の目を向けると、香葡先輩はあははと朗らかに笑った。

 ちょっと文句を言いたかってけれど、でも私も釣られて笑みがこぼれる。


「柑夏ちゃんは、死んじゃだめだよ。これは先輩からのめーれーです!」

「……はい」


 笑みを浮かべながら、けれど強い意思を持ってそう言う香葡先輩。

 私は、膝枕に乗せる頭でそんな先輩の存在を確かめながら、頷いた。


 今回みたいな明確な危険は、今後そうそうあると思えないし、あって欲しくない。

 けれど、叶わぬ恋にまつわる出来事は、どれも複雑で難解だ。

 体に傷を負わなくても、引き際を間違えれば心に深い傷を負うかもしれない。


 私はそもそも人と関わることが得意じゃないし、他人の問題や悩みに触れることなんてもっての外だった。

 今だってその気持ちに変わりはないけれど、香葡先輩と一緒にガールズ・ドロップ・シンドロームの出来事に触れていくにつれて、少しずつだけれど心持ちは変わってきた。

 でもそれが、今回みたいな深入りに、領分ではないことへの干渉に繋がってしまった思うと。

 香葡先輩からのその忠告は尤もだと言わざるを得ない。


「柑夏ちゃんはいつも、たくさん悩みながらも頑張ってくれる。私に色んな事を教えてくれる。でもね、無理する必要はないんだから。柑夏ちゃんが頑張りすぎる必要はないんだからね」


 香葡先輩は私の手をぎゅと握り、穏やかに言う。

 優しいけれど、どこか切実に。


「無理だと思ったらやらなくていい。こんな事、もういつやめたっていいんだから」


 私を見下ろす香葡先輩は、いつもと同じように優しい。

 私の大好きな、温かで柔らかい笑顔。

 私が決して失いたくものが、ここにある。


「はい。でも私、一人じゃありませんから。いつだって私には、香葡先輩がいますから。だから、大丈夫です」

「そっか」


 私の答えに、香葡先輩は眉根を落としながら笑みを浮かべる。

 いつまでも甘ったれた、手のかかる後輩だと思ったんだろうか。

 でも仕方ないじゃないか。私は香葡先輩が大好きで、香葡先輩は私の全てなんだから。


「ん、それはご褒美をねだってる顔かな?」


 優しいその顔をゆっくりと見上げていると、香葡先輩はふとそんな事を言い出した。


「え、いえ、そういうわけじゃ……」

「しょーがないなぁ〜。この欲しがりさんめ〜」


 びっくりした私の言い訳など聞かず、香葡先輩は笑った。


「まぁでも今回は本当に頑張ったし、労いも込めてしっかりご褒美をあげるつもりだったよ。心配しなくてもね」

「心配なんて別に……それに、欲しがってだって、ない、です……」

「ふーん? 嘘をつくのは、このお口かなぁ〜?」


 モゴモゴと言い訳をする私の唇を、香葡先輩の指が押さえる。

 ピタッと、私は黙らされてしまう。


「欲しいものあげるから、準備しな」


 指が離れ、そして、柔らかな唇が私を塞ぐ。

 この先一生忘れることのない甘い口付け。

 今この時が、永遠に続けばいいと、心の底からそう思う。

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