EP16 急転直下

 結果から言ってしまうのであれば、夕星(ゆうせい)の勘は的中していた────


「貴様が藤森陽真里(ふじもりひまり)だな?」


「えっ……貴方は、」


 ドア前に立つのは、何の変哲もない私服姿の女性だった。だが、廊下越しに彼女の顔を覗き込んだ夕星は凍り付く。


「お前は……ッ⁉」

 ちょっと格好を変えたからと言って、彼女を見間違えるわけがないのだ。自分と同じように歯車状の瞳を特殊なコンタクトレンズで覆い隠したとしても、その内に在る「殺気」までは誤魔化せない。


「この世界に怪獣を生み出したエゴシエーター。貴様は私が処分する」


 現実固定(メルマー)値に干渉し、自らの存在を「魔女」へと改変したエゴシエーター。夕星にとっては悪友の仇でも在るその名を、ありったけの怒気と共に吐き捨てる。


「────竜胆麗華(りんどうれいか)ァ!」

 

 ◇◇◇


『そういえば、夕星くんにはもう一つ話しておかないといけないことがあるんだった』と、未那月(みなつき)は切り出した。


 陽真里の元を訪ねようと、ARAs(エリアズ)の基地を出ようとしているときだった。ちょうど正面玄関を潜ろうとしているところで、ネクタイピンに仕込まれた通信機越しに呼び止められたのだ。


「なんですか? 先生が何を言おうと、俺はヒバチが悪い奴だなんて信じませんからね」


『潜入中の立場とはいえ、私は養護教諭として教え子の一人一人をちゃんと見てきたつもりだ。だから、本来であれば藤森委員長の善良性を疑いたくない。それに今から話す内容は完全に別件だ』


 そう前置いた上で、彼女は本題を口にする。


『君と対峙した魔女の正体を明かしておこうと思ってね。彼女の本名は竜胆麗華。私にとっては掛け替えのない相棒で、ARAsを離反した元工作員だ』


 いつもながら唐突に開示された情報に、夕星は横殴りにあったような衝撃を覚える。

「はぁ⁉ 元相棒で、元工作員ですって⁉」


 けれど、胸の内に再燃した感情は、あの魔女に対する烈しい敵意だ。エゴシエーターとして覚醒したばかりの自分を殺そうとしたことも許せないが、何より許せないのは偶然あの場に立ち合っただけの鳥居十悟(とりいじゅうご)を傷付けたこと。


 十悟は生来の悪運の強さと、ARAsの医療技術によって一命を取り留めはした。だが、それとこれでとは根本的に話が違うのだ。


 あの時に覚えた怒りは、どうやっても忘れることができないだろう。


「……俺にも分かるように説明してくれませんか?」


 湧いてくる感情を噛み潰しながら、夕星は詳細を求めた。


『以前にも説明したように私たちARAsの活動理念は、エゴシエーターの謎を解き明かし、歪んでしまったこの世界を元の状態に戻すことにある。そして、竜胆ちゃんもかつてはARAsの理念に賛同し、色んな任務をこなしてくれた協力者の一人だったんだ』


「今の俺みたく、先生にスカウトされたエゴシエーターだったってことですか?」


『まぁ、そういうことだね。私と一緒に〈エクステンド〉を見つけたのも彼女だし、暴走したエゴシエーターたちの引き起こした時間遡行事件、四季消失事件、月分裂事件、とかなりヤバめ事件を人知れず解決してきたのも彼女だ』


 あの魔女はかなり優秀な工作員だったようだ。未那月との信頼関係も、彼女の語り口から察することができる。


 では、どうして彼女は未那月に背を向け、ARAsを離反したのか?


『一言で言うなら、方向性の違いだよ』


「方向性って……そんなバンドの解散理由じゃあるまいし」


『いいや、それが案外バカにならないんだよ。竜胆ちゃんは世界を元に戻したいっていうARAsの理念に賛同してくれたエゴシエーターだった。だから、彼女は一向に調査の進まないエゴシエーターの謎について人一倍苛立ちを覚えていったんだ』


 自分が幾ら抗おうとしたって、世界はより歪に変革を続ける。果ては巨大ロボットや怪獣が立て続けに現れては現実を侵食していく現状に竜胆麗華は遂に限界を迎えたのだ。


『次第に彼女はこう考えらようになったんだ。「変わってしまった現実を元に戻すよりも、これ以上現実が変わることを未然に防ぐべきじゃないか?」ってね』


「それで彼女は離反したと……先生たちの因縁はよく分かりました。だけど、」


 未奈月は今思い出したかのように、竜胆麗華についてのあれこれを語った。


 だが、夕星はすでに未那月の怜悧な一面を知っているのだ。


 彼女は言葉巧みに他人の心理を誘導するのが妙に上手い。その手腕に自分がコロコロと転がされているという自覚もある。それを踏まえた上で、彼女はどうして今のタイミングでこの話題を切り出したのだろうか?


「その話と、俺が今からヒバチの調査に行くことが、本当は関係しているんですよね?」


『あちゃ、バレちゃったか。────最近の竜胆ちゃんのやり方は過激になっていく一方でね……だから、そうだね。強いて言うのなら、これは君への警告だ』


 ◇◇◇


 麗華の顔を見た途端、頭に過ぎったのは通信機越しに交わした未那月とのやり取りだ。


 これ以上、世界が改変されるのを防ぐためのやり方。現実を歪める魔女の活動方針はうんざりするほどに単純明快。────現実改変の最たる原因を速やかに処分。つまり、「全てのエゴシエーターを殺す」ことが彼女の目的なのだ。


 それは既に殺意を向けられた夕星が嫌と言うほど理解している。彼女のレーザーにつけられた頬の傷が、灼熱感にも似た痛みを思い出した。


「貴様は〈エクステンド〉の⁉」


 玄関に立つ陽真里越しに、麗華と視線がぶつかる。


 どうやら彼女も、自分がこの場に居合わせると思っていなかったらしい。そこに生まれるのは一瞬の隙だ。


(呑気にあれこれ考えてる場合じゃねぇッ! 今の俺の最優先はなんだッ!)


 麗華たちは陽真里の前に現れた。きっと未那月と同じ推論を経て、陽真里がエゴシエーターであると疑念を抱いたのだろう。


 昨今、名前から個人や住所を特定することなど造作もないはずだ。そして、この魔女が話し合いの通じる相手でないことも既に理解できている。


「俺の最優先は、ヒバチを護ることに決まってんだろうが!」


 夕星は身を屈め、全力でスタートダッシュを切った。陽真理に事情を説明しているだけの猶予もない。問答無用で彼女の細い身体を抱き抱え、ショルダータックルの要領でドア前の麗華を弾き飛ばす。


 イチかバチかの強行突破だ。


「ちょっ、ちょっと何⁉ それに、この姿勢ってお姫様だっ、」


 だが、それを簡単に許して貰えるわけがない。いち早く体制を立て直した麗華が臨戦体制に移った。彼女の服装が徐々に魔法使いの黒衣へと創り替わっていく。


「ハッ! 上等じゃねぇかッ!」


 駆け出した夕星の勢いも止まることを知らない。落下防止用の手すり壁へと足を掛け、まっすぐ宙を見遣った。


「夕星……⁉ まさか、まさかよねッッ⁉」


 陽真里の顔は真っ青だ。だが、今更止まることはできない。


「なぁ、ヒバチ。こう言う時はビビったら負けなんだよ」


「嘘ッ! 嘘ッッ!! 嘘ッッーーーーーー!!!」


 絶叫が木霊する最中、二人の身は宙へと投げ出された。

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