第13話 奈緒

 13.奈緒


「それは中学生と大学生の恋愛だからだよ、菫さんだって、中学生に付き合って下さいって言われたら困るだろう」

 何かがおかしい。そうだ定義がおかしい

「望はぁ~、紫さんが未来からぁ~、来たこと信じているのぉ~」

 望は私の顔を凝視した後

「疑っていないよ」

「嘘つき!」

 思わず大学用ではない声で答えた

「菫さんには嘘を吐いているように見えるんだ」

 たじろぐがもう後には引けない

「居酒屋に入ったからぁ~契約切れなんでしょ~」

 ふてくされた言い方をした。望はつぶやくように

「そもそも、時間なんて存在するのかね?」

 望の言っていることは、倫子のいう“普通”ではない。刹那有美の顔が横切った

「紫さんを信じているのねぇ~」

 望は驚いた顔をしたが、直ぐに微笑んで

「菫さんは紫さん以上の女性かもしれないね。僕ももう大学生なんだな。あの頃と違って随分優秀な人達に囲まれている」

 自分の顔が高揚していくのが分かる


 気づくと奈緒が2人の前に座っていた

「望とは喧嘩するぐらい仲がいいんだ」

 強い口調に圧倒されて言葉が出ない。望が落ち着いた声で答える

「そうだね、紫さんの話をした女性は菫さんが初めてだ。菫さんは価値観近い気がする。奈緒さんが言うとおり、僕が菫さんを口説いていることは間違いない」

 さっきの有美の時もそうだった。望は真っ先に相手の矢先に立って私を庇ってくれる。望がくれた時間のお陰で十分に弓を引いて矢を射る事ができる


「ごめ~ん。もしかしてぇ~、奈緒ちゃんと望付き合っていたぁ~?」

 奈緒と渉のことは望と共有できている。望ならば上手く対応してくれる筈だ。絶句している奈緒をよそ目に望が真顔でいう

「菫さんにはそういう風に見えた?ならば、最低の所業だね」

 奈緒から失言を誘導できると思った。望の足を軽く蹴ると、奈緒が見えていないことをいいことに、私の足を望の足が撫でた。スケベな奴めと思ったが望は忖度してくれたようだ

 

「奈緒ちゃんに愛想が尽きたとかぁ〜」

「菫さん、ひどいな僕は誰かと付き合っている時に他の人なんかに声を掛けないよ」

「ホントかなぁ~」

「碧さんの件で懲りているからね」

「そっかぁ〜、望は碧ちゃんを寝盗られたんだぁ〜」

 奈緒は複雑な表情をしていた。もしかしたら奈緒はこの話を渉から聞いていたのかもしれない

「僕は自分がやられて嫌なことはしない主義なんだ、だから僕は誰とも付き合っていない」

 奈緒が不貞腐れた声でようやく会話に入って来た

「随分、仲がよろしいことで、で、望は菫のことどう思っているの?」

 奈緒が動揺して話題をずらそうとしていると思った。望は何と答えるのだろう

 

「かわいい顔をしているな、と思う」

 望は無感情に答える。奈緒は怒った口調で

「そうじゃなくて、中身よ」

 望は淡々と

「心外だな、まだちゃんと話したのは2回目だぜ。菫さんの服は脱がしていませんって」

 わざと口を挟んだ

「え~、奈緒ちゃんのときはぁ~、そんなに進行が早かったのぉ~?」

 

 奈緒が私でなく望を睨みつけた

「怒った奈緒さんも美しいですね」

 奈緒は絶句した。15秒ほどの沈黙の後、奈緒が望に

「菫と二人で話がしたい。席を外してくれる」

 望は黙って立ち上がると、私は望のシャツの裾を引っ張った

「望に聞かれると困る話ぃ~」

 奈緒の目は据わっていたが、臆することなく言葉を浴びせた

「望に聞かれてもいいの?」

 涼しい口調で私に告げた

「望に聞かれて困る話ぃ~、私に無いしぃ~」

 奈緒は腕を上げて深呼吸した。同級生なのにこんなに胸の大きさが違うものか、望と有美が語っていたボルツマン分布の妥当性根拠を実感しているように思った。望も胸が大きい女性に惹かれるのだろうか。望の顔を見ると微笑みを返してくれた。

 奈緒は望に目をやると不機嫌そうな顔をした


「菫は望のことが好きなの?」

 予想はしたが、真っ先に聞いてきた

「う~ん。まだ友達で情報量は少ないけどぉ~好きになる要素はぁ~持っていそうな感じかなぁ~」

 奈緒の驚いた顔が印象的だった

「望が小夜のことをいつも見ていたの知っているよね」

「愛美ちゃんの一件がある前まではぁ~そうだったねぇ~」

 奈緒の顔がさらに厳しくなった

「随分前から、望のこと見ていたんだ」

「愛美ちゃんの一件以来ぃ~望に声を掛ける人はぁ~奈緒ちゃんだけだったかれねぇ~」

 奈緒の動揺が読み取れた

「私ぃ~愛美ちゃんにバカにされていたからぁ~望には同情的だったんだよぉ~。だから帰りの電車で話しかけたんだぁ~」

 電車の件は作り話だ

「それがなりそめなのね」

 奈緒は望を睨むと強い口調で

「望は小夜のことをどう思っているの?」

 望を見ると穏やかな顔だった

「愛美さんの一件の前は親しくしたかったかな」

「どうして?」

「小山家は北家秀郷流の本流だし、小夜さんの読んでいた本を見たら僕が知りたいことに詳しそうだったから」

 望は私に言った理由と違う内容を言った。望に些かの疑念を抱いた

「望は家柄で人を選ぶの?」

「名門の家の人は機会があればお近づきになりたいね。まあ、竜也の巨乳好きみたいな性癖の一種だ」

「それはともかくとして、小夜にはアプローチしなかったの?」

 望は軽いため息をついた

「前から、話す機会を探していたんだけどね、どうも避けられていたみたいで機会がないまま、愛美さんとの一件があって、引き際と感じたね」

 望の言っていることのどこまでが本心なのか分からない。私は愛美との一件以来といったが、私の見る限り望は小夜にまだ未練があるように見えた

「それで有美さんに乗り換えたんだ」

 落ち着いた声で奈緒は望に告げた。望は一切動揺していないように見えた

「渉師匠の彼女に手を出すことはないですよ。確かに勧修寺家は藤原名家で小山家の格上だし、小夜さんと話したかったことは十分以上に有美さんは知っていた。小夜さんに求めていたものは全て有美さんが持っていた」

 

 奈緒は薄笑いを浮かべているように見えた

「望は3号館のエレベータの前で有美さんと2人でいたよね」

 望は涼しい顔で答えた

「いたな」

 奈緒は私に一目すると

「手を繋いでいたよね」

 望と有美の話を盗み聞きしていないならば、動揺しただろうがこれは既知の情報だ。その後、有美の前で望と腕を組んでいるところを小夜に見られているが、それが奈緒に伝わっていないことが驚きだった

「ああ、繋いでいたな」

 

 望のあさりした回答が予想外だったのか奈緒はしばし言葉を失った

「なるほどね、有美さんと上手くいきそうなので、小夜を捨てた訳ね」

 望はここまで言われても冷静を崩さなかった

「有美さんは恋愛対象にはならない」

 

「どうしてよ!」

 奈緒は強い口調で望に問い詰めた

「有美さんとは恋愛の映像が浮かんでこない。それに、恋愛すれば破局の危険がある。有美さんとは一生友達でいたいと思っている。だから恋愛なんて冒険はしない」

 奈緒は薄笑いを浮かべて

「どうかしら?さっきの二人はただの友達には見えなかったけど」

 奈緒は私の顔を睨んだ


「有美さん、言っていたよぉ~渉さんと別れることがあったらぁ~望と付き合うつもりだったってぇ~」

 私の言葉に、奈緒は呆気にとられていた

「どうして、そんなこと菫が知っているのよ」

「望にぃ~有美さん紹介してもらってぇ~友達になったからぁ~」

 望が口を挟む

「菫さんの質問、難しすぎて有美さんに助けてもらったんだ」

 

 奈緒が動揺していることが表情から読み取れる

「どんな質問よ?」

「マクスウエルの魔物!」

 私と望の言葉が重なった。

「マクスウエルの魔物?何よそれ?」

 望が冷静に答える

「授業でやった熱力学第2法則の話」

「エントロピーの話よぉ~」

 

 奈緒が面倒そうな顔をした。望がたたみ掛ける

「熱力学の前段で説明するボルツマン分布とマクスウエル分布、そこから誘導されるガウス分布に従うエネルギーの違い。僕の知識だけでは対応できなかったので物理科の有美さんに助けてもらった」

 私も補足する

「有美さんと望の見解ではぁ~観測者に依存するという解釈でぇ~そもそも速度の速い粒子と、遅い粒子のばらつきが生じる事態にぃ~エントロピーが安定化する過程でぇ~意図する分離はあり得るってことだったよぉ~」

 奈緒は呆れ顔になった

「本当に分かって言っている?」

 折角だからからかってやろうと思った

「私の胸の成長はぁ~小学生で止まったけどぉ~奈緒ちゃんの胸はぁ~今でも膨張し続けているのぉ~同い年なのにねぇ~それを望がぁ~いやらしい目で見分けるのぉ~」

 望は笑って

「観察者のゆらぎだよ。系で見ればエネルギーは同じだけど個々の粒子のエネルギーは違う。人の身長も体重も容姿も違うが巨視的に見れば19歳の女性ってこと、そこで菫さんを選ぶのがマクスウエルの魔物かな」

「エンタルピーとエントロピーねぇ~」

「有美さんが気に入る訳だ」

 奈緒が仏頂面だ。望としては有美を裏切っている渉と奈緒を許せないのかもしれない。また、望の足を蹴って合図した

「望はぁ~、有美さんの友達紹介してもらうつもりなんでしょ~?」

「菫さんが今の人と別れるまで待っていようかな」

 

 <つづく>

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