第12話 髪。

《ふぅ、良い風ね》


 今はまだ日が出ている時間帯ですが、お互いにもうネグリジェでして。

 そこは良いんです、初日に歓迎会は開かれず、体調を整える為の休日ですから。


 ですが何故、ミラ様と同室なのでしょう。


「あの、何故同室なのでしょう?」

《だって、一緒にお泊りなんて滅多に出来無いでしょう?》


「確かにお宿では別室でしたが、何もココで、何故です?」

《ふふふ、ついでに侍女の体験もさせてあげたくて、嫌なの?》


「侍女見習いも同室も嫌では無いですが、それこそもう少し高位の令嬢のなすべき事では?」

《私に取り入ろうとしたり、逆にシリル様の妾になろうとするかも知れない、そんな者を傍に置きたく無いわ。それに今のままで十分では有るけれど、アナタが居てくれた方が頼もしいもの、ね?》


「甘えても許しませんよ?」

《髪を梳かさせてあげるから許して?》


「もう、痛くても知りませんからね」

《はいはい》


 この髪の長さこそ、非経産婦の貴族の証。

 髪って意外と丈夫なので売れるんですよね、工業用の縄に使われるので庶民は髪を伸ばしてから売る、洗う手間は有りますが何もせずに得られる良いお小遣い稼ぎ。


 そして貴族は子が生まれる前後、髪を切って飾りにする。

 産後暫くの入浴は厳禁ですし、本当に邪魔ですからね長い髪って。


「素敵な飾りになりそうですね」

《そこよそこ、あの人が切って欲しく無い、洗うからって五月蠅いのよ》


「あー、ウチの父もでしたね、折角伸びたのにって。なのでココまでにして、剃刀で削ぎ切りにして、それで何とか納得してくれてました」


《あ、真っ直ぐでは無いのね》

「はい、バッサリ切られた様に見えなければ良かったみたいで、まぁこれなら良いだろうと。三等分に束にして削ぎ切りに、ですね」


《あぁ、売るには揃っていた方が良いものね》

「ですね」


 ある意味で貧乏臭い、そして不憫にも思えてしまうそうで。

 そこが理解出来るからこそ、母も妥協に妥協を重ねたんですよね。


 通り魔に髪を切られてしまう方が、未だに王都にも地方にも存在していますから。


《一緒に説得して頂戴?》

「はい、喜んで」


 一定の長さを超えると、常に編むか結んでいないと凄く絡むんですよ、本当に面倒で。

 男性が羨ましいです、貴族でも仕事の為だと言えば短くする事は許されてるんですから。




《アニエスに黙って連れて来た、と》

『うん』


 アーチュウの表情が天蓋のレース越しなのが惜しいけれど、ミラのネグリジェ姿を万が一にも見せたくは無いし。

 この驚いたアーチュウを見逃したくも無いし。


《ふふふ、本当に、恋って凄いわね》

『そうだね』


 喜びから落胆へ、可哀想だけれど仕方が無い。

 表情の学習には最適なんだよね、アーチュウもアニエス嬢も。


《そんなに驚かせたいんですか、俺達を》

『勿論喜ばせたい気持ちも有るよ、けれど構えさせては下手に悩ませ破棄に繋がるかも知れない、と思ってね』

《それに万が一にも途中で逃げ出されては困るし、そうなれば本当に傷付くでしょう?》


 アーチュウが連れて来た地方出身者の庶民、マルタンについても知っている。

 彼の親友に起きた悲劇も、更にその後に起こった悲劇も。


 手紙の本当の送り主は、彼女の姉。

 そして政略結婚を押し進めたのも姉。


 字や計算の不得手な妹を疎み、結婚せざるを得ない状況に仕立てた。


 けれど妹は妹で、不出来では無い、単に得意とする分野が違っていただけ。

 機織りの才能に刺繡、それこそ王宮の侍女にと王室が目を付けていた者だった。


 だと言うのに、貴族らしからぬ特技、庶民と恋をしたからと。

 追い立て、追い詰め。


 その妹は愛する者の訃報を聞き、あっさりと亡くなってしまった。


 そうした企みが有ったのだと王室の耳に届いた頃には、両者が亡くなった後。

 だからこそ直ぐに隣の領地にアーチュウを配属し、メナートに処分して貰ったんだよね。


 落として、他者に不貞を暴かせ、消える。


 メナートは地味だけれど、不思議な色気が有るらしい。

 僕が同性だから分からないのか、ミラには分かるらしく。


 安全そうに見えながらも危険な香りがし、薄暗く怪しい雰囲気の中に、儚さを感じるそうで。

 僕にしたら面倒そうだとしか思えないんだけれど。


 母性が強い者や劣等感を感じている者には、特に魅力的に見えるらしい。

 僕の指示が良いのは勿論だけれど、彼に落とせなかった者は居ない。


 けれど、もしコレでアニエス嬢を落とせと言ったら。

 どうなるんだろうか。


『君がアニエス嬢を本当に大好きなのは分かるよ、だからこそ僕らに気を利かせる為にも、もう1つの事象について気が付いて欲しいな』


《アニエスは、今》

《ネグリジェ姿だけれど、隣よ》

『侍女も居るけれど、行かなくて良いのかな?』


《失礼します》

『うん、行ってらっしゃい』


 部屋と部屋を繋ぐ戸を使えば良いのに、ご丁寧に廊下に出るなんて。

 本当に騎士らしい騎士だよねアーチュウ。




《アニエス、話がしたい》


 慌ててノックしたものの、気が利いた事が全く言えず。


「明日まで待てませんでしょうか、コチラはネグリジェのままでして、正直着替えるのが凄く面倒で億劫なのですが」


《一応、俺は婚約者の筈なんだが》

「コチラは未成年ですが」


《手出しはしない》

「されては困ります、もう1年は有りますから」


《衝立越しで構わない、せめて部屋に入れてくれないだろうか》


「衝立と天蓋を下ろした状態でしたら、はい」

《分かった》


 天蓋のレース越しでも、こうして会えた事が嬉しい。


「その、どの様なご用件で」

《ココへ来る事を聞かされて無かったと聞いて、謝罪に来たんだ。すまない、アレが無茶をした》


 会いに来てくれたのかと、少し前までの期待は崩れ去ったが。

 それでも、嬉しい。


 会えた事については感謝している。


「だけ、ですか?」

《会いたかった、それに贈り物についても》


「夫婦としての贈り物としては寧ろ上出来だそうですが、流石に、少し色気が無さ過ぎるかと」


 アニエス付きの侍女が顔を押さえている、やはりそんなにダメだったのか。


《花も、すまなかった》

「あ、いえ、それについては良く有る意思疎通の不手際ですのでお気になさらないで下さい」


《良く有るのか》

「はい、ですので私が相談役として呼ばれる事も多いんです、男性は失敗談をあまり共有なさらないみたいで。はい」


 確かに、だがカミーユすらも俺には。


《嫌いな花や香りについては知った、けれども、好きな花や香りについて》

「体調によって変わるんです、良いなと思っても、月の物が近くなると臭く感じてしまったりで。そこをお手紙に書くのは流石に、憚られまして」


《なら、共通して好きな香りは無いんだろうか》


「その、高貴な香りとは言い難いので、恥ずかしくて」

《俺は洗い立てのリネンの匂いが好きだ、しかもノリがしっかり利いているモノが特に》


 どうして、そんなに驚いているんだろうか。


「誰かからお聞きになりました?」


《何の事だ?》

「私も好きなんです、だから、メアリー?」

『私は言っていませんよ』


「じゃあ、カミーユさんから?お店にいらっしゃったんですよね?」


《何故、それを》

「カミーユさんの事は従業員が知っていますので、お会いした時にお伺いしたんです、同行者の方について」


 不覚だった。

 従業員に口止めは、いや、却って怪しまれてしまうか。


《偶々、会っただけだ。君への贈り物を選ぶ為に》


「偶々、ですか」

《俺に気は全く無い》


「でも一時は婚約話が浮上したそうで」

《それは親同士の話し合いが外に漏れただけだと聞いている》


「子爵位の方がマシでは?」


《なら、子爵位に》

「ミラ様のような有能さも志も無いので無理です、なれても精々男爵位、お会いした辺境伯のご令嬢達にも大丈夫だと仰っては頂けましたが。本音なのか全く分からないので上手く立ち回れる自信が御座いません」


 あぁ、愚か者がどうして容易い女が良いのか、良く分かった。

 賢い女を落とすには手間暇が掛かる、そして娶ってから教育すれば良いなどと、そう甘い考えを持ちたくなるのも理解した。


 心が折れそうになるより、適当な愛で十分なのだろう、そうして女を相当に甘く見てもいるからこそ。


 そんな男に奪われる位なら。

 そうか、アイツはこんな思いを何年も。


《国の為にも君を守れる様に尽力する、だからどうか俺を捨てないでくれ、アニエス》


 立場に関係無く頭を下げられる様になれ、目的の為に妥協するな、無益な自尊心は捨てろ。

 真っ当な父親に育てられた事を、誇りに思う。


「ちょ、あ、膝を折らないで下さい頭を上げて下さい」

《俺は君に支えられたい、君以外は要らない、今後絶対に君以外とは死んでも結婚しない》


 書類はジハール侯爵が早々に破棄してくれたが、もう、絶対に嫌だ。

 望まない結婚生活は十分に味あわされた、あんなものは苦痛でしかない、死んだ方がマシだ。


「死ぬのはダメです」


 天蓋から下がるレースの隙間から、アニエスの手が。


 無作法なのは分かっているが。

 その手に。


《君と添い遂げられるその日まで純潔を守り、死しても尚貞節を貫く、君に忠誠と愛を捧げ、守ると誓う》


 だから俺を捨てないで欲しい、離れようなどとしないで欲しい。


「ちょ、あ」




 仕えている家が貴族位を賜ると聞いた時も、お嬢様に婚約話が出た時も。


『まさか、騎士様のハンドキスにお目に掛かるとは思いませんでした、眼福眼福』


「あのですね、メアリー、アレはそうした意味で差し出した手では無いから無作法なんです、ダメなんです、本当は」


 真っ赤になってらっしゃる。

 あんなに小さかった子が、こんなに大きくなって。


『はいはい、そうですね』

「もー、どうして止めてくれなかったんですか」


『それは無粋と言うモノです、それにちゃんと黙って追い出して差し上げたじゃないですか』

「もっと早くにです、手を食べられてしまうかと思いましたよ」


 ハンドキスの後に頬擦りされてらっしゃって、何だかお可哀想なのと、つい美丈夫でらっしゃいますから見惚れてしまった事は。

 内緒にしておきましょう、はい、実に眼福でした。


『私は庶民ですから分からない事なのかも知れませんが、地位よりも得難い事を得られたかと』


 愛する事は意外にも簡単なのです、この方だけ、この方だけしか私を愛してはくれない。

 そう思い込み、周りを一切見なければ良い。


 無意識に、無自覚に、私もそうしておりましたから。


 ですが、そこに愛は有りませんでした。

 私にも、お相手にも。


 カサノヴァ家の方々、引き取って下さったジュブワ家の方々には感謝してもしきれません。

 あの地獄を天国だと思い込んでいた私を、お救い下さったのですから。


「あの強烈な情愛の、事でしょうか」

『はい』


 求め、尽くしたからと言って得られるモノでは無い。

 得る事を望むより、与える方が楽なのですよ、お嬢様。

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