3-2 求められない助け

 宮条さんは武道場にいるからひとまず様子を見てきて、と藤咲先生に言われて、生徒指導室を出た私はその足で向かうこととなった。

 体育館の近くにある武道場に、しかし私は行ったことがなかった。

 剣道や柔道なんかの授業をとると使うことになるだろうけれど、でも基本的には武道系の部活が使う施設だ。


 いきなり正面から入っていって、空手部を覗き込むのもなんだか気が引けた。

 なので私はとりあえず外から様子を見てみようと、武道場の外周をぐるぐると偵察することにした。

 それこそ剣道部や柔道部なんかの活気のある声が聞こえ漏れてくる中、一部静かな辺りを見つけて私はコソコソと近寄ってみる。


 薄く開いた外扉から中を窺い見てみると、板張りの部屋で白い道着を着た女子生徒が一人、何らかの型の練習のようなことをしていた。

 空手のことにからっきしの私は、その人が何をしているのか全くわからなかったし、そもそも空手かどうかも判別はできなかった。

 けれど、みんなが部活に励むこの時間に、他に誰もいない室内で一人で練習をしている状況を見るに、彼女が例の生徒であるだろうことには当たりがついた。


「何奴!」


 さてどう切り出すべきかと思っていたその時。

 中の女子生徒がこちらに気付き、しっかりと目が合った。

 かと思えば、まるで猛獣のようにドッと声を張り上げ、勢いよく駆け出してきた。


 まずいと咄嗟に私が扉から離れた、次の瞬間。

 ドゴンと鈍くもけたたましい音が鳴り、扉が外れて吹き飛んだ。

 木製の扉ではない。金属製の、体育館と同じような頑丈そうな引き戸の扉。

 それが内側からの衝撃で弾け、外れて飛んだ。


 私のすれすれを通過した鉄の板。

 その後に残ったのは、出口から伸びる一本の脚だった。


「なんだ生徒か。不審者かと思った」


 中から顔を覗かせたその人は、威圧的な表情から一転、私を見つけると穏やかな表情になった。

 私はといえば、一瞬でも違えば扉と一緒に吹き飛ばされていたという現実に、唖然茫然、ひっくり返ることすらできずに立ち尽くしていて。

 そんな硬直する私に、その人は首を傾げる。


「君、大丈夫か?」

「────い、今、一体、な、何を……?」


 やっとの思いで絞り出した言葉に、その人はさも当然というふうに答える。


「蹴った。大丈夫、はめれば元通りだ」


 言うと外まで出てきて、金属製の重そうな扉をひょいと拾い上げる。

 そのまま引き戸のレールに力任せに押し込んで、これで何事もなかったと言いたげに満足そうに微笑む。

 確かに元の位置には戻ったけれど、扉の真ん中には強い衝撃を受けたであろう凹みが残っていた。


 蹴った? 扉を? 蹴って吹き飛ばした?

 到底人間の、女子高生の所業とは思えなくて頭がついていかない。


「それで、君は? こんなところで何を。もしかして空手部の見学か?」

「あ、あの、いえ、私は……」


 実質今殺されかけた人にそう問われて、私はうまく言葉を作ることができなかった。

 そんな私の様子も大した気にせずに、その人は爽やかに笑みを浮かべる。


「私は宮条みやじょう 鳳梨ほうり。三年で、空手部の部長だ。よろしく」

「あ、えっと……葉月はづき 柑夏かんな、二年です……」


 自己紹介されたことで、やっぱりこの人が宮条 鳳梨さんなのだと認識できた。

 私もたどたどしく名乗り返して、ようやく落ち着きを取り戻してくる。


 空手道着に身を包んだ宮条先輩は、すらっとした綺麗な女性だった。

 キリッと整った顔立ちは、品行方正で生真面目そうな性格が窺える。

 ポニーテールにゆわいた髪はスポーツ少女によく似合っていて、全体的にハキハキと爽やかな印象を覚える。


 武闘家らしく身体つきはしっかりしていて、けれど少女らしい線の細さも感じられる。

 パッと見れば年頃の女子らしいけれど、その佇まいはとても澄んでいて、静かな威圧感のようなものを覚えた。

 体格だけなら先程の暴挙はまるで想像できないけれど、その覇気からは何でも打倒してしまいそうな力強さを感じる。


 この人が、あの適当そうな藤咲先生に恋焦がれ、しつこく告白し続けているなんて。

 それに、暴力的な問題を起こしているようにも、とてもじゃないけれど見えない。


「よくわからないけれど、よかったら中に入るか?」

「あ、はい」


 気を使ってくれたのか、そう促してくれる宮条先輩について武道場へと上がる。

 シンと静まり返った板間の部屋で、先輩はパイプ椅子を引っ張り出してきて隅に並べた。

 また促されるがまま、私は隣り合って椅子へと座る。


「あの、すみません。私、見学者じゃないんです」


 もしかして入部希望者と勘違いしてよくしてくれているのかと思い、私は断りを入れた。


「私、オカルト研究会で……」

「オカルト研究会……。あぁ、神里のとこの後輩だったか」

「っ……! 香葡かほ先輩をご存知なんですか!?」


 思わぬ名前が上がって、私はガタリと飛び上がってしまう。

 宮条先輩はああと簡素に頷いた。


「あいつとはクラスが同じだったからな。そうか、アイツの後輩か……」


 そう言って宮条先輩は、少し遠い目をした。

 しかし何かに勘付いたのか、すぐに顔を引き締めて私に視線を向ける。


「オカルト研究会ということは、君、私の能力のことを知ったのか?」


 本題をストレートに言い当てられてドキリとする。

 でもそれはつまり、宮条先輩がガールズ・ドロップ・シンドロームに罹ったということが事実だということだ。

 私はコクコクと頷いた。


「そうか。それは因みに、誰に聞いたんだ?」

「それはその……言えません。匿名、なので」

「うーん。まぁなら仕方ない」


 私がボソボソと答えると、宮条先輩は特に怒るでもなくそう唸った。

 実際は別に匿名でと頼まれたわけじゃないけれど、藤咲先生から対処を頼まれたと答えれば拗れる可能性がある。

 それにこれは、香葡先輩に言い付けられている守秘義務の一環でもある。

 相談者が本人じゃない場合、その人の存在は基本明かさない。もちろん状況によりけりだけれど。


「とにかく君は、私の能力をどうこうしてくれようとしに来たってわけだ」

「えーっと。必ずしもそうではないというか。まずはお話を窺って、必要があればお力になることは、できます」


 ニヤリと微笑む宮条先輩が何を考えているかわからず、私はかなりおどおどした喋り方になってしまう。

 先程のあれを見せられては、この人を怒らせたくはない。


「なるほどな。それで君は、私のことをどこまで知ってる? 何を聞いてここに来たんだ?」

「最近、宮条先輩の────」

「ああ、鳳梨でいい。堅苦しいのは苦手なんだ。私も君のことは柑夏と呼ぶよ」

「あ……は、はい」


 生真面目そうでいて、案外気さくなことを言ってくる宮条先輩、もとい鳳梨先輩。

 嫌だと言えるわけもなく、私は大人しく頷いた。


「鳳梨、先輩の……周りで怪我人が多く出るとか。それに設備や備品の破損が多いこと。そして先輩が、バケモノじみた怪力を持っているらしい、ということを、聞きまして……」

「そうか。まぁ、事実だ。その通りだよ」


 私がおっかなびっくり言うと、鳳梨先輩は素直に頷いた。


「今年度に入った頃から、この能力を……妙に力が強くなったんだ。単純に筋力なんかのパワーが強まるのはもちろん、肉体自体が頑丈になっている。それに、視覚聴力嗅覚なんかの感覚器官も鋭くなって。ただ怪力になったというより、肉体が強化されているという感じだ」


 そう言うと鳳梨先輩は立ち上がり、目の前で型なのか技なのかを空振りで見せてくれる。

 ただ空を切っているだけなのに、パワーのせいかスピードのせいか、ゴウと音を立てて振るわれるそれは、見ただけで尋常ではない威力があると察せられた。

 漫画みたいに衝撃波とかが出ていても不思議ではない。


「一応武道をやっている人間だからな。力のコントロールには慣れているつもりなんだ。特に空手は、打撃を相手に当てず寸止めをするのが基本だからな。ただ、どうも上手くいかなかったりした時に、相手に当ててしまって怪我をさせてしまったことが、まぁ何度かあってな……」


 そう言って鳳梨先輩は恥ずかしそうに、申し訳なさそうに頬を掻いた。


「ただ最近はだいぶ慣れてきて、当ててしまうことはかなり減ったんだが……。当てなくても相手が怪我をしてしまう時があるんだ」

「…………」


 本当に衝撃波を出しているのかもしれない。

 拳圧だけで相手にダメージを負わせるって、バトル漫画じゃないんだから。


「設備や備品の破損も、まぁ似たような理由だな。私の力加減の失敗や、勢い余っての結果だったりだ。私としてはかなり頑張っているつもりなんだが、部員のみんなには怖がられてしまって」

「そうですか……」


 そりゃあ怖いでしょうよ、と先程の光景を思い出して言いたかったけれど、流石にグッと堪えた。

 鳳梨先輩なりに自覚していて、気を付けようとしているのはよくわかったし。


「鳳梨先輩がその能力を持て余していて、普段の生活や部活動に支障をきたしているのであれば、能力を消すことができるんですが……」

「あぁ、いや、それはいいよ」


 困っている様子は窺えたので、私はそう単刀直入に言った。

 けれど鳳梨先輩は迷うことなく首を横に振る。


「私には、必要なんだこれが。みんなに迷惑をかけて申し訳ないけれど、私はこの能力ちからを使いこなさなければならないんだ。そのために私は今、修練に励んでいる」

「それはその、どうしてか窺っても……?」


 能力を疎むことが多い中、必要としているケースは珍しい。

 そのことに内心驚きつつ尋ねると、そこで鳳梨先輩は凛々しい表情を僅かに崩した。

 そこにはささやかに恥じらいを含んで、律しながらも緩んでいる。


「柑夏には言うまでもないだろうが。私は今、想いを寄せている人がいる。いわゆる叶わない恋を、している」


 言って、誤魔化すようにはにかむ鳳梨先輩。

 その振る舞いのギャップに、少し可愛らしいと思ってしまった。


「これは、秘密にして欲しいんだが。空手部の顧問の、藤咲先生なんだ。実は何度も告白をしては、振られ続けているだが……」


 私が聞いてきた情報は間違っていなかったらしい。

 まぁその点に関して藤咲先生が嘘をつく必要はないだろうけど。

 でもこの生真面目そうな鳳梨先輩を見たら、しつこく言い寄る姿を想像できなかっただけに、ちょっと意外な気持ちもあった。


「それでも私は、先生への想いを諦めていない。私は先生を心の底から愛しているんだ」

「……えっと、それはわかりましたけど。でもそれと、能力が必要だというのは、どういう関係が……?」

「先生からの愛を手に入れるためには、力が必要なんだよ」


 私の問いに、鳳梨先輩はシンプルにそう答えた。

 拳を目の前で握り、己の力を確かめるようにして。


「私は先生のために、強くならなければならない。そのために私は、この能力を使いこなす必要があるんだ」


 そう、力強く言い切る鳳梨先輩。

 恋愛と力に何の関係があるのかは全くわからない。

 でもそれを尋ねられる雰囲気ではなかった。


「だから柑夏。気遣ってくれる気持ちはありがたいけれど、私に君の協力は必要ない。君に話をした人には、なるべく早く迷惑をかけないようにすると、そう謝っておいてくれ」


 そうやって穏やかに、しかし決然と微笑む鳳梨先輩に、私は何も言葉を返すことができなかった。

 助けを求めていない人に、私は何の力にもなれないんだから。

 私はただ大人しく、はいと頷くしかなかった。

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