EP19 災禍前奏(前編)

 血の匂いと、倒れ込んでくる身体の重さに夕星(ゆうせい)はデジャヴを覚えた。


 胸に風穴を穿たれた陽真里(ひまり)を抱きながら、正気は少しずつ引き潰されていく。


「おい……ヒバチ。なぁ……おい、って」


 返事はない。虚しさの滲む声だけが廃ビルの中で反響する。


 一体どうして、彼女は麗華(れいか)との間に割り込んできたのだろうか? その答えはシンプルで彼女が逃げなかったからだ。────物陰に潜み、息を殺していたのだろう。そして彼女は夕星の危機に思わず飛び出してしまったのだ。


「『逃げてくれ』……って、お願いしたよな」


 再三繰り返してしまうようだが、夕星のエゴシエーター能力は「物質Aを一度砂塵へと分解し、物質Bに再構築する」にするものであって、個人の思考に作用するものじゃない。


 言うなれば、それが夕星の力の欠陥であった。


「ゆう……せい……」


 血濡れた手で陽真里が袖を掴む。目は白濁して、言葉を紡ぐ口の端からも血がツー、と流れた。素人目に見たって、明らかに言葉を話していい状態じゃない。一呼吸肺が息を吸うたびに胸元の朱が広がっていく。


 それでも彼女は言葉を紡ぐことをやめなかった。


「多分ね……バチが当たったんだと思う……」


「……は? ……何だよ、バチって?」


「あの魔女は私を見てこう言ったの……『この世界に怪獣を生み出したエゴシエーターだ』って」


 そのやり取りならば、夕星も聞いていた。

 

 だが陽真里がエゴシエーターでないことは、夕星が回収したメッセージカードが証明している。カードがここに存在しているのだから、彼女はスターレター・プロジェクトの参加者から除外され、エゴシエーター因子を獲得する要因もなかったことになるのだ。


 因果関係から考えたって、彼女は本来「日常」の側に立ち続ける善良な一般人であったはず。


「違う、お前はエゴシエーターなんかじゃない! それにお前みたいなお人好しが、この世界に怪獣を生み出せるわけがねぇんだ!」


 止血のために彼女の傷口を押さえつけ、夕星はめいいっぱいに首を振った。


 もう十悟(じゅうご)の時のような取り乱し方はしない。迅速に彼女をARAs(エリアズ)の施設まで送り届けることが出来たなら、蘇生措置を施せるかもしれないのだから。


「ねぇ、夕星……」


「無理に喋んな! 傷が開く!」


 夕星はない頭を回しながら、陽真里を救う方法だけを考え続けた。


 だが、彼女はそれを望まない。まるで断罪を求めるように、独白は続く。


「聞いて、夕星。……私ね、『こんな世界、いっそ全部、ブッ壊れちゃえばいいのに』って願っちゃったの」


 ◇◇◇


 あれは中学の時だった。友達伝いの噂で陽真里は、夕星の家族がバラバラになったことを知った。


 両親が蒸発し、彼は一人取り残されたのだ。


 それから数週間、夕星は学校に通わなくなった。後になって聞いたのだが、その期間は捜索願いの作成や、施設への入所手続きに、休む間もなく追われていたらしい。


「夕星が戻ってきたら、私が友達として彼の隣に寄り添おう」「私が一人で寂しくて泣いていた時、声をかけてくれたのが夕星だったんだから」と、陽真里は心に決めて彼の帰りを待っていた。


 そして、数週間ぶりに夕星が登校して来たとの噂を聞き付けて、彼女は真っ先に教室に走った。隣のクラスの男子に会いにいくというのは、少し気恥ずかしいものもあったが、そんなことを考えている場合でもない。


 彼を元気付けるために早起きして作ったお弁当を手に、陽真理の教室のドアを開けた。だが、そこで彼女は足を止めることになる。


「……んだよ、ヒバチ」


 思春期に入った夕星が悪態を付くのは、いつものことだった。だが、今回のそれは普段のものと明らかに違う「拒絶」の意思が滲ませていた。


 普段と違うのは目つきもだ。伸び切ってボサボサになった髪の下に隠れた相貌は、何も映そうとしない。痩せ窪んだ目つきはまるで死人のようで、黒い瞳はただ虚空に堕ちていた。


「……んだよ、って聞いてるんだよッ!」


「えっ……いや、な、何でも」


 口を突いて出たのは、そんな誤魔化しの言葉だった。


 陽真里には一瞬、目の前に立つボロボロな少年が誰か分からなかった程だ。夕暮れの教室で、笑いかけてくれた幼馴染の面影はどこにもない。


「だったら話しかけんなよ、鬱陶しいから」


 そう突き放されると同時に、陽真里は自分がいかに軽率だったかを思い知る。


 何が、「私が彼の隣に寄り添う」だ。夕星の心情を考えせずもせず、一方的な善意を押し付けようした自分は、善人気分に浸りたいだけの単なるエゴイストに過ぎなかった。


「私は最低だ……」


 夕暮れの教室で、一人居残った陽真里は震える肩を抱いていた。


 そんな彼女の脳内をほんの一瞬、とある考えが掠めた。────「いっそ、全部壊れてしまえばいいじゃないか」と。


 ある日唐突に、強大な何かが現れて。夕星の「日常」を完膚なきまでに叩き壊してしまうのだ。


 彼は当然戸惑うだろう。だが、それで構わない。


 これから始まる夕星にとっての「日常」が最悪なものになってしまうなら、いっそ「非日常」に塗りつぶされてしまった方がマシなのだから。


 彼を捨てて蒸発した両親も、彼を救おうとしないクラスメイトも。何より、一方的な善意を押し付けてくるだけの自己中心的な幼馴染も。


 そんな連中はまとめて、強大な何かに踏み潰された方が良いに決まっている。


「夕星にとって辛い世界なんて、いっそ全部ぶっ壊れちゃえば、」


 陽真里はそこまで言いかけて、ハッと我に帰った。


 感情だけが理屈を飛び越えて、明らかにまともじゃない思考に辿り着いてしまったのだ。陽真理は頭を振って、思考をリセットしようと努める。


 だが、どんなに考え方を切り替えようとしても、一度イメージしてしまった「強大な何か」の姿だけが、頭から離れようとしない。


「今度こそ、ちゃんと夕星と向き合おう」と覚悟を決めて、彼にお節介を焼き始めた時も。


 更生した彼と共に中学の卒業式を終えた時も。


 思い描いた「怪獣」のイメージだけが、頭の片隅でジッと息を潜めているのだった。

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