クラスメイトと契約書

フィステリアタナカ

クラスメイトと契約書

「さみぃ~」


 高校一年生の十二月中旬。冬の寒空のもと俺はコンビニに行って、お金を引き出す。今日は新型ゲーム機の発売日だ。


(よし、準備万端)


 コンビニを出て、予約したゲーム機のあるお店へと向かう。すぐに買いたくて興奮しワクワクしていたから、普段は使わない近道を通ることにした。


(ここ、あれなゾーンなんだよなぁ)


 ホテル街へ向かい歩いて行くと、向こうの方に知っている顔があった。


(あれ? クラスメイトじゃん)


 確か彼女の名前は栗林くりばやし加奈子かなこさん。長い黒髪に大きな眼鏡をかけている。制服を気崩さない真面目な性格で、俺の代わりに掃除当番をやってくれることもあった。


 彼女は俯いたまま中年の男性と歩いている。気になってしまったので、彼らについていくことにした。


(パパ活とかなんかだよな……)


 バレないように近づく。やはりホテルの中に入っていくみたいだ。ホテルの入口で彼女は何やら男に言っている。男は彼女の手首を掴まえ、無理矢理ホテルに引きずり込もうとしていた。


(まずい)


 スマホを取り出し、急いで近づく。


「もしもし、警察ですか。男が嫌がっている女の子をホテルに連れ込もうとしています。場所ですか? 場所は……」


「ん? 何してんだ? ガキ!」


「わかりました」


 俺は警察とやり取りをしているように見せかけ、男に言った。


「あんた、それ。未成年者売春だぞ。あと五分したら警察が来るからな」


 男は舌打ちをし、彼女の手を放してどこかへ行ってしまった。彼女を見ると、眼鏡の奥に涙が溢れているのがわかった。


「なんで? なんで警察なんか呼んだの?」

「警察は呼んでいないよ」

「じゃあ、なんで邪魔したのよ」

「えっ」

「十万円もくれる人なんて、なかなかいないのに」

「じゃあ、なんで泣いているんだ?」


 彼女は俯いて、答えない。


「ふぅ」


 彼女は震えていた。怖かったのだろう。


「今日はかなり寒いし、帰った方がいいんじゃないか?」


 彼女は答えない。


「栗林さんの家はどこ?」

「二駅先」

「じゃあ、駅に行こう」


 なかなか動かないので彼女の手首を掴まえると、ひんやりと冷たい。


「なあ、風邪引いちまうから行くぞ」

「ううん。家も寒いし変わらない」


 なぜ家が寒いと言ったのかわからなかったが、このままにしておくことはできなかった。


「うち来るか? ここよりはマシだぞ」


 少し固まっていたが、彼女は首を縦に振ってくれた。


「じゃあ、行こう」


 来た道を使いそのまま帰る。彼女は後ろにいたが、ちゃんとついてきてくれた。


 ◆


「ここ俺ん家」

「ここ?」

「そう、ここの三階」

「立派なマンションじゃん」

「まあね」


 親父はパイロットをしている。母親はいないが、わりと裕福な暮らしをしていた。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 彼女をリビングへ連れていき、温かい飲み物を準備する。


「コーヒーと紅茶があるけれど、どっちがいい?」


 彼女は座ったまま答えてくれない。


「紅茶でいいな」


 二人分の紅茶を作り、テーブルへ移動する。彼女に紅茶を渡して、椅子に座った。


「なんかあったんか?」


 彼女は黙ったままだ。俺は彼女が喋るのを待つ。それから十分くらい経ったころに親父が帰ってきた。


「ただいまぁ、ん?」

「おかえり」

てる、誰か来ているのか?」

「うん。クラスメイト」

「そうか。お前ちゃんと掃除したか?」

「してない」

「お前よう」


 親父がリビングにきて、彼女を見る。


「お前も成長したな、女を連れ込むなんて」

「親父、それはどうでもいいんだよ。彼女は――」


 俺は今日起こったことを親父に話す。親父はその話を聞いてから、ソファーに座った。


「そうか。まあゆっくりしてきな。ああ、いろいろあると思うが困ったときには大人に相談する方がいいぞ」

「ぐすっ、ぐすっ」


 彼女は泣いてしまった。


「言いたくなければ言わないでいいが、何があったんだ?」

「い、い――」


 彼女は自分のことを話し始めた。父親の会社が破産し、父親はいろいろあって自殺してしまったそうだ。死亡した際の保険金は会社の人が受け取ることになっていて、お金が入らず生活が苦しくなったと。バイトもしたが家賃が払えず、出ていけと言われ、今日の出来事に繋がったわけだ。


「も、も、う、からだ、売るしか、なく、て」


「そうか……。まあ、落ち着くまでゆっくりしてくれ」


 親父は新聞を読むのを止め、何かを考えているようだった。


「おい。輝、ペットボトルとカップ麺くらい片づけたらどうなんだ」

「俺ができないこと知っているだろ」

「できるできないかじゃなくて、やるんだよ」


 ぐうの音もでない。


「栗林さんだっけ? 俺の考えを聞いてくれないか?」


 親父は家事の苦手な俺の代わりに家事をしてくれないかと話を持ち掛けた。


「前払いする。滞納している家賃がどのくらいあるか教えてくれ」


 彼女は親父に金額を言った。


「わかった。パソコンを貸すから契約書を作ってくれ」

「親父、なにを言ってんだ?」

「家事代行の契約書だよ。こういうことはちゃんとしないと駄目だからな」


 彼女は契約書なんて作ったことないだろう。


「このサイトを見れば、契約書の作り方がわかるぞ」


 親父に教えられ、彼女はパソコンに向かい、カタカタと契約書を作り始めた。


「俺は家にいないことが多いから、毎日よろしく。契約期間は……、とりあえず一年間でいいか?」

「はい」

「ああ。そうか。住み込みで働いてもらうのもいいな」

「はい?」


「親父! なに言ってんだよ」

「バイトの他に家事代行をしても家賃払うの大変だろ? いいアイディアだと思うが」

「そんなの栗林さんが困るだろ!」


 そんな話をしていたら、彼女が「住み込みでお願いします」と言ってきたので、正直俺は驚いた。


「決まりな。契約書にその文言も入れてくれ」


 彼女は契約書を作り、テーブルに来る。出来上がった物を親父がチェックした。


「栗林さんはここに名前書いて。輝、お前はここな」

「えっ。ここって親父が書くんじゃないの?」

「お前の代わりに家事をやってくれるんだから、お前が書くんだよ」

「わかったよ」


 俺は契約書に名前を書き、それから拇印ぼいんを押す。


「よし、これでいいな。輝、家賃の分を彼女に渡しな」

「はっ? 親父が渡すんじゃないの?」

「契約書読んだだろ。誰が払うことになっている」


 親父に言われて、契約書をよく見ると。


(……俺か)


 これで俺は彼女の雇い主になった。


 ◇◆◇◆


「えっ」


 七月中旬。私が学校から家に帰ると父が亡くなっていた。呆然とし何をすればよいのかわからずにいた。

 父の手帳を見て、会社に連絡を入れる。葬儀は会社の人が取り仕切ってくれることになった。

 父が死亡保険に入っているのは知らなかった。そして受取人が私でないことも。

 男手ひとつで私を育ててくれた父。私にも部屋が必要だろうと、狭いけれどここに引っ越してきた。

 夏休みはバイトをとにかく入れた。くたくたになるくらい働いて、生活費を稼いだ。でもこんな生活じゃいつか破綻することが目に見えていた。そして大家さんから家賃の督促があり、払えないでいると、もう出て行きなさいと言われる。

 お金は無い。生活するためには何としてでもお金を稼がなくてはならない。そして私は自分の体を売ることを決めた。

 父のためにも私は死んだら駄目だ。スマホで処女を買ってくれる人を探し、そして落ち合う場所へと行く。いい人に当たるといいなと思っていたが、そこには小太りで汚い中年の男性が私を探しているように、周囲を見ながら待っていた。


 声をかけて、一緒に歩く。胸が苦しかったが、慣れれば大丈夫だと言い聞かせ男性についていった。

 ホテルの前に到着する。私は怖くなった。これからこの人に襲われるのかと思うと涙が出てきた。

 「やっぱり無理です」と男に言ったが、聞いてもらえず手首を掴まれる。「なんでこうなっちゃうんだろ」私は悲しみの海に沈んでいった。



「もしもし、警察ですか。男が嫌がっている女の子をホテルに連れ込もうとしています。場所ですか? 場所は……」



 聞き覚えのある男子の声が聞こえた。そしてクラスメイトの彼は男を追っ払ってくれたのだ。

 それでも私は取り乱していた。このままじゃ生活できない。


「じゃあ、なんで邪魔したのよ」


 クラスメイトの提案で彼の家に行くことを了承する。頭の中では「知らない人に抱かれたくない」思いと「生活していかなきゃ」とジレンマを抱えていた。


 彼は優しい。私の体調のことを考えてくれて、冷たくなった私を暖かい家まで連れていってくれた。彼の父親が帰ってきて、自分の感情、思っていることを吐露する。二人は黙って私の話を聴いてくれた。そして彼の父親から家事代行サービスの仕事をしないかと言われ、バイトの他にその仕事もやることを決めた。

 そして彼の父親から契約書を作りなさいと言われ作っていたら、「ああ。そうか。住み込みで働いてもらうのもいいな」との提案があり、驚いてしまったが、これで生活が少しだけ楽になるかもしれない。藁をもすがる思いで「住み込みでお願いします」といつの間にか声をあげていた。


 ◇◆◇◆


 学校で掃除をしているときもそうだが、彼女はとても几帳面だ。部屋が見違えるように綺麗になり、メシもコンビニ弁当やカップ麺から卒業した。

 引っ越しを終えた彼女との共同生活。他のクラスメイトにこの関係がバレたくないので、俺と彼女の登校時間を一時間ずらした。もちろん彼女が一時間早い。


 親父の仕事は国際線を飛ぶことが多い。ほとんど家にいないので、彼女と二人きりだ。まあ、いろいろありますよ。ラッキーなこととか。


 彼女は朝早く起き、朝食とお弁当を作ってくれる。学校ではほとんど絡まないが、食生活が改善したおかげで、集中力を切らさずに授業を受けることができるようになった。彼女のおかげだ。風呂掃除をして、先に彼女に入ってもらう。彼女が早く眠れるようにしたかったからだ。

 彼女と生活をして、意識が変わっていくのがわかった。このままの自分ではいけないと思い始め、ゲームをする時間が減っていき、その分勉強に時間を費やした。


 学年末、中間、期末と、テスト前の勉強は俺が彼女に教えることが多い。他のバイトで疲れているはずなのに彼女は俺の話を聴いて真剣に取り組んでくれた。


 彼女といる時間がとても楽しかった。そう、恋に落ちているのだと自覚せずにはいられなかったのだ。


 ◆


 加奈子が来てから一年経った、十二月のある日のこと、


「ただいまぁ」

「親父、おかえり」

「おかえりなさい、テルパパさん」


「いやー、レイオフされちまったよ」

「レイオフ?」

「ああ、しばらくの間仕事が無い。ある意味クビみたいなもんだ」

「クビって、親父」

「いいんじゃないか。俺が家事をやれば、加奈子ちゃんと契約しなくていいだろ」

「えっ」

「ちょうど契約期間の一年だろ? なあ、加奈子ちゃん」


 彼女はショックを受けているみたいだった。何も言わずに、紙を握りしめている。


「親父それは無い」

「じゃあ、どうすんだ? お前、彼女に頼むだけの金持っているのか?」

「それは……」


 部屋に静寂が訪れる。彼女の目を見ようとするが、眼鏡で反射して見えない。


「親父、前借していいか? 延長したい」

「おっ、流石我が息子。トイチでいいか?」

「トイチって鬼だろ」

「ははは、無利子で貸してやるよ。加奈子ちゃん、契約書を作って」


 彼女は握りしめていた紙をテーブルの上に置く。契約書だ。そこには、もうすでに彼女の名前が書いてあった。


「ペン貸して」


 俺は自分の名前を紙に書く。


 ◇◆◇◆


 家事代行サービスの仕事をしてから、精神状態が良くなったと思う。お弁当を作って、学校生活を楽しく過ごす。放課後すぐにバイトへ行き、帰ったら夕飯の準備。お風呂に入って、リラックスする。お風呂から上がり彼の声を聞くと、いつも胸がポカポカしていた。そう、いつの間にか私は彼のことが好きになっていたのだ。私はこの生活ができることに感謝しながら眠りにつく。


 冬になり契約期間である一年が終わろうとする。私は更新するための契約書を作り、彼のもとへ行くと、彼の父親が帰ってきた。



「いいんじゃないか。俺が家事をやれば、加奈子ちゃんと契約しなくていいだろ」



 突然の出来事。もうこの生活が続けられないんだ。彼の傍にいられなくなるんだ。私は契約書を握りしめ、涙がこぼれるのを抑えようとするが、それは無理だった。



「親父それは無い」



 彼はそう言ってくれた。そしてお金を父親から前借して、私との契約を更新してくれることになった。私は作った契約書をテーブルの上に置き、彼がサインしてくれるのを待つ。



「ペン貸して」



 ◇◆◇◆


「加奈子、ちょっといい?」

「なに、輝君」

「クリスマスの日にショッピングモールへ行かないか?」


 契約を延長してからすぐに俺は彼女をデートに誘った。緊張する時間。彼女がOKをしてくれて、俺はホッとした。


 クリスマス当日。ショッピングモールで映画を見て、買い物を楽しむ。いつ自分の気持ちを打ち明けようかと考えていた。告白が失敗したらギクシャクした関係になってしまうだろうけれど、今言わないと他の男のところに行ってしまうかもしれないと、そう思っていたからだ。


「いつも俺のためにありがとうね」

「ううん。そんなことないよ。楽しくやっているから」

「そうか」

「うん」


 会話が止まる。とても長く感じた。俺は勇気を振り絞る。


「加奈子」


 彼女は俺を見た。


「俺、加奈子のことが好きだ。付き合ってほしい」


 時が止まったようだった。そして彼女は、


「はい。私でよければお願いします」



 クリスマスケーキを買って家に帰り、二人だけの甘い時間を過ごす。彼女の温もりを感じることができて、とても幸せだ。


 ◇◆◇◆


 学校では、いつも彼のことを気づかれないように見ている。彼の周りには意外と女の子もいて、羨ましい反面、嫉妬もしていた。彼は私のことをどう思っているのだろう。知りたいけれど、今の生活ができなくなるかもしれない。ギクシャクしたくない。だから自分の気持ちがバレないように、閉じ込めることにした。


 契約が更新できた。これからも彼との暮らしは変わらない。そのことがとても嬉しかったが、もっと彼に近づきたい。その思いが日に日に溢れてくるのがわかった。



「俺、加奈子のことが好きだ。付き合ってほしい」



 ウソじゃないよね? 輝君、私のこと好きなんだよね? 嬉しい。



「はい。私でよければお願いします」



 ショッピングモールで買ったクリスマスケーキを彼と一緒に食べる。そのあと私は彼に甘えた。私は彼を求め、彼と抱きしめ合った。幸福感に包まれたまま朝を迎える。


 ◇◆◇◆


「輝。ちょっといいか?」

「どうしたの親父」

「お前、進路はどうするんだ?」

「大学に行けるのなら行きたい」

「そうか。輝は海外で働くことも考えているのか?」

「うーん。そうだね、日本国内にはこだわっていないかな」

「じゃあ、アメリカの大学にでも行くか?」

「英語がきつい。たぶん無理」

「そうか……。あのな、海外で働くためには、大学を出ていないと不便なことが多いんだよ」

「そうなの?」

「そうだ。俺的にも輝には無名の大学でもいいから、大学へ行ってほしい」

「うん」

「学部はどこにするんだ?」

「法学部と経済学部を考えている。親父、どっちに行った方がいいかな?」

「輝。それは自分で決めるところだ。自分の人生は自分で切り開きなさい」

「……わかった。ありがとう。親父」

「それとな」

「?」

「ちゃんと避妊はするんだぞ」



 俺は親父と話し合い、海外で働くことも視野に入れ、経済学部のある大学に行くことを決めた。もっと言えば大学院まで行き、MBAを取ることを目標にした。時間を作っては勉強。加奈子は気を使ってくれて、ケーキやコーヒーなどを勉強中に持ってきてくれた。


「がんばってね」


 その一言が励みになったことは間違いない。


 ◆


「加奈子さぁ」

「なに?」

「加奈子は就職だっけ?」

「そうだよ」

「うまくいっているの?」

「うーん。どうかな? たぶん順調」

「たぶん順調ってなんだよ」

「大丈夫。それより模試の結果、第一志望はどうなの?」

「C判定。ちょっと厳しいかな」

「そうなんだ」

「まあ、やるからには全力を尽くすよ。後悔はしたくないから」


 自分の道は自分で切り開く。とにかく集中した。曜日の感覚がなくなるくらい勉強をした。


 ◆


 ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ。


(眠い。勉強しなきゃ)


 目を覚まし、デジタル時計の日付を見る。


(そうか。あの日から二年か)


 加奈子が家に来て泣いた日。あれからちょうど二年になる。これからも彼女と暮らすことができたらいいなと思いつつ、二年前のことを思い出しながらリビングに行くと、テーブルのところで加奈子はクリアファイルを持って待っていた。俺がテーブルに行くと加奈子から言われる。


「契約書をもらってきたから」

「わかった。ちょうど二年だもんね」


 俺はクリアファイルを受け取り、契約書を見ると、


(婚姻届……)


「契約してくれるよね? 期間は永久で」

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