理想は高い自動通訳機


 幸田紅葉 (コウダ・コウヨウ)は数年振りに友人である木村拓海 (キムラ・タクミ)に会いに来た。

 

 紅葉は別のコミュニティの友人が中途難聴になってしまったことを受け、大学の頃友人であった聾者(ろうしゃ)の拓海に話を聞きに来たのである。

 

 紅葉と拓海は学生時代共に国文学科であり、同一のダンスサークルに所属していた。

 

 聾者というのは『生まれつき耳の聞こえない人物』を指した言葉であり、難聴・失聴とは区別される。

 


「僕の友人は中くらいの難聴でね」

 

 紅葉は拓海に、難聴になった友人の経緯を語った。

 

「友人は片耳難聴(ノイズと痛みが混じって聴くことに障壁がある)で、もう片方の耳も聞こえずらさの兆候が出ているそうだ。

 合う補聴器がなかなか見つからないらしく、また失聴ではなく難聴なので、『まあ気をつけて生きてくしかないですね』という対応を取られることが多いという。医師からもその態度をとられることがあるようだ。

 ただ、友人は理屈っぽくて物覚えがいいので『それなら手話を覚える!』と言って結構早い速度で手話を覚えていった。ほら、このMeTubeチャンネルなんかも参考にしたらしい」

 

 紅葉はスマホに手話の動画を映して観せた。言語学的アプローチや聾者の文化を解説しているチャンネルのようだ。

 

「ただ、問題はここからで、友人は耳が悪化する数年前から全身にも問題が発生し、外出なども大変な状況。そのため、手話サークルなどに参加するのは厳しい。オンラインも、手話を覚えて使えたと言っても『体調を労りながら画面移りよく』手話ができる状況ではない。

 また、障害認定をうけるほどの聴覚障害ではないため、手話通訳などの支援を受けられる立場でもない。他の症状などを合わせると本来もっとしっかりした介護を受けるべき立場なのだが。

 そうなると、周りに覚えてもらうということになるのが、例え"友人"であっても全然手話を覚えようとしてくれない、と嘆いている。

 彼はね、"唯一無二の友人"は作れなかったんだ。彼から声をかければ遊べるが、彼が声をかけられることは無い。かつてからだが動いたころの趣味が出来なくなった時、話す話題はなく、世界中で流行った感染病で疎遠を加速させ、その後彼に助けの手を差し伸べられる友人はいなくなってたんだ。彼が精力的に声をかければ関係が回復する仲も保留されていたが、そんな体力と健康があればそもそもそこまでやさぐれない。

 俺はかなり遠方に住んでいるから年に一回会えるかどうかで、たまたま観光で友人宅の近くに遊びに行っていて、ふと思い立って連絡を入れて知ったんだ。最近は手話を勉強しはじめてるよ。でも、俺みたいな人はとても少数みたいだね」

 

 拓海は筆談で返した。年少からの長年の訓練により唇を読むことができるが、相手に伝えるための発声は、残念ながら聞き取ってもらえることはほとんどない。

 

「複数の問題によってコミュニケーションの手段や場所が限られていると。そもそも手話をしている人自体が(学習者を含めても)社会的に少数派だから、今後その人の手話に求めた望みは叶わないでしょ。すっごく残念だけどね。

『自分で覚える』か『人に覚えてもらう』か――。

 時間は有限だし、人間って自分のことで手一杯なんだよ。自分に不自由してる立場でSNSとか見ると、『お前ら遊んでんのに!』って言いたくなってもね。

『大学受験しろ』って言ってくる親はでさえ、たとえその子供のためと思って発言しても自分で大学を調べたりしない。自分が気持ちよくなるためのお節介はしてやれるけど」


 紅葉は拙い手話で補いながら唇を離し動かす。

 

「俺らがダンスサークルにいた頃は、ダンス自体がある種共通言語だったし、拓海は唇を読んでくれて、返事はLineの筆談だったからね。当時は随分、甘えていたかな」

 

 拓海は紅葉が少し悲しげな表情で視線を落とすと、足をタンと床に打ち付けて鳴らし『それはもう』と返答した。

 足を鳴らすのは、視覚言語の世界では"視て"貰わないと話がはじまらないからだ。

 

 紅葉はまたスマホをいじって、とあるサイトを観せた。

 

「手話の自動通訳を"目指す"ために色んな人の手話を収集したりしているサイトだってさ。……まあこういうサイト・アプリは複数あるんだけど、七、八年前に情報発信されて、リリース日を公表してから何年も延期に延期を重ねている」


 拓海は『AIを使って手話をCG表現する――』と手で呟いたあと、紅葉の顔を怪訝そうに見た。『キミ、生成AI大嫌いだろう?』


「……嫌いなのはSNSとかでセンスのねえ奴らが著作権的にアウトな方法で生まれたツールで『綺麗だが嫌いな絵柄のイラスト』をジャンクに量産したりしたのが原因さ。

 撮り鉄でマナーの悪いやつらを嫌いながら『撮り鉄』という言葉に飲まれて電車撮影者全員を蔑むのは違う。

 ビーガンを自分なりのこだわりで貫いてる奴と『論理が破綻した状態でデモして押し付けてくるやつ』を混ぜては行けない。

 本当に男女の平等を考えて両者を諭すフェミニストと、女尊男卑のツイフェミを一緒にしてはならない。

 まあ、実は難聴の友人自身も生成AIにかなり鬱屈した(嫌いよりの)感情を抱いていた。けど、そこにこだわって身体が壊れて行ったら元も子もないだろ。

 AIで表現された手話と、対応する日本語の通訳は――ほんとに延期に延期を重ねているから、出てくれるか怪しく思い始めているが――手話が出来れば円滑に行く場面で、選択肢にすら上がらず苦労している人の元に届いて欲しいなって思ってる」

 

 紅葉の話のあと、拓海はアプリページをスクロールしていった。ボトムページまで辿り付き、スマホを机に放り投げて皮肉混じりに応えた。

 

「その友人が、手話が可能な体調の内に完成するといいけどね!」

 

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短編まとめ 彩色彩兎 @SaisyokuAyato

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