1-4 人を操る能力

 話の雲行きが急に悪くなって、私はなんて言葉を返すべきかわからなかった。

 ガールズ・ドロップ・シンドロームに罹った以上、立ち行かない恋に悩んでいることはわかっていたけれど。

 まさか明確に関係が拗れていたとは。


「原因は、多分私なんだ」


 言葉に迷う私に、森秋さんは続けた。


「お姉ちゃんは、私の気持ちを察しちゃったんだと思う。だから、今までのように仲良くしてくれなくなった。避けるようになったんだと、思うんだ」

「……それは、例えば森秋さんがお姉さんに告白とか、それまがいのことをしたとか、そういうことじゃなくて?」

「うん。する勇気ないもん、そんなこと。でも何でだろうね。きっとバレてるのは間違いないんだよ」


 そう項垂れて、森秋さんは小さく溜息をついた。

 それは現状への憂いというより、姉を煩わせていることに対する後ろめたさからくるように見えた。


「ちなみに、それはいつ頃からの話?」

「三ヶ月くらい前だよ。そしてその頃から、能力が顕れたの」


 もしかしたら、それまでは期待していたのかもしれない。

 実の姉妹でも、仲の良い姉ともっと深まった仲になれる可能性を。

 けれどその姉からの拒絶が、叶うべくのない恋の現実を突きつけられることになって。

 そしてその心は、異能に拾われた。


 森秋さんは手袋をはめた両手を膝の上で強く握り締めて、ポツリポツリと言葉をこぼす。


「何度も、何度も何度も何度も何度も……! この能力でお姉ちゃんの気持ちを操りたいって、そう思った。今までの優しいお姉ちゃんに、仲良くしてくれるお姉ちゃんに戻したいって。でもそれをしちゃったら私、本当に大切にものを、壊しちゃいそうでっ……!」


 気が付けばその瞳からは小さな涙が溢れ出していた。

 言葉を滲ませるたび、嗚咽に合わせて堪えきれない雫が頬を伝って落ちていく。


「でも、そう思ってても、日に日に気持ちが大きくなる。この手でお姉ちゃんの手を握れば、また優しく笑ってくれる。頭を撫でてくれて、抱きしめてくれる。そう考えたら、我慢なんてできなくて……」

「………………」


 失ったものに縋りつくその姿を、私は他人事とは思えなかった。

 昨日初めて会話をした、名前も覚えていなかったクラスメイトなのに。

 今まで極力他人と関わらないようにしてきて、ここ最近は特に遠ざけてきた私が。

 珍しく、この人の力になりたいと、少し思えた。


 丸まった背中に恐る恐る手を伸ばす。

 ポンポンとぎこちなく撫でると、森秋さんは「ありがとう」と鼻を啜った。


「実はね、この能力で人を操っちゃうかもしれないって心配は、そんなに大事じゃなくて。私は、お姉ちゃんを思い通りにしてしまいたい自分が怖いだけなの。わがまま、だよね」

「そんなことは……」


 えへへと自虐的な笑みを浮かべる森秋さん。

 むしろその自制心は立派だと思うけれど、私はそこまでを言葉にすることはできなかった。


 代わりに私は森秋さんの背中をひたすらさすった。

 嗚咽を漏らしていた彼女は、しばらくすると落ち着きを取り戻して不器用な笑顔を浮かべた。


「ごめん、泣いちゃって。葉月さんって優しいんだね。ありがとう」

「私は別に、そういうんじゃ……」


 正直、この行為が森秋さんのためだったかはわからない。

 ただ自分のために彼女を慰めていただけかもしれないから。


「えっと、それでね」


 私のモゴモゴとした態度に微笑んでから、森秋さんは話を再開させた。


「……あれ、何話せば良いんだろう?」

「つまり、お姉さんとは最近まともに話せていないってこと?」

「あ、うん。そういうこと」


 私が変わって質問をすると、森秋さんは素直に頷いた。


「ここ三ヶ月くらいは。簡単な会話はするけど、それだけ。私のことが大好きなお姉ちゃんに甘えすぎて、好き勝手しすぎた私がいけないんだ、きっと」

「まぁ聞いてるに、そうじゃないとは言えなさそう」

「もう、そこは嘘でもそうじゃないって言ってよぉ」


 つい本音で答えると、森秋さんはそう頬を膨らませた。

 すぐにあははと笑うところを見ると、気持ちは切り替えられたようだった。


 でも、そんなところだろうとは想像に難くない。

 姉が自分に対してシスコンだと自覚していて、そんな姉に姉妹以上の好意を抱いている。

 種類は違えど過剰な愛情を持っている同士。それで妹の立場となれば、甘えの限りを尽くしそうだ。

 あれだけ姉に憧れて、尊敬しているのなら尚更。


 お姉さんの方もそこに乗っかって溺愛していたんだろうけれど。

 関係が深まれば、言葉にしない気持ちも知れず伝わるものだと、前に香葡かほ先輩が言っていた。

 お姉さんが森秋さんの気持ちを察するのも、おかしいこととは言えないんだろう。


「ただ、ただね。お姉ちゃん、別に私のこと嫌いになったわけじゃないと、思うんだよ。私のただの願望かも、だけど……」

「何か根拠はあるの?」

「それはないけど、さ。そこはほら、姉妹の信頼関係というか……」

「…………」


 あまりに希望的観測に満ちた意見に、私は思わず閉口する。

 そんなこちらの呆れを察したのか、森秋さんはしょぼんと肩を落とした。


「そりゃ、一番あり得る可能性は、溺愛してた妹に性的に見られてたと知ってドン引きした、だとは思うけどさ」

「別にそこまでとは言ってないけど」


 急にネガティブなことを言い出す森秋さんに、わたしも思わずフォローを入れてしまう。


「思いもよらない気持ちを向けられて、ただ戸惑っているだけかも」

「うん。ありがと」


 森秋さんは力なく微笑んでそう言ってから、小さく息を吐いた。


「まぁ、その辺りはちゃんと話さないとわからないけどさ。でも今のお姉ちゃんとちゃんと話すためには私、この能力があったらダメだと思って」


 だから消せるものなら消して欲しいと、森秋さんは私をまっすぐ見て言った。

 お姉さんを良いように操ってしまいたい。そう思う自分が怖いから、と。


「森秋さんの能力。人を操るっていうそれのこと、もう少し詳しく教えてくれる?」


 気持ちは伝わってきたけど、私一人、今ここでは決められない。

 聞くべきことを聞いておかないと、と私は質問を続けた。


「う、うん。まぁ、ほぼ言った通りなんだけど。素手で他人に触れると、その人を操ることができるの」

「それは気持ちも行動も、どっちも?」

「だと、思う。多分」


 私が突っ込むと、森秋さんは目を逸らした。

 どことなく自信がなさそうだ。


「昨日も話したけど、全然コントロールはできなくて。意識的に使ったことも全然ないし、どの程度のことができるのかまでは、正直わからなくて」

「そう。なら、意図せず使ってしまった時は、どうなったの?」

「うーん。私の望んでいたふうにその人が動いてくれたって言えば良いのかな。普通だったら不自然なくらい、私優先でいろいろしてくれたり」

「その間、その人の意識は?」

「あると思う。意識を乗っ取るんじゃなくて、そうしたいと思わせてる感じなのかな。だとするとやっぱり、気持ちも行動もどっちもってことなのかな」


 ポツリポツリと答える森秋さんの言葉に耳を傾け、私は自分なりに能力を分析する。

 他人の意識を自分に優先させる。気持ちや行動を強制させるというより、意識を塗り替える、そんな雰囲気がする。

 今は無意識に使ってしまうことばかりだというけれど、もし意識的に使えるようになれば、他人を自分色に塗り替えることができそうな能力だ。


 今関係が上手くいっていないお姉さんを、自分の望むように変えてしまうことだってきっとできる。

 でもそれをしてしまえば、きっと森秋さんの恋は……。


「うん、大体わかったと思う。ありがとう、話してくれて」

「ううん。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」


 あとは香葡先輩に報告して、方針を相談した方がいい。

 森秋さんと、その恋相手については大体知ることができたと思うし。


「あ、一応。今聞いた話は他言しない。でも、研究会内では共有させてもらうから。それだけはわかっておいて」

「え……? あ、うん。大丈夫だよ。信じてる」


 相談者にはちゃんと守秘義務があると伝えること、と香葡先輩にいつも言いつけられている。

 私が形式ばって説明すると、森秋さんは首を傾げながらも頷いた。


「どうするか決まったら伝えるから、それまでは待ってて」

「うん、わかった。頼りにしてるね」

「…………」


 そう言って柔らかく微笑む森秋さんに、私はなんて答えるべきかわからなかった。

 頼りにされても、それに応えられるかわからない。


「あともう一つ、大切なことを言わないと」


 そろそろ帰ろうかと立ち上がった森秋さんに、私は付け加えるように言った。


「私が能力を消す時、その原因となった恋心もまた、消える。それは覚悟しておいて」

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