第14話 小夜

 14.小夜

 

「そっかぁ〜望がそこまで言うならぁ~、別れちゃおうかなぁ〜」

「その言葉だけで恐悦至極にございます」

「望はぁ~浮気しないよねぇ~」

「菫さんの定義は、どこからが浮気?」

「私の知らない人とぉ〜、20分以上ぉ〜話すことかなぁ〜」

「今の彼氏さんは僕のことを知っているの」

「知っているよぉ〜。私は実力主義なのぉ~。あっちが先に浮気したんだぁ~」

「じゃあ碧さんと同じだね」

 嘘を吐くのは辛い。奈緒が神妙な面持ちで言った

「望、小夜を呼ぶから2人で話して」

 2人きりにされると困る

「小夜さんか、緊張して、ちゃんと話せる自信がないな」

 

 望の足を強めに蹴った。望がこちらを見たので、引きつっているであろう笑顔を望に浴びせた

「どうしても、奈緒さんは菫さんと2人きりで話したいんだろう」

 奈緒は薄笑みを浮かべて

「望は察しがいいね」

「折角、菫さんと友達になれたのに、菫さんの貞操の危機をどうすることもできない自分が悔しい」

「誰がよ!」

「何かあったら助けに行くから…多分」

「望がぁ~、さっき言った言葉を信じているよぉ~」

「小夜さんと話次第で、確信がないな。基本的に僕はスケベなので、色仕掛けとかされると落ちちゃうかもしれない」

 怖くて望の顔が見られない。奈緒は強引に手を引き私を望から離した。十分離れたところで 望の下らない言葉が耳に届いた

 “菫さんいいケツしているな。瞳に焼き付けておこう”


 奈緒に手を引かれたまま、小夜のところまで来た。小夜は離れた席に1人で座っていた

「望が小夜と2人きりで話したいんだって」

 すかさず主導権を手繰る

「あっれれぇ~そんな話だったっけぇ〜?」

 奈緒は動じず

「ほうっておくと望は有美さんのところに行っちゃうよ」

 小夜は驚いた顔で

「そんなつもりじゃないのに」

 小夜には負けることはないと確信した。小夜は私の顔を見ると軽いため息をついた

「望は、小夜にはひどいこと言わないから行ってらっしゃい」

 奈緒の分かったような口振りに怒りが込み上げた。奈緒は私の手を離すと小夜の手を引いて望のところに連れて行き向かいに座らせた。私は望の隣に座った

「ただいまぁ~」

 奈緒は私の耳を引っ張った

「あなたはこっち」

 望は笑顔で私に手を振っている


  超・聴覚能力は望と小夜の会話を捕らえている

 ”ちゃんと2人で話しするのはじめてかもしれませんね”

 ”私なんかと話していても退屈でしょう”

 ”随分嫌われたものですね”

 ”別にそんなつもりじゃ・・・”

 ”量子力学に興味があるのですか?”

 ”ええ、まあ少しは”

 ”化学屋はいきなり量子論ですからね。僕は予備校の恩師に基礎を教わったのでなんとか捌き切れたのですが”

 ”どうして私が量子論に詳しいと?”

 ”偶然、読んでいる本を見かけて”

 ”そう。・・・敬語やめません?”

 

  望に気を使わせている小夜が憎らしい

“聞いていい?・・・愛美さんと何があったの?”

 ”愛美さんから何もきいていないのか?”

 ”私たちには何も言わず来なくなっtちゃったから。そういえば数日後、渉さんがそのことを聞きに来たよ”

 “渉師匠が?”

 “奈緒と私のところに何があったかって…”


「…ねえ、聞いている?」

「なに?」

 奈緒の声に超・聴覚能力が切断される

「そんなに2人の会話が気になるの?でもここじゃ会話も、届かないでしょう」

「ごめんねぇ~、少し飲んだからぼお~っとしていたよぉ~」

「だから、菫の彼氏、どんな人?」

 とっさに設定を考えた

「高校の時の腐れ縁でぇ~、今は地元で浪人生をやってるよぉ~。今じゃ電話だけで5月の連休に会ったのが最後かなぁ~」

「で、別れて望と付き合う気?」

 一瞬迷いがあった

「私、面食いなのぉ~、でも望がどうしてもって言うならぁ〜、デート位はいいかなぁ~」

 奈緒が不機嫌な顔になったように見えた

「実は私、望の事が好きだったんだ」

 驚いたが表情には出さないようがんばった

「過去形なんだぁ~」

 奈緒は不満そうな顔をしている

「驚かないんだ」

 なぜなら奈緒と渉のことを知っているから


「別にぃ~望とぉ~付き合っているわけじゃないしぃ~」

 吐き捨てて去ろうとすると、力強く腕を取られた

「有美が望の事が好きなの知っている?」

 黙って奈緒を見つめた

「有美さんにはぁ~望が師匠って言っているぅ~渉さんがいるじゃない~」

 2人の間に沈黙の時間が流れる。奈緒の顔に動揺が読み取れた

「少し飲みましょうか?」

「望のところに戻りたいよぉ~」

 奈緒に腕を強く捕まれた

「飲みましょう。付き合って」

 奈緒の顔は拒否を受け付けない表情だった。奈緒は手慣れた感じで焼酎の水割りを作る。私は余計なことは口にしない。乾杯して渇いた喉に2口程流し込んだ。

 

「今日、望と有美がキスしていたの知っている?」

「そうなんだぁ~」

「これも驚かないんだ」

 奈緒は盛っている。聞いていた範囲ならば手を繋いだだけだ。いや本心は”だけ”ではないが

「有美さんってぇ~学園一の美人よね~。望もやるねぇ~」

 奈緒は少し強い口調で

「嘘だと思っているでしょう。小夜も見たんだから」

 奈緒の達成すべき姿は、渉の浮気より先に有美が浮気をしていたということを証明したいのだろう。

 考えたくもない仮説が過った。仮に奈緒の主張が正しいとして、最初に浮気をしたのが渉でなく有美で、2人の魔物すなわち望と有美が共謀して偽装工作をするのならば、望が私やみくりと付き合うことは極めて有意義な手段である。


 軽い恐怖に襲われ、グラスの半分まで飲んだ。体が熱くなっていくのが分かる

「単刀直入に聞くわ、菫も愛美と一緒で渉さん狙い?」

 奈緒が二人きりで話したかった意図が分かった。分析志望の実力を見せてやろう

「違うよぉ~有美さんが言ってたけどぉ~。渉さん巨乳好きだってぇ~。私の胸の成長が小学生で止まっているからぁ~見向きもされないよぉ~」

「有美さんとそんな話までしたの?」

 折角なので、望は愛美との一件以来、小夜と親しくなることは諦めて、有美の高校の友人である”みくり”を紹介して欲しいと再三頼んでいることを告げた。望がさっき私を口説いていると言ったことは社交辞令だと告げた。望が高校時代に彼女に浮気された経験があるので付き合っている人には声を掛けない話をした

 

「菫は、私が望を誘っても怒らない?」

 奈緒もなかなかの策士である。随分白々しいことを平気で言える度胸もあるようだ

「奈緒ちゃん付き合っている人がいないんだぁ~意外」

「じゃあ誘惑しちゃおっかな」


「珍しいな、奈緒と菫なんて」

 声は、竜也だった。探り合いは強制終了となった。奈緒は小夜の方を指差した

「望、小夜を口説いているのか?、いいのか菫」

 喋るのも面倒なので睨んでやった。竜也は躊躇しながらも奈緒の隣に座った

「おお、怖い、怖い。で、誰を誘惑するって?」

「アンタじゃないことだけは確かよ」

 奈緒の怒った口調に竜也は言葉がない。この程度の男だ

 

「ところで菫は、望と随分仲良さそうだったけど」

 この男は空気の読み方も下手だ

「竜也君もぉ~。奈緒ちゃんと一緒でぇ~。

 望と私がぁ~。お話しするのが嫌なんだぁ~」

  そんな訳あるか!」

 奈緒が慌てて繕った。私はグラスに口をつけ一口飲んだ

「菫、随分荒れているな、どうしたの」

 奈緒は何か言おうとした竜也を小突いて黙らせた。奈緒もなかなかの策士だ、今席を立ちづらい。会話は竜也に任せて超聴覚能力を使うことにした。グラスの縁を指でなぞりながら俯いた。望と小夜の会話が耳に届く


 ”菫さんのことどう思っているの”

 ”好きですよ”

 ”簡単に言うのね”

 ちょうどいいところで聞き耳を立てられたようだ

 ”先ほど、腕を組んだところ見ていたでしょ、菫さんはどう思っているか知らないけれど、僕は菫さんのこと好きですよ”

 ”そうなんだ、竜也が午後の講義で仲良さそうにしていたって言っていた”

 ”さっき、菫さんと一緒にいたとき、倫子さんから聞いたよ”

 

 ”付き合っているの?”

 ”ちゃんと会話したのは今日が2回目だよ”

 ”ホントかな?さっきも仲良く並んで楽しそうだったじゃない”

 

 ”菫さんが小夜さんから見て楽しそうに見えたなら、僕も随分腕を上げたな”

 ”菫さんがそんなこと聞いたら怒るよ”

 ”僕の場合は付き合う前の人に<君だけ好きです>みたいなことを押しつける気持ちはないな”

 ”ふ~ん。そういう恋愛観なんだ”

 

 ”好きでもない男に突然コクられて歓迎されるのは、渉師匠位のポテンシャルがある人だけだよ。女性に断ることに気を遣わせるなんて最低だと思うけれどね”

 ”菫さんに<二度と話しかけてこないで>なんて言われて平気なの?”

 ”菫さんじゃなくてもどんな女性に言われても平気だよ。何がダメだったか勉強になるし、断られたら次の人に行けばいいから”

 ”随分軽いのね。私はあまり共感出来ないけれど”

 ”付き合ってもいない人に執着すると・・・とても苦しいから”

 ”それって経験談?”

 ”想像にお任せします”

 

 ”そういう設定で、ぶっちゃけた話、菫さんのことどうおもっているの?”

 ”菫さんとの会話は楽しいな。ああいう頭のいい女性は素敵だと思うし、付き合えるならば付き合いたいですね。でも彼氏持ちには声を掛けない主義なんだ”

 ”付き合っている人が他の男と腕を組むかしら?”

 ”色々なのではない。奈緒さんと小夜さんみたいに”

 …

 ”気付いていたんだ”

 ”確信はなかったけれど、多分そうだとは思っていた”

 ”軽蔑した?”

 ”軽蔑されるようなこと?自然の出来事に真摯に向き合うのが僕の主義なのでね”

 ”ボーアの言葉ね”

 ”奈緒さんは両方行ける感じだね”

 ”随分詳しいじゃない”

 ”渉師匠、夏合宿で同じキーホルダー2つ買っていたから”

 ”望君は奈緒が望君のこと好きだった事は知っていた?”

 ”気付かなかったな。僕には女性に好かれる要素ないし”

 ”どうだか?随分菫さんと対応が違うのね”

 ”小夜さんは奈緒さんに気を遣って僕を避けていた訳?”

 ”随分はっきり言うのね”

 ”駆け引きするほど器用じゃないのは分かっているからね”

 ”嘘つき! ”

 ”嘘つきか、嘘を吐いて維持するのが苦しいことは随分前から気付いていたから、正直に生きてきたんだけどね”

 ”正直?”

 ”まあ、会話して気付いたけれど奈緒さんと菫さんならば、10回選択の場面があっても10回とも菫さんを選ぶと思う”

 ”奈緒も随分嫌われたものね”

 ”まあ、奈緒さんより小夜さんの方が興味あったからね。

  ところで、小夜さんは女性専門?”

 ”私の場合はちょっと複雑・・・。奈緒にも話していなかったんだけど、望君に話しちゃおうかな”

 ”話して楽になるなら聞くよ”

 ”私、多重人格症なんだ”

 ”詳しく聞かせてもらっていい”

 ”やっぱり、望君は驚かないんだ”

 ”そんな重要なこと話されて、逃げるような主義ではないから”

 ”もっと前に、望君の視線に応えておけば良かった”

 ”ごめん、期待する答えは今は言えない”

 ”そっか、やっぱり有美さんと始まっているのね?”

 ”さっき言ったとおり、付き合っている人を奪おうという発想はないよ。それに渉師匠の彼女奪う弟子はいませんって”

 ”奈緒から聞いた話だと、有美さんは大分望君のことが気になっているみたいだけれど”

 ”僕は、高校の時付き合っていた人に、浮気されて嫌な思いしたから、自分からそういうことはしたくないんだ。だから付き合っている女性に僕との恋愛を求めない。そんな女性にこだわる必要は無い。付き合っていない女性はたくさんいるし”

 ”浮気された彼女の話、聞きたいな。随分望君の恋愛観に影響しているみたいだから”

 ”いいよ、聞きたいのならば。別に隠すことじゃないし。でも、小夜さんの話を先にお願いします”

 ”ははは、どうやら私は好機を逃してしまったみたいね。菫さんみたいに有美さんの前で腕を組めるくらい自信も勇気もなかったからね”

 ”今日の午前中ならば、きっと選ぶ言葉が違っていたな”

 ”ベルとグレイみたいね”

 ”そっちのベルか?でもベルはノーベル賞受けるかね?”

 ”ディラックみたいに説得されて貰うんじゃない”

 ”話がずれたね。多重人格症の話・・・”


「あれれー彼氏と一緒じゃないの」

 大事なところで、超・聴覚能力が断線した。倫子だ

「顔、真っ赤じゃん。喧嘩したのぉ~」

 私の口調を真似てからかっているようだ

「しかし、菫と望が付き合っていたとはおもわなかったよぉ~」

 倫子の嫉妬を気にするほど余裕がない。続きを聞かなければ

「どうしたのよ、怖い顔して」

 五月蠅い、黙れ・・・心で呟いて、超・聴覚能力に集中しようとすると、奈緒と竜也が望と奈緒の方を指さす映像が目に飛び込む

「菫は彼氏が他の女と話していると嫉妬しちゃうタイプぅ~?」

 腹を立てたら私の負けだと思った。私が怒っているのは倫子ではない。私の知らない話を自然にしている望と小夜だ。有美が図書館で言っていた望の準備の話だ。

 有美の観察が正しいのならば、望は”みくり”のために”枕草子”を予習して名の知られていない大学で枕草子をテーマにした卒業論文を提出できる位の知識を得ているのかもしれない。

「私には何も準備してもらえなかったよぉ~」

 グラスの酒を飲み干した。奈緒、竜也と倫子が顔を合わせた。奈緒と倫子が申し訳なさそうな顔になった。追加で届いたサワーに口をつけると、倫子が申し訳なさそうな口調で

「からかって、悪かった。菫と望って意外な組み合わせだったから・・・つい。

 そんなに飲まない方がいいって」

 話を切り上げて望のところに戻らないと私は切られる

  <つづく>

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