第3話 バイオレンス・パイン

3-1 押しつけのような相談

 六月。梅雨に入り、紫陽花学園という名前に似合う季節になった頃のこと。

 雨は降らなかったけれどじめっと心地の悪い、そんなとある日の放課後。

 私は突然、校内放送で生徒指導室に呼び出された。


 普段隅で大人しく過ごしている私は、何かお咎めを受けるようなことをした覚えはない。

 成績だってとりわけ悪くはないし、提出しなければいけないものをサボったりもしていない。

 特に不思議だったのが、私を呼び出した先生であろう人の声に全く聞き覚えがなかったことだ。


 とはいえ無視すればそれこそ怒られてしまう。

 私は気乗りしない重い足取りで、部室へと向かう歩みを切り替えた。


「突然呼び出しちゃってごめんね〜。葉月はづき 柑夏かんなさん、だよね?」


 生徒指導室の扉を開くと、そんなちょっと気の抜けた言葉が飛んできた。

 やっぱり私の知らない先生で、というか向こうも私のことはどうやら朧げのようだった。

 二十代後半くらいの女性教師。綺麗な人だけれどあまり身なりを気にしないのか、化粧気はなく髪も雑に一本に結っているだけ。

 シャツの上から羽織るカーディガンの着こなしも緩く、全体的に粗雑な印象を覚える。


 私がそんな先生の立ち振る舞いに戸惑っていると、「まぁ入って入って」と入室を促してくる。

 仕方がないので私は中へと入って扉を閉め、言われるがままにパイプ椅子に腰掛けた。


「あの、私は何で呼び出されたんでしょう? 心当たりが全くなくて。えっと……」

「藤咲だよ。藤咲ふじさき 教子きょうこせーんせい。今は三年の担当で、空手部顧問。葉月さんとは会ったことないよねー」


 あなたは誰なんだという疑問を察知したのか、その先生────藤咲 教子先生は軽やかに自己紹介をした。

 学年担当が違って部活にも関わりがないとなれば、校内の先生でも知らない人がいて当然だ。

 一応は納得はしつつも、やっぱり私がここにいる理由には皆目検討がつかない。


「いやーごめんごめん。別にね、葉月さんにお説教しようってわけじゃないの。ただちょっとねぇ、何というか、相談に乗ってほしくてね」

「相談、ですか……?」


 まるで状況が理解できずに訝しがる私に、藤咲先生はヘラヘラとした笑顔を浮かべながらすぐ隣のパイプ椅子に腰を下ろした。

 その適当そうな感じが、先生としてちょっと不安にさせられる。

 何かあの手のこの手を使って、自分の仕事を生徒に押し付けようとしているんじゃないかと、そんな余計な邪推をしてしまう。


「うん。実は、空手部のとある生徒の件でね。もちろん教師として、本来は私がちゃんと向き合ってあげるべきなんだけど。どうも状況が特殊というか、なんというか……」

「えっと、私、生徒指導を任せられるほど、褒められた生徒ではないと思うんですが」

「いやいや、そういうのとは違くて。なーんていうかなぁ」


 何とも歯切れの悪い藤咲先生。

 私を呼び出しておいて、何をどう頼むのか全く決まっていなかったようだ。

 腕を組んで脚も組み、一人うんうん唸っている。


 これに付き合う義務が私にはあるのかと、そんなことを思い始めた頃。

 藤咲先生はやっと話をまとめたのか、私のことを真っ直ぐに見てきた。


「実はね、私、その子にここしばらく何度も、それは何度も告白されてんのよ」

「は、はぁ……」

「その子自体はいい子だし、ちゃんとしてる子だし。ただまぁ教師と生徒なんて、よくないでしょ? だからもちろん毎回しっかり断ってるんだけどぉ」


 何かと思えば恋愛相談だった。

 とはいえ、生徒からの好意なんて先生サイドでうまく捌いて欲しいところだ。

 そんなことを今まで一切関わりのなかった私に話されても、なんというか挨拶に困る。


「まぁそれはそれとしてね」

「え、今のくだり関係ないんですか?」


 急に梯子を外され、私は思わず言葉を漏らす。

 藤咲先生は笑いながら、まぁ聞いてと続けた。


「その子が最近、ちょっと問題なんだよぉ。いや別に、悪いことはしてないと思うんだよ、多分。ただね、周りで怪我人が続出したり、ちょっと人間関係が拗れたり、色々あってさ。今空手部は、その子以外誰も来なくなっちゃって」

「そう、ですか……」


 そこが本題なのは理解できたけれど、でもまだまだ話は見えてこない。

 空手部が問題に見舞われているからといって、私にどうしろと?


「それでね、話によるとその子は何だか最近、変、みたいなんだよねぇ」

「変……?」

「うーん。私も人から聞いた話だからはっきりはしないんだけど。他の生徒はあの子のこと、バケモノとか怪物とか、そんなことを言ったりしてて。まぁなんていうか、馬鹿力がすぎる?みたいで……」


 藤咲先生自身はっきりとしてないから、どうも要領を得ない。

 私の不審気な表情を見てとって、先生は少し駆け足に話を続ける。


「外部での試合とか、部活の練習中なんかで、相手を怪我させちゃうことが増えてんの。周りの子たちの話だと、何か反則をしたり、変なことはしてないらしいんだけど。普通に組み合ってるのに、相手の骨を折っちゃったり、脱臼させちゃったり」

「私、格闘技とか武道とか全くわからないですけど。そういうことって普通はあまりないんですか?」

「まぁ競技柄怪我はなくないけど。でもそこまでの大怪我を、しかも何の過失や違反もなしに頻出させるっていうのは、まぁないよねぇ普通は」


 私の疑問に藤咲先生は緩く答える。

 まぁルールに則って試合に臨んで、そこで当たり前のように怪我をしていたら世話はない。

 それに空手って確か、グローブとかヘッドギアとかするだろうから、普通ならそう大怪我にはならなさそうだ。


「それになんか、武道場の設備とか備品の破損も多くてね。何だかそれも、その子に原因があるらしいんだけど……」

「えっと、つまりどういうことなんでしょうか」


 その生徒に何か問題があるのであろうことはわかったけれど、まだ話の肝が見えてこない。

 少しうんざりしてきてそう尋ねると、藤咲先生は苦い顔をした。


「他の子たちが言うには、その子はガールズ・ドロップ・シンドローム?になったんじゃないかって、さ」

「…………!?」

「私よくは知らないけど、でも生徒たちがそんな噂をしてるってことはちょぴっと聞いたことあってさ。なんかまぁよくある都市伝説みたいなものでしょ? ただ、そうじゃなきゃあの怪力は説明つかないとか、そんなことを言い出す子も出てきてさぁ」


 まさか先生の口からその単語が出てくるとは思わず、私はあからさまにびっくりしてしまった。

 確かにその手の都市伝説は年頃の女子たちだから面白おかしく盛り上がれる話で、大人なら見向きはしないだろう事。

 この学校の先生たちだって、その存在を知らない人は多いはずだ。


 私の反応を見て手応えを感じたのか、藤咲先生の言葉には少し自信がこもった。


「それで、オカルト研究会の葉月さんが、その手の問題を解決がてくれるーって噂を聞いてね。だったらちょっと相談してみようかなぁと」

「話は一応、わかりましたけど……」

「うんうん。その感じ、否定もしないし、あながち間違いじゃなさそうだねぇ〜」

「うっ……」


 鋭く指摘され、私はしまったと顔をしかめる。

 適当そうでも流石先生ということか。生徒の反応をちゃんと観察している。


「頼むよぉ。ちょっとその子の様子見てくれない? できるなら、解決してくれない?」

「そう言われましても……。私だって、なんでもかんでもは……」


 軽やかに頼み込んでくる藤咲先生に、とてもではないけれど二つ返事はできなかった。

 話を聞くにかなり厄介そうな問題だ。それに当人が認識していて、しかも先生なんだから、普通に自分で話し合って対処して欲しい。

 ガールズ・ドロップ・シンドロームが関わっているかもしれないとはいえ、私が首を突っ込むことではないように思えた。


「先生の方で話はつけられないんですか? 完全にきっぱり告白を断るとか……」

「毎回しっかり断ってるよー。それでもあの子、全く諦めなくてねぇ。教師として生徒とどうこうなんてあり得ないし、何より私結婚してるし。なのにそれでも、めげないんだよあの子〜」


 そう言って深く溜息をつく藤咲先生。

 生徒から散々しつこく言い寄られ、しかもその生徒が問題行動を起こしているかもしれない。

 悩ましいのはわかるけれど、やっぱり教師として自分で何とかして欲しいところだ。

 能力の詳細はわからないけれど、先生がしっかりと向き合えば状況が改善される可能性はあるように思える。


「やっぱり私が首を突っ込むより、当事者同士で、あるいは先生として対処するのがいいかと思うんですが」

「それがこう、上手くいかないから頼んでるんだよぉ」


 私がそう抵抗するも、藤咲先生は譲らなかった。


「先生を助けてよ。ね? オカルト研究会には目を瞑っとくからさ〜?」

「えっと……?」

「調べてみたけど、オカルト研究会って全然活動実績ないよね? 部員数も最低要件を満たしてないし。普通なら廃部になってもおかしくないよね?」

「…………」


 まさかここへきて脅しのようなことをしてくるなんて。

 ヘラヘラしているようで、何とも抜け目がないというか、油断ならないというか。

 しかも言っていることは至極真っ当なので何も反論できない。

 あくまで学校から大目に見てもらっているから、私たちは呑気にぬくぬくとしていられるのだと、改めて痛感させられる。


 規則に則っているとはいえ、教師が生徒の自由を無下に奪うとも思わないけれど。

 けれど権力を行使される可能性がある以上、この日常を守りたい私としては言うことを聞かざるを得ない。

 私はガクッと肩を落とした。


「……わかりました。どこまでできるかわかりませんが」

「ありがとう〜。助かるよー!」


 私が渋々そう頷くと、藤咲先生は朗らかに笑った。

 こうしてみると親しみやすそうな先生だけれど、なかなかの曲者だ。


「それで、その人は一体誰なんですか?」

「あ、そうだったね」


 私が尋ねると、藤咲先生はとぼけたように手をポンと打つ。

 基本的にはやっぱりかなり適当な人だ。


「その子は三年の宮条みやじょう 鳳梨ほうりさん。真面目でしっかり者の、空手部の頼りになる部長だよ!」


 なんだか自慢げにそう言う藤咲先生の口ぶりで、本来はちゃんとした良い生徒なのだろうということが窺える。

 ただどうしても厄介そうな気がしてならなくて。

 私はどうも気分が重くて仕方なかった。

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