走れデュオニュソス

みやこ

走れデュオニュソス

 デュオニュソスは激怒した。


 必ずや、かの、ガチ瞬足の者を、抜かさねばならぬと決意した。


 デュオニュソスにはまだ政治がわからぬ。デュオニュソスは、王の息子である。書を読み、策謀と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明デュオニュソスは暗殺をされかけ、辛うじて生き残り、気付いた。王となるには、体力がいる。ド強い心だけではなく、ド強い肉体も必要だと。そこでシラクスの市から、野を越え山越え、十里はなれた村までやって来た。ランニングである。デュオニュソスには父はいるが、母は無い。女房も無い。十六の、内気な妹と、大勢の政敵がいるばかりだ。生き残るには、ド体力がいる。


 走る。ただ走る。


 身仕度は一切していない。衝動のままに、デュオニュソスは、ぶるんと両腕を大きく振って、夜中、矢の如く走り出たのだ。


 ───このままでは、私は、早晩、殺される。殺されぬ為に走るのだ。私の命を救う為に走るのだ。臣の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺されぬ。若い時から名誉を守れ。さらば、あんさつ。


 若いデュオニュソスは、つらかった。

 幾度か、立ちどまりそうになった。

 えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。


 町を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、夜は明け、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。


 デュオニュソスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや体力はついただろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。そこそこの距離を走れば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、デュオニュソスの足は、はたと、とまった。


 何せ全力疾走は数年振りである。


 一時間を走るには、まず一時間を歩けるだけの体力がいるという。

 下準備もせずに走ったデュオニュソスの体力は、つくまえに尽きた。


 流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、デュオニュソスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。


 ああ、濁流を泳ぎ切り(これが未明の暗殺であった。デュオニュソスは海に落とされたのである)、海賊船を三隻も撃ち倒し(その海に待ち受けていたのは海賊であった。デュオニュソスはこれを瞬殺した)羅刹天、ここまで突破して来たデュオニュソスよ。

 真の勇者、デュオニュソスよ。

 今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。何よりお前は今、お前自身を裏切っている。


 お前の心は、弱い肉体おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。


 おまえは、稀代の不進アンスタートの否定者、まさしく逆臣らの思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。


 路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。心が弱ぇんだ。もう、どうでもいいという、王者に不似合いな不貞腐された根性が、心の隅に巣喰った。



 ふと耳に、タッタッ、誰かの走る足音がした。

 見ると、向こうの丘から、誰か一人が走ってきている。

 それは、牧人であった。

 牧人は倒れたデュオニュソスに目もくれず、先へと走っていった。

 ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。

 牧人が走っているのだ。

 おのれも走らずしてどうする。

 疲れた体に鞭うって、デュオニュソスは走り出した。

 デュオニュソスの目には、牧人の背中が写っている。

 力強い背中であった。

 あれを越さねばならぬ。

 けれど牧人は早かった。

 ガチ瞬足であった。

 どれだけデュオニュソスが走ろうとも、その背中は小さくなるだけだった。

 牧人は犬を蹴飛ばした。蹴飛ばされた犬は12000キロメートル先に落下した。南極であった。この犬が、イヌイットの犬ぞりの開祖である。

 デュオニュソスの視界から、牧人は完全に消えさった。


 悔しかった。

 ただただ悔しかった。


 デュオニュソスの心には敗北のみがあった。

 暗殺を返り討ち、己を高めんとする心も。

 その心について行けぬ弱き肉体も。

 そのどちらとも、牧人の瞬足に負けたのだ。


 デュオニュソスは、泣いた。

 己の弱さを、生まれてはじめて悔いた。




 それからである。


 デュオニュソスはランニングを始めた。

 毎朝夜明けの二時間早く起きては宮殿を抜け出し、シラクスの外周を走った。王の子息であるとわからぬよう、変装もした。顔も隠し、服も粗末なジャージを着た。幼い頃に履いていたナイキのシューズはサイズが合わず、新たなものを買い求めた。ヘルメス神が羽根つきのサンダルを持ってきたが断った。


 毎朝走った。

 ただ走った。


 ランニングは、己との戦いである。

 走っている間、人は孤独だ。


 誰も助けてはくれぬ。

 対戦相手すら、いない。


 ただ、走り続けるしかない。


 腕を振る。

 脚を出す。


 汗が目に染みる。

 腕が重くなる。

 脚が痛み出す。


 心が、そろそろ止めようと云う。

 やめてなるものか。

 ここで止めたら、弱い体に負けたこととなる。ましてやあの牧人に、勝てるものか。

 しかしもうひとりの己が囁く。


 ワザ、ワザ(笑い声)。

 愚直に繰り返せば成るなどというのは甘えである。何も考えず繰り返すだけの努力など努力ではない。金剛石も磨かずばという唱歌があるが、あれとても金剛石が何故光るかと云えば入念なる計算のもと導き出されたカッチングの成果故に光るのであり、ただ磨くだけでは光ることなどなく、磨耗し傷だらけの石ころが出来上がるだけだ。そんなものに興味をもつのは宮沢賢治だけで十分である。

 いいか。何も考えず繰り返すだけの努力は、何もしていないのとおなじなのだ。

 一度走るのを止めよ。

 賢臣アキレスに聞けば、正しいトレーニング方も知れよう。鍛えるのは、それからでいいだろう。

 ワザ、ワザ(笑い声)。


 ───うるさい。

 デュオニュソスは切って捨てた。


 これこそ、甘言である。この言葉は己を甘やかすための誘惑に他ならない。

 努力の仕方に迷うのは、努力を止めたいからである。止めたいと思う心があるからである。

 だが真に効率の良い努力などあろうか。

 それは努力と云えようか。


 ───私が欲しいのは、効率的な走り方ではない。


 暗殺者に負けぬ強い肉体を得るために走っているのだ。そうなのだ。そのはずなのだ。


 故にこの努力が非効率でも、止める理由にはならない。


 むしろこの努力こそド級の努力、ドドドドドドドドド努力である。


 デュオニュソスは走った。


 無論、走り終えたら日頃の生活に戻る。

 勉強、勉強、勉強、勉強、休憩、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強だ。

 王を継ぐ日のために勉強しなくてはならないのだ。


 たまに外出し、市井の視察に同行する。

 今日は、セリヌンティウスなる石工の工房を視察した。


 昨日は、ヤスナリカワバタヌスなる学者が臨時の家庭教師としてやってきたがこの男が「ご子息目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」などと父王に述べていたのを聞き不愉快であった。

 小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。

 ヤスナリカワバタヌスとあの牧人の背中がその時重なって感じた。

 ちがう。ちがうと首をふったが、その、冷く装うてはいるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱した愛情が私のからだをかっかっとほてらせた。


 ランニングは続いた。

 雨の日も続いた。風の日も続いた。負けぬと思った。


 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ


 違った。これ宮沢賢治や。

 とにかく毎日全力で走った。

 最初はタッタッという駆け足だったのが、だんだんと力強さを増した。

 ドッドッと力強く大地を踏み締めて。

 デュオニュソスは走る。

 ドッドッ。

 ドッドッド。

 ドッドド。

 どっどど どどうど どどうど どどう

 青いくるみも吹きとばせ

 すっぱいかりんも吹きとばせ

 どっどど どどうど どどうど どどう

 また宮沢賢治や。


 走る速度は更に上がっていく。

 だんだんと、風を切り、空気を分かつようになっていく。


 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。


 もはや人の出す音ではなくなっていた。

 ドグラ的なマグラ音が鳴っていた。

 それでもデュオニュソスは体を鍛えた。


 未明の暗殺から、一年が経とうとしていた。




 ある日、父王が死んだ。




 葬儀の前夜、デュオニュソスは宮殿を抜け出した。


 今日しかない、と思った。

 明日、葬儀をする。

 その後、王位を継ぐ。

 そうなっては、もう宮殿を抜け出すことはできない。ランニングをすることもできない。


 あの牧人と、競うことも、できない。




 デュオニュソスは、丘の上にいた。

 あの日、牧人を見た丘の上である。

 御坂峠、海抜千三百メートル。この丘の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、マスジイブセスが初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。

 デュオニュソスはそこに立っている。


 デュオニュソスは変装のためドテラ姿であった。宮殿のドテラは短く、彼の毛臑は、一尺以上も露出して、しかもそれに賢臣アキレスから借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、宮殿の壁にかかってゐた古い麦藁帽をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、アキレスは、人のなりふりを決して軽蔑しない臣であるが、このときだけは流石さすがに少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。

 加えて夜である。

 霧と夜で、御坂峠は視界という視界を遮っている。


 いい。それでいい。


 視界など要らぬ。

 今この時のみ、来たならば、解る。


 音が、聞こえる。


 ドンッ……。

 ドドンッ……。


「来たか!」


 霧を抜けて。

 牧人が現れる。


 スタートの合図などない。

 デュオニュソスは牧人が己に並んだと思ったその瞬間を、開始の時と定め───今である! 思いっきり脚を踏み出して、走り出した!

 霧中、矢の如く走り出た!

 それでもなお僅かに出遅れがある。

 牧人の背中が眼前にある。

 負けぬ。

 負けられぬ!

 デュオニュソスは全速力で走る。

 風を切る。音の壁を突破すぬける。

 激流のようにデュオニュソスは走る。

 走る! 走る! 走る!!

 ただ走る。愛と運命に誓う。己の心と体に全てを籠める。今や弱い体は強い心と一体となっている。かつてのように、途中で体力の尽きることはない。かつてのように、悔しくも破れ去ることもないはずだ。

 現に今、デュオニュソスは牧人の背後にピタリとついて走れている。


 出遅れこそしたものの、いやむしろこれは好都合であったかもしれぬ。

 牧人の後ろにつくことで、空気抵抗を大きく軽減できているのだ。スリップストリームという現象である。これにより、デュオニュソスは負担を軽減しつつ速度を上げ、牧人を追い越す準備を揃えることができていた。


 抜かすべきは、いつか。

 牧人は強敵である。

 機を、逃しては、勝てぬ。

 いつ抜くか思案しながら牧人の背中を見て、そしてその先へと視線を向け、デュオニュソスはぎょっとした。


 シラクスの市まで、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、デュオニュソスらの前に現れたのは。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。

 デュオニュソスはその様を見て内心叫んだ。


「ああ、ゼウスよ鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽がもうじき顔を出します。そうなってしまえば、私は即位せねばならない!」


 濁流は、デュオニュソスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうしてその川までの距離は、刻一刻と消えて行く。


 だが牧人は止まらない。その豪脚を一切止めずに、ひたすら前へと突き進んでいく。

 濁流が恐ろしくはないのか。

 恐ろしくないのだろう。

 この男にとって最も恐るべきことは他にある。


 今はデュオニュソスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠とド体力の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。


 デュオニュソスは、ドッッッッッと流れに飛び込み、一億匹の竜王のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。


 満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子である。神の助けなどいるものかと、掻いて、掻いて、もがいて進む。その根性。全てを諦めさせるような濁流に、僅かに横へと押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。デュオニュソスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。

 牧人は既に渡り終え、走っている。


 一刻といえども、むだには出来ない。夜既に白みかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。


 瞬殺した。



 牧人は目の前を走っている。

 ようやく追い付いた。


 背中が見える。

 背中しか見えぬ。

 思えばこの男は私に背中ばかり見せてきた。

 酷い。酷い。厭な奴だ。悪い人だ。ああ、我慢ならない。生かしておけない。


 デュオニュソスは激怒した。


 必ずや、かの、ガチ瞬足を抜かねばならぬと決意した。抜いてその顔を拝んでやらねばならない。どんな顔をしているのか、見てやらなければ我慢ならない。


 きっとこいつは傲慢だ。統治者たる私の一族から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜しいのだ。


 この牧人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。王から世話を受けている、ということを、何か自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいるだろう。


 こいつは、誰より早く走れるように、ひとから見られたくてたまらないのだ。


 ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくより他に仕様がないのだ。そして、そんな世の中を、作り出し、回していく側である、私は、臣下たちが、ぺこぺこ下げた頭を使って、ナイフを隠しているのではないかと、疑い続けなければならないのだ。


 ああ! シラクスの町の宮廷! そこで待つだろう権謀術数! それを前にしてこの牧人に一体、何が出来る! なんにも出来やしない。私から見れば青二才だ。私がもし処刑せよと命じたらならこの牧人は、もう、とうの昔、どこかの野原でのたれ死にしていたに違いない。


 ちくしょう!

 なんで、私は、追い越せない。

 背中の筋肉の引き締まり、太股の厚く力強い躍動。全身がひとつの、走るための装置のように、駆動するその様が、あんまりにも、美しく思える。


 走る。ただ走る。


 一年走った。

 一年、この牧人を追い越そうと走った。


 今の今まで一度も追い抜けていない、イメージの中ですら。


 こいつの、前に出られないのだ。


 だからこいつは、私を知らない。

 私はこいつの背中を知るが、こいつは私の前にいるから、私のことを何も知らぬ。

 それがひどく不愉快だ。


 息の切れかけた喉を震わす。

 何とか声に出す。

 目の前の男に、伝えたい。

 私はここにいるぞと教えてやりたい。

 今にでもお前を追い越すぞと教えたい。


「へっへ……」


 情けない息が漏れる。犬のようだった。


 限界が近い。

 夜明けが近い。

 シラクスが近い。


 この丘を越えたら、シラクスはその先だ。


 丘を、越えたら───


 越える。

 頂点から、駆け降りる。

 その時、デュオニュソスは最後の力を振り絞り、後先考えぬ加速を果たした!

 骨と意志の筋肉の躍動。弾かれた矢のように、体は前へと推進する!


 やがてその身は、牧人の隣に立つ!


 物凄い空気抵抗が全身を襲う。

 まるで鋼の壁がずっと立ち塞がっているようだ。

 こんなものを、この牧人はずっと相手にしていたのか。


 デュオニュソスは激怒した。

 最後の最後の激怒であった。


 ばかにしてやがる。


 最初から勝負でもなんでもないじゃないか。


 牧人はこの世界で一人走り、デュオニュソスはその後ろで、競っている気分に浸っていただけだと、その時気付く。


 だから、今から本当の始まりだ。

 互いに空気の壁を前にして、全ての条件は今揃った。

 後はただ、どちらが速いかというだけで。


 牧人の速度が上がる。

 ここに来てもう一段速くなる。


 冗談だろうと頬が上がる。

 それでこそだと思った。


 負けられぬ。

 たった一年。

 されど一年。


 己のために走った月日、無駄であるものか。


 夜が明ける。太陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。私は、私を信じている。頑張った、その努力こそ素晴らしい、などと云うものか。私は、私の信頼に報いなければならぬ。勝利して、報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!! デュオニュソス!!


 ここで。

 ようやく、

 デュオニュソスが、頭ひとつ分前へ出る!


 シラクスの門は目と鼻の先だ。


「おおッ」


 限界を超える。

 今、彼の体は牧人を超した。

 初めて、牧人の前に出た。

 最後の死力を尽して、デュオニュソスは走った。デュオニュソスの頭は、からっぽだ。酸欠で死にかけて朦朧としていた。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。牧人よりも前に出て。


 陽は、ゆっくりと地平線から顔を出し、まさに全開の曙光として、夜を祓おうとした時、デュオニュソスは疾風の如く市に突入した!

 競り勝った!!


 その体は一気に倒れる。

 頭から崩れ落ちていく。

 それでも最後の力を振り絞り、

 背中しか見えていなかった牧人の、

 その顔を拝もうと、

 振り向いた。


 牧人は、

 政治がわからぬような顔をしていた。









 それからしばらくして、シラクスの王が即位した。

 彼は優れた治世を行うも、やがて疑心暗鬼に囚われていく。

 そんな王の下に、激怒した牧人がやって来るのは───まだまだ先の、話である。

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走れデュオニュソス みやこ @miyage

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