EP15 彼女の「願いごと」(後編)

 思い出されるのは、過去の記憶の続きだ。


 カードに書いた自分の願いごとに満足した夕星は、担任にメッセージカードを提出しようと廊下に飛び出して、その途中で彼女を見つけた。


 隣の教室で一人ポツンと取り残されているのは、六月ごろに転入してきた少女だ。名前は確か……藤森陽真里だったか? 中途半端な時期にやってきた転入生だったから、クラスが違う夕星の印象にも残っていた。


「けどアイツ、こんな時間まで残って、何やってんだ?」


 俯き気味な彼女の手元をのぞき込めば、そこには一枚のカードがあった。ついさっき夕星が悩みに悩んだ末に書き上げた「スターレター・プロジェクト」のものだ。


「おい、転入生。お前もまだ悩んでんのかよ」


 何気なしに声をかけたなら彼女の肩がビクン! と跳ねた。怯えたように視線を右へ左へと逃し、口元を小さく震わせている。


「俺はオバケか、なんかかよ……」


 夕星が教室に踏み込んで、カードの方に視線を落とす。よく見てみれば、綺麗な字で何か書いてあるじゃないか。だが、その内容に夕星は思いっきり顔を顰めてしまった。


「『たくさんおともだちがほしいです』だぁ?」


 今の夕星であれば、どうして陽真里がそんな願いを抱いたのかも理解できた。小学生といえど、この時期になれば既に仲良しグループが出来上がっているのだ。後からやって来た彼女が寂しさを抱いて思い悩んでいたと察することも、目元には泣き腫らした跡があったことに気づくこともできたろう。


 だが、当時の夕星にすれば、そんなことはどうでもよくて。


 せっかく願いが叶うかもしれないチャンスに、彼女が勿体ないことをしているようにしか思えてならなかったのだ。


「なんつーか、もっとババーンって感じに凄いことをお願いすべきだろ!」


 カードを取り上げて、吐き捨てる。


「べ、別に良いでしょ! これが私の願い事なんだから!」


「良くねーよ、こっちはシンセツシンって奴で言ってやってるのに……だいたい友達なんて簡単にできるもんだろ?」


「出来ないもん! そんな簡単にできるなら私だって、」


 売り言葉に買い言葉だ。それに二人は、揃ってムキになりやすいタイプでもあったのだ。


 半ば勢いまかせの口調で、夕星が言い返す。


「だったら、俺が友達になってやるよ! それなら、文句ねーよな!」


「えっ……」


 パチんと彼女が瞬きをした。まるで小さな奇跡が起きたように、言われたことの意味を理解出来てないという様子だ。


「えっ……、じゃねーよ。俺は神室(かむろ)夕星。嫌だなんて言わせねぇからな」


 陽真里は数度、その名前を反芻する。「かむろゆーせー」と、幼い口調ながらも、音の響きを確かめるように。


 そして、彼女の表情には黄色い華のような表情が咲いた。さっきまでの内気で陰湿そうな顔はどこへやら。頬は淡く色付いて、夕陽に照らされた瞳が微かに煌めいた。


「ありがとう!」と席から立ち上がった陽真里は、嬉しそうに笑ってくれたのだ。


 ◇◇◇


 それが陽真里との出会いだった。そこには観衆を満足させるような劇的なエピソードがある訳じゃない。単なる記憶の一幕に過ぎないのだ。


 ただ誰かの度肝を抜かずとも、その記憶が夕星にとって大切なものであることに変わりはない。夕日が照らし出した彼女の笑顔を思い出しながら、夕星も軽く瞼を閉ざした。


「そういえば、そうだったよな」


 今の陽真里は口煩い幼馴染だが、当時の彼女は内気で寂しがり屋だったのだ。そんな彼女が綴った願いごとのメッセージカードがここにある。


 これは充分に「陽真里=怪獣を生み出し続けるエゴシエーター」の図式を看破できる物証でもあった。それどころか、当時のカードがここに残されているということは「彼女=エゴシエーター」という前提さえも覆すことにもなる。


 確か、あの後はカードを提出することも忘れて二人で外に遊びに出かけた挙句、日が暮れても家に帰らなかったせいで陽真里のお袋さんに大目玉をくらったのだ。


 きっと、そのまま提出期限が過ぎてしまったから、彼女は思い出の品としてカードを小物入れにしまったのだろう。


「このカードを出してないってことは、アイツはそもそもプロジェクトに参加してなかったってことだもんな」


 何はともあれ、初めての任務を無事終えることができそうだ。


 陽真理はまだ「日常」の側に立っている。という事実に安堵を覚え、夕星はそっと胸を撫で下ろした。


 そして、何気なしに振り返り、


「「あっ……」」


 お盆にミルクティーとクッキーを乗せた彼女と視線がかち合ってしまった。手元には小物入れとメッセージカード。探索のために散らかした部屋もそのまま。これでは誰がどう見ても、泥棒か何かの現行犯だ。


「ねぇ、夕星……私さ、部屋は散らかさないでって言ったわよね?」


 陽真里はニコニコとしていた。普段こういうことがあると、すぐにキレる彼女が今回に至っては笑顔を少しも崩そうとしない。


「あっ……これってガチでキレてる奴じゃん」


 そのことに気付くのと同時だった。お盆を置いた彼女渾身の平手が鼻先を掠める。咄嗟に飛び退かなければ、頬が彼女の手形に腫れ上がっていたことだろう。


「危ねぇなッ!」


「こら、避けるなッ!」


「無茶言うなって⁉ だいたい、近頃は暴力系ヒロインなんて流行らねぇぞ!」


「だったら私が流行らせるだけよッ!」


 大胆不敵に宣言した陽真里が再び襲い掛かってくると思われた。だが、変に勢いづいたせいで彼女は足を滑らせてしまう。


 不慣れなことをするからだ。夕星も彼女を庇うとするも、二人はそのままもつれ合うように転倒する。


「痛ってぇ……だから、流行らねぇって言ったのに……」


 ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。すぐ側にあるのは桜色をした彼女の唇だ。それが自分の唇と触れ合ってしまいそうなほどの距離にある。


 夕星は倒れた拍子に押し倒されるような格好になってしまったのだ。


 早鐘を打つ心音はどちらのものか分からない。それでも上になった陽真里の顔は高揚して、耳まで真っ赤に染まっていた。


「ッッ……!!」


 彼女は次の言葉を見つけられない。それは夕星も同じで、二人の間には、淡い静寂が訪れる。


 だが、そんな静寂が破られるのも一瞬であった────ピンポーン、とドアチャイムが鳴ったのだ。


 立て続けに奏でられたチャイムは家主を。この場合は陽真里のことを執拗に呼んでいるように思えた。


「わ、私が出るから!」


 彼女は身を翻すと、何かを誤魔化すようにして玄関に駆けて行ってしまった。こちらが止める間もなくだ。


 普段ならこれも単なる「日常」の一幕に過ぎないのだろう。隣近所の来客が尋ねてくるのだって何らおかしなことじゃない。


 ならば、自分はこの尋常ではない胸騒ぎの正体はどう形容すればいいのだろうか?


 夕星には幼馴染の開けようとする扉が、「非日常」へと繋がる扉に思えてならなかったのだ。

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