第31話 竜との契約

 聞き覚えのある声、俺はこの声を知っている。



『おい、聞こえないのか?ならばもう一度、言ってやろう。その体、我によこせ!』



 何を言っているんだ、こいつは、バカなのか?



『聞こえているぞ』



 …………あれか、ここは死後の世界というやつか。



『寝ぼけておるのか?まあ、それもよいかもな。友を助けられず、深いに眠りにつき、幸せな夢を見る。それもまた人間よ』



 こいつは何を言っているんだ。だけど、たしかにこのまま眠ってしまえば、とても心地よさそうだ。まるで母親の胸の中にいるようで、幸福感に満たされる。



『その幸福感、我に体をよこせば、永遠に感じることができるぞ…………永遠にな』



 そうなのか…………。


 それでいいと思った。満たされたまま、ずっと…………。


 だけど、そこで思いとどまる。心のどこかでダメだと叫んでいる。



「そうだ、俺にはやるべきことがあったはずだ………」



 あと少しで思い出せそうなんだ。何かきっかけがあれば、その時、ふと自分の心から何かを感じた。


 沸々と煮えたぎる何か、それは醜くもあるも人間を表す感情。

 最初は小さかった灯が、徐々に大きくなり、広がってレイン自身を焦がす。


 それを俺は知っている。これは、怒りだ。



「そうだ、俺にはやるべきことがある。そう、ゲニーを殺し、そしてゲニーを貶めたあの方を殺すというやらなければいけないことが、俺にはある!!」


『くぅ、あと少しだったというのに、これだから人間は不可解なのだ』



 思い出した、すべて思い出した。そうだ、俺は化け物にやられて、それで…………。


 そこでレインは改めて周りを見渡した。

 真っ暗な空間、何もなく、しかし、不快感は感じない。むしろ、ずっと前からここにいたような安心感すら感じられる。



「ここは、どこだ?」


『貴様の精神世界だ』


「うん?…………って、え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」



 真上をむけば、そこには漆黒の竜がこちらを見下ろしていた。



『うるさい、人間だな』


「りゅ、竜が喋った!」


『竜が喋るのは当たり前だろうが』


「いやいや、普通は言葉を話したりしないって…………というか、お前、もしかしてネスタ遺跡で」



 見覚えのある姿、レインはすぐにネスタ遺跡で戦った竜を思い出した。



『あと少しで我は自由となり、あの時の戦いの決着をつけられたものの…………いや、我が先走りすぎたか』



 間違いない、この竜はネスタ遺跡で戦い、倒した竜だ。



『何を黙っている』


「いや、今はそんなことどうでもいい。俺はどうしてここにいるんだ?」


『何、心が弱っていたからな。意識を遮断し、こちら側に引きずり込んだのだ。まあ、無駄足だったがな』


「つまり、どういうことだ?」



 レインは首を傾げた。



『なぁ!?貴様、頭の中に脳が入っているのか?それとも、我が知らぬうちに人間は退化したのか?』


「おい、失礼なことを言うな!俺は早く、戻ってやらなきゃいけないことがあるんだ。というわけで、戻して」


『貴様という人間は…………一つ、残酷な現実を告げてやろう。今のお前では勝てなん』


「んっ!?」


『それは貴様がよくわかっているはずだ。そもそも、…………え~と、あっ!レベルが違うのだ。そうレベルがな』



 そんなこと、言われなくても分かっている。

 どんなに巧みな技術、策があろうと、圧倒的な力の差の前では無意味であることを。



「それでもやらなきゃいけないんだよ!親友としてな」


『綺麗ごとだな。世の中は力だ!力がなければ奪われ、殺される。それが理であり、心理だ!!それを使命のように語り、無謀に戦うなど、愚者がする行いだ』


「…………そうだな。それでも譲れないものが俺にはある」


『くだらんな…………だが、その愚かさこそ人間の面白さでもある。我が数々の英雄と呼ばれる人間と戦った時、いくら策を投じようと勝てなかった。だが一人だけ、圧倒的な力を持つ我の前で、無策に挑んだ男がいた。その男はどうなったと思う?』


「し、知るかよ」


『なんと、我を退き、ましてはあと一歩というところまで追い込まれたのだ!たしかに、あの時の我は油断していた。だが、それでも、我は追い込まれ、そしてそいつは我を殺すのではなく、封じたのだ。何たる屈辱!!!』



 竜は叫びにながら、足踏みをする。



『つまりだ。人間には圧倒的な力を覆す奇跡を起こすことがあるということだ』


「もしかして、励まされてる?」


『励ましではない。それにこれから長い付き合いになるのだ、これぐらい知っておかねばな』


「長い付き合い?」


『本来の予定ならば、貴様の体を乗っ取るつもりだったが、それはもう不可能だ。そして、このままお前が戻れば、貴様は死に、我も消滅する』



 こいつは何を言っているんだ?


 レインは竜の言葉を全然理解できなかった。



『レイン、我と契約しろ。契約した暁には貴様にかつてこの世界を恐怖に落としれた

竜の力を貸してやろう』


「契約…………」


『そうだ。悪い話ではないだろ?我と契約すれば、貴様の言う、げろー?というやつも確実に殺せる。それどころか、燃え滾るその怒りの矛先、すべての元凶すらも殺すことができるだろう』


「ゲニーだ!間違えるなよ、まったく…………」



 竜との契約。そんなことを聞いたことがない。

 調べれば、昔話の伝承とかであるかもしれないが、今はそんな時間ない。



「対価は?」


『対価はない』


「噓だな」


『なぜ、そう思う?』


「お前は俺の体を乗っ取ろうとしたんだろ?なのに、無条件で力を与えるなんてありえない。そう思うのが普通だろ?」



 その言葉に一瞬だけ、静けさが空間に広がった。



『ふん、対価は我を楽しませることと、そして一度だけ、我に体の主導権を渡すことだ』


「やっぱり、あるじゃん」


『貴様を試したのだ。それで、どうするのだ?』



 この竜、思った以上に賢い。だって、俺が契約せずに目を覚ましたとしても俺はゲニーには勝てない。


 だが、こいつと契約すれば、不可能を可能にする力を手に入れられる。この竜、最初っからこれが狙いでゲニーに勝てないことを俺に突き付けたな。



「わかった。俺は、お前と契約する」


『ふん、そうでなくてはな』



 漆黒の竜はみずらかの手をかざして、唱え始めた。



『我は汝と契約をなす。汝の名は?』


「レイン・クラフト」


『レイン・クラフト、汝を我が契約者として認め、いついかなる時も汝と共に、その魂にわが名を刻み込め、わが名はファブニール』



 俺の左手の甲が光り輝き、竜の文様が刻み込まれた。



「おい、ファブニールって、まさか!?」


『さぁ、目を覚ませ。そして我が力を世界に知らしめるがいい!!』



 そこでぷつっと意識が途切れ、倒れていたレインが目を覚ます。

 ゆっくりと立ち上がるレイン、目の前には化け物となったゲニーの姿があったが、何も怖くなかった。


 それどころか、その化け物は俺を見て怯えている。



「あれ、なんだが、視界が変だな」



 色鮮やかだった世界が真っ赤に染まっている。

 まるで、今まで見てきたすべて噓だったかのように、真っ赤だ。



「まあ、いいか。今はそんなことより、最優先にやらないといけないことがある」



 レインの手の甲が赤く輝く、それは竜の紋章だった。



「夢じゃなかったってことだよな」



 レインは剣を力強く握り、化け物へと剣先を向ける。



「今、楽にしてやるからな、ゲニー」



 その瞳は竜の瞳である。

 世界のすべてを見渡す隻眼である。

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