酔っ払いラプソディー1


 * * *


 音楽が無くても、結斗は、ずっと純を独り占め出来ると思っていた。

 幼馴染って理由だけで。

 中学は同じだったけれど高校は純と別だった。理由は単純に結斗が志望校に落ちて滑り止めの高校に行ったから。

 純とは一緒に受験勉強をしていた。入試時点では、お互いそれほど学力に差はなかった。

 純も併願で同じ高校を受けていたし、純が第二志望にランクを落とせば結斗と同じ高校に行くことも出来た。でも純はそれをしなかった。

 結斗が同じ立場でも、わざわざ純と同じ高校にしなかったと思う。そんなことをされたら絶対に怒った。

 純は結斗が一緒の高校に行けなかったのを残念がるどころか「仕方ないね」とあっさりしたものだった。


 中学でも学校ではお互いのことには極力干渉していなかったし、純にも結斗にもクラスの友達が別にいた。だから、こんなもんだと思っていた。

 お互いのことが一番大事だからこそ、自分たちの仲を誰かに邪魔されるなんて我慢出来なかった。それなら最初から遠い方が安心出来た。二人の時にお互いが一番だったら、それでいい。


 まぁ、別の学校でもいいやって思えた。


 自分たちの距離が他のクラスメイトたちと違うのは中学生になれば分かっていた。

 幼馴染だとしても、こんなに四六時中ベタベタして仲がいいなんて普通じゃない。

 結斗がお互いの家と同じノリで、馴れ馴れしく純の交友関係に入っていくことで、純に迷惑をかけたくなかった。



 そんな理由で一度、高校は離れたが結局大学は、また同じになった。

 お互いに誘い合わせて決めたわけじゃない。


 ――結斗。大学どこ行くの?

 ――K大学か、D大学。

 ――ふーん。


 ってそれだけ。蓋を開けたら。


 ――不思議、偶然一緒だね。

 ――お前もっといいところ行けたんじゃねーの?

 ――俺の学力だとこんなもんだよ? あと家から近いし。


 って感じになった。


 近場で家から通える大学を選んで受験したと言っていた。結斗自身その純の言葉の全部が本当とは思っていない。

 自惚れてもいいなら高校が別で純は寂しかったんじゃないかと思っている。

 純と同じ大学でも学部は違うし百パーセントの確証はない。本当に偶然の可能性もあった。

 結斗は、それでも高校の時と同じで外では、純と話す機会はないと思っていた。

 お互いに講義が詰まっていた一年生までは大学で平穏に過ごしていた。

 二年になり時間割に余裕が出てきたころ。急に純は大学で結斗に声をかけるようになった。

 家の中では相変わらず子供の時みたいにベタベタしていた。でも外だと周囲の目が気になって仕方がない。

 気を抜けば癖で、すぐに純に引っ付きたくなって困った。



 この間、純が界隈で有名人だということを知ってから、さらに周りの目が気になった。

 自分が一緒にいることで、純が変な目で見られやしないかって。

 けれど、そんな結斗の気持ちを気にもせず、わざと自分の交友関係を見せびらかすように、あるいは高校までの空白時間を埋めるがごとく純は結斗と外で一緒にいようとする。

 だから知らなかった「外の純」を知る機会ばかりに度々遭遇してしまう。

 この日、午後になって一緒に帰りたいからと純にスマホで呼び出された。

 学内のカフェテリアで待っていたら、純が入り口のガラス扉を開け颯爽と現れる。髪も含めたら全身黒だ。普通なら野暮ったく見える黒一色の服装なのに、純が着ると、すっきりと整って見えるから不思議だ。

 長い足。歩くたびにロングコートの裾が揺れる。

 そして嫌でも気づく。


(見られている。周りの人に、すげー見られてる)


 元々、綺麗な男だということは知っていたが、そんなにパンダみたいに見たいか? と思った。

 一番奥のエリア。天井まで一面ガラス窓。その横にある四人掛けの丸テーブルに結斗は一人で座っている。

 手を振られて、それに振り返す。

 変じゃないよな。俺たち、今大丈夫だよな? ちゃんと友達同士に見えてる? って自分で自分に問いかけている。最近ずっと、こんな感じ。


「ねぇ、クリスマスさ、どこか一緒に遊びに行かない?」


 正面の席に座った純は、結斗にそう切り出した。それ呼び出してまで今ここで言うことか? って思った。


「ッ、は、はい?」


 声が裏返って、飲んでいた缶コーヒーでむせた。


(めっちゃ周りに会話聞かれてる! めっちゃ! 見られてるし、後ろ! 前!)


 周りからの視線が気になって仕方ない。


「いや、だからクリスマス。なんか予定ある?」


 家の中なら純に何を言われても動じない自信はあった。けれど衆人監視のなかは無理だった。


「ゆい、聞いてる? あと顔、コーヒー拭きな。ハンカチ持ってる?」

「うん……聞いてる。ハンカチある」

「変な結斗」

「……うん」


 瀬川に教えてもらって以来、結斗は純に内緒でネットで純の動画をいくつか見た。

 エロ動画を探して見ているわけじゃないのに、すごくやましいことをしている気分になった。

 純は動画サイトで「王子様」と書かれていた。ファンコメントは賛辞の嵐。

 次はこれが聴きたいといったリクエストも、たくさん来ているのに純はそのリクエストに応えることはなく、ただ好き勝手に、その日の気分で弾いていた。

 弾いてみた。やってみた系のカテゴリランキングでは、いつも上から数えた方が早い。なんだか幼馴染が芸能人みたいに感じる。

 でも人気の動画主なのに、今から、これを弾きます。以外には特に何も喋らない。

 結斗の前では、色々好きな音楽のことを喋ってくれるのに。そういうのもなし。


(チャンネル登録よろしくね(星キラリ)とか普通言うんじゃないのか?)


 さらに、もらったコメントの返信は一律「ありがとうございます」だけ。素っ気なさ過ぎる。そんな愛想のなさで、この先プロとして、やっていけるのか結斗は不安だった。


(ピアニストになるんじゃないのかよ)


 自分たちは、おかしいと思う。けど、その近すぎる距離感を失いたくないと思っている結斗の方が、もっとおかしいことも知っている。

 純は、いま外の世界へ羽ばたこうとしていた。

 結斗を置いて、遠くに。

 過去、純がピアノを辞める原因になったことを結斗が悔いているなら、今が、その罪滅ぼしの絶好の機会だった。全力で応援するべきだと思う。

 そう思うのに何も言い出せない。

 結斗だけが、ずっと純の部屋の地下室にいる気がした。

 そして、それを幸せだと思っている。


「なー、クリスマス親らニューヨークで遊ぶんだって。お前それでいいのかよ、放って置かれて」

「別に。気にしてない。結斗がいるから寂しくないし」

「……あっそ」


 これ以上、結斗を甘やかさないで欲しい。親離れのごとく、純離れしないといけないのに、純は全然させてくれない。砂糖まみれで溶けそうだ。

 こんな幸せ、これ以上受け入れていたら、どうにかなってしまう。


「ねぇ。なんか、亜希さんに言われたの?」


 急に純は探るように結斗の顔色を伺ってくる。


「純くんに遊んでもらえって言われた」


 遊んでくださいとは、言いたくなかった。


「そう、だったら」


 純がそう言いかけたとき急に後ろから名前を呼ばれた。振り向くとそこには瀬川が緑のエプロン姿で立っている。


「おい、桃谷! お前今日カフェのバイトだろ」

「え、あ!」


 言われてハッとした。

 結斗は学内のカフェで週何回かアルバイトをしていた。いつもバイトの時間を忘れることはないが、今日は頭のなかからすぽんと抜けていた。


 ――純に呼ばれるまでは多分覚えてた。


 純に呼び出されて全部抜けた。

 こういうの何ていうんだろう。

 マタタビ前にした猫?

 呼ばれて、会えることに浮かれているつもりはなかった。


「ガッツリ入れてんぞ。三時から。優雅にお茶飲んでるからって声かけてみれば、お前は、今から俺と交代!」

「あー。ごめん、純。俺、バイトだった」

「うっかりしてるなぁ。ま、いいけど。じゃあ、バイト終わったら帰りウチ寄って話あるから」

「え? うん、じゃあ後で連絡するよ」


 改まって純から話があると言われても、なんの件か分からなかった。


 結斗が席を立って、仕事場のカフェカウンターの中へ行こうとすると、隣に立っていた瀬川が結斗を小突いてくる。

 そういえばストリートピアノの動画主である純を紹介して欲しいと言われていた。

 別に結斗が、わざわざ紹介しなくてもと思う。「自分で声かけたらいいじゃん」と返した。お見合いじゃないんだから。

 瀬川が意を決して純に声をかける。座っている純は絵に描いたみたいに微笑む。


「えっと、ピアニストの『純』さんですよね」

「はい。そうです」


 ――あ、これ、よそ行きの声だ。


 そう思った。

 丁寧で静か。夜のニュースを読むアナウンサーみたいな話し方をする。結斗の前と違う声だ。結斗の前では、もう少し弾んだ声になる。


「いつも動画見てます。この前の超絶技巧練習曲シリーズのやつ最高でした! 俺クラシックとか分からないんですけど『純』さんのピアノがほんと好きで」

「ありがとうございます。嬉しいです」


 二人の会話をどうしても、その場で聴いていられなかった。自分の知らない純を他人の口から知りたくない。


「――ごめん瀬川、俺、先に行くな」

「おう! またなー!」


 足早にカフェカウンターに向かう。自分のタイムカードを打刻する。裏でエプロンを着て仕事を始める。慣れたルーティーンをこなして、瀬川と純の会話を忘れようとする。

 けれど余計に気になって仕方ない。

 注文されたドリンクを作って品物を出す時、まだ瀬川と話している純を横目で見てしまった。

 中学の時は、こういう場面で何も思わなかった。むしろ、それを見て安心していた気がする。

 今は何故か、むしゃくしゃがいっぱい心の中に溜まって苦しくなってしまう。


 小さい子供みたい。この醜い独占欲を今すぐ消したかった。

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