第9話──8「判断」


  9


 刃と刃がぶつかる。火花が幾度なくちらつき、鋭い嘶きを響かせ、また交じり合う。

 刀と槍の攻防。どちらも一瞬の隙もなく、攻撃を受け避け、一撃を放つ。そしてそれを受け避けを繰り返す。殺し合いの乱舞。おそらく外野からは目にも留まらぬスピードで閃光が散っているようにしか見えない。速度の打ち合い、決闘、鍔迫り合いだ。

 とっとと殺して、早くルーヴとジニアの元へ。そんな憤りと逸る気持ちさえ隙になりそうなほどに、相手の攻撃は的確で正確だ。一瞬の、その更に一瞬。気を抜いただけで、おそらくその槍の穂先は体を貫いているだろう。

「ッ……!」

 フォルが突き出した槍。シザクラはしゃがんで避ける。広い穂先の刃が肩を掠り痛みを走らせる。

 すかさずシザクラは槍を弾き上げ、がら空きになったフォルの胴目掛けて刀を振った。刃は空を斬る。

 フォルはバックステップで背後に飛び退いたようだ。かと思えば着地と同時に低く構え、地面を踏みしめる。極限まで絞られた糸のような、瞬間的な殺気。来る。

 反射的にシザクラは刀の身幅に小手をあてがい、防御態勢をとる。地面を蹴り音もなく、次の瞬間フォルはシザクラの目の前に迫っていた。

「チィッ……!」

 弾ける前のバネのように後ろに引かれた槍。そして突き出される。一撃、二撃、三、四。数えるのは止めた。思考を視覚と感覚に振り抜く。

「……どしたの? ちょっと遅くなった? さすがに疲れてきちゃったっしょ。あたしはあと十回は君の居合捌けるけど」

「それならわたくしは十一回あなたの居合とやらをいなします。強がりがお下手ですね。取り繕う余裕もそろそろなくなってきましたか?」

「君も人のことも言えた義理じゃないと思うけどなぁ……っ」

 居合の連続突き、全て捌き切った。お互い睨み合って構え直し、再び刃を交えている。

 いい加減、埒があかなかった。お互いの実力はおそらく互角。もしくは、向こうのほうがシザクラより僅かに強いかもしれない。

 そろそろ、決定打を。フォルの動きは相変わらず鋭いが、先程シザクラが居合で与えた胴の切り傷と疲労で僅かに遅くなってきている。

 攻めるなら、今だ。こっちもこのスピードの攻防を立て続けられるほど体力は余っていない。刹那が仇となる立ち合いのせいで、精神も確実に摩耗していた。

(……あたしの死に場所は、ここじゃない)

 今は死ねない理由が出来た。上空で派手に魔法がぶつかり合っている気配がする。雷に炎。荒れ狂う嵐が、まるで隔てた対岸で巻き起こっているようだ。

 あの子は負けないだろう。ならこっちも、負けない。負けるわけにはいかない。

「つぅッ……!」

 踏み出してきたフォル。突き出された槍。その穂先をシザクラは手で掴んで止めた。

 左手。小手は腕部分のみで手は生身だ。指失う覚悟だったが、掴みどころが良かったのか掌が裂かれ血が滴る程度だった。

 そのまま槍を引っ張り込み、体勢を崩したフォルを思い切り蹴飛ばす。みぞおちを狙ったがすんでのところで急所は避けたようだ。だが体に蹴りを受けて彼女は飛ぶ。倒れることなく、猫のようにしなやかに地面に着地した。

 距離はできた。シザクラは後ろに跳び、更にフォルとの間合いを空ける。同時に踏みしめた足が、地面を深く抉るほどに裏に力を込めた。

 刀は既に鞘に納めて、構えている。瞬間的に、限界まで。溜める。

 フォルはこちらの殺意の変化に気付いたのか、防御体勢に入った。その時にはもうシザクラは跳んでいる。

 前へ。突風よりも早く突っ込む。刀を抜き、振る。

 地面をスライドしながら着地。フォルの後方へ。余った勢いは足と体幹で殺し切り、体勢を保つ。砂塵がシザクラの背中で風に吹き飛ばされた花びらのように噴き出して舞う。

「あまり見くびらないでください、シザクラ様。いくら速度を上乗せしたとて、同じ技。二度は通用しません」

 シザクラが止まりきる前から、後ろでフォルの声が近づいてきていた。どうやら斬り付けた一撃は見切られたらしい。一撃は。

 彼女は槍を構え斬りかかって来ているのだろうが。シザクラは振り向く必要がなかった。もう終わっている。

「……そっちこそ、見くびらないでくれる。同じ技の加速に、君はまだ追いつけてないよ」

 迫りくるフォルに背を向けたまま、シザクラは抜き身の刀を身体の前で鞘に納めていく。

「雷ってさ、光った後に音が遅れて聴こえてくることがあるでしょ。これは、そのイメージ。──居合、遠雷乱れ裂き」

 刀を、完全に鞘に収めた。その金属音より一拍遅れて。

 斬撃がシザクラの背後の空間を折り重なり引き裂いていく。つい先刻シザクラが飛び抜けたところを縫うようにして、無数に展開する。

 速さを極限まで高めることで、斬撃を置き去りにする居合い斬り。既にシザクラが斬った後なので太刀筋も追えず、くるタイミングも測れない。射程範囲内の全てを斬り裂く、実質、防御も回避も不可能な大技。

「ぐッ……は……っ」

 槍の落ちる音がする。振り向けば、フォルが初めて膝を着いていた。しかしその紫の眼差しは、まだ闘志を失わずシザクラを睨んでいる。

 彼女は一度離した槍を、その血まみれの手で握り直していた。でも、もう振れるような状態じゃないだろう。全身切り傷まみれだ。だがこれでも、最小まで抑え込まれている。

「首も手足も全部落とすつもりだったんだけど、全部無事とはね。初めてだよ、あたしの居合にここまで対応出来た奴は」

「……それは皮肉でしょう。わたくしはもう、あなたに対抗出来るほどの力はない」

「半分は賞賛のつもりだけど。何にせよ、惜しかったね」

 再び刀を鞘から解き放ちながら、膝をついたままのフォルに歩み寄ろうとした時だった。

 遥か離れた頭上で、青紫色の稲光が瞬いた。派手に雷が弾ける音がする。さながら花火の如く、空を彩る。

 この気配はフィーリーの魔法。そう認知した途端、ガラスが砕けるような轟音が響いた。

 シザクラたちを取り囲んでいた結界が、上から崩れていく。破られた。フィーリーが、ターシェンに勝ったのだ。

「ターシェン様ッ!!」

 気を取られたのはたぶん僅かの間。目の前にいたフォルの姿はもうなかった。空の上で散りばめられている雷光。そこからあぶれたように落下する影があった。あれはターシェンか。フォルはそれが落ちるであろう場所にまっすぐ向かう。

「まだ全然動けんじゃん。マジで人間かあいつ……」

 致命傷に至らずとも、すぐには動けないくらいの傷は負わせたつもりだったが。太刀筋が甘かったのか、あいつの耐久力がバケモンなのか。とどめを刺しに来た自分に相打ち覚悟で反撃してくるとは思っていたけど、ありゃ返り討ちにするつもりだったな。

 ふと落ちていく影に、緑の輪が折り重なって掛かる。そして地面に墜落する前に、下から強い風が吹きつけて衝撃を消して浮かせる。それをすかさず、フォルがキャッチした。

 あれもフィーリーの仕業か。相変わらず、あの子は甘い。殺そうと思えば殺せるくらいの力はもうあるのに。現に、あれだけ魔力に溢れていたターシェンを打ち破った。

 フォルはターシェンを抱き留めたまま、何かの瓶を割ったように見えた。途端、彼女たちの姿は消える。予め魔法が瓶に封じ込めてあったのか。瞬間移動か透明化か、何にせよもう追いつけないだろう。彼女たちの背後に迫っていたシザクラは足でブレーキを掛けて舌打ちする。フォルはこちらに見向きもしなかった。さすが、主を第一にする催眠魔法。

「……シザクラさん、終わりました」

 フィーリーが下りてきた。シザクラは抜き掛けた刀を納め直し、笑みを繕って振り向いた。

「……うん、お疲れ様。殺さなかったんだ」

「殺さないですよ。どうしてです?」

 心底不思議そうに、フィーリーが聞き返してくる。そう、彼女には最初からそんな選択肢はないのだ。

「……いや。それより向こう戻ろうか。ルーヴさんとジニア、それにレンウィたちも。めっちゃ頑張ってくれたみたいだし」

 結界の内側から、何となく向こうの戦況は察していた。あの魔族二人を相手取って、まさか勝つとは。

 フィーリーが下りてくるのに手を貸して、二人で向かう。ツヴィとリンゲと言ったか。奴らが拘束されている場所へ。レンウィたちが取り囲み、その外側にルーヴとプティ、そしてジニアが立っていた。ジニアはそれはもうここぞとばかりに胸を張って、シザクラたちを迎えてくれる。

「ムキムキお姉さんもお子様も、遅かったんじゃなーい? ジニアたちは、あっという間に片付けちゃったんですけどっ。もっとこの天才を、褒めたたえても損はしないんですけどぉ?」

「そうだね。よくやってくれたよ。さすがだね、ジニア。ルーヴさんも、よくご無事で」

「フィーリーと、シザクラさんも。傷、手当てしますから……」

「後でいいよ、ありがとう」

 ジニアとルーヴの肩に手をやって労わり、シザクラは魔族たちを取り囲むレンウィたちの元へまっすぐ歩んでいく。レンウィが真っ先に気づいて敬礼しかけたので、その手を止めた。

「シザクラ隊長! そちらの魔族たちは大丈夫でしたか⁉」

「うん、逃げられたけどね。こいつらはどうするの?」

「このまま王都の方へ輸送します。他に魔族の仲間がいないか、尋問もしないといけませんからね」

「……尋問? ずいぶん軽く見てくれるねぇ、人間ども」

 レンウィとシザクラの会話を、地面に這いつくばったリンゲの声が遮る。彼が顔を上げる前から、シザクラはじっと目を逸らさずに見下ろしていた。

「こんなオモチャで、僕らを捕まえた気になってんの? 僕と兄さんの魔力が戻ったら、すぐこれ外してお前らなんか皆殺しにしてや……」

「だろうね」

 音もなく刀を抜いていたシザクラは、言葉を発する直前で刃を振るっていた。

「……へ?」

 仰向けになっていたリンゲの首が胴体から切り離されて宙を舞う。その表情が、何が起こっているのかわからないまま首のない自分の体を見て、地面を転がった。不快な血飛沫が頬に飛んできて、シザクラはツヴィの方を見たままそれを手で拭った。

「リンゲ……? リンゲッ!! 貴様ッ、何てことを……ッ!」

「黙れ」

 弟の死骸を見て叫び出したツヴィの首に、シザクラは刀を振るっている。ごぽっ、と言葉の代わりに口から血を噴き出して、ツヴィの頭が転がった。

 ようやく静かになった。シザクラは刀を振って血を落とし、曲げた腕のところに刃を挟んで服の袖を擦り血の跡を拭う。そのまま鞘に得物を納めた。

 唖然としたような沈黙が、その場に横たわっていた。

「……シザクラさん……? なん、で……?」

 聞こえたフィーリーの声に振り向く。そして目を見張ったまま固まっている彼女を安心させるように、シザクラは微笑んだ。

「聞いてたでしょ。こいつら生かしてたら、何しでかすかわかったもんじゃない。ここで殺しとかなきゃ。ね?」


  10


『フォル、現状を報告しろ。ターシェンの魔力が弱まり、ツヴィとリンゲの魔力が完全に消失した』

 ゲレティーは魔力を使い、遥か離れた場所にいるフォルの頭の中へと思念を送る。彼女は人間だが多少の魔力を有している。ゲレティーは一人一人が違う形を持つ魔力の位置を特定する魔法に長けていた。だからこそ、不測の事態があったことがわかる。

 少し間を置いて、不鮮明なフォルの声が内側から聴こえてきた。魔力の不足や、精神的な不安定さがこの思念伝達に影響する。普段冷静さを崩さない彼女の様子から察するに、ターシェンに何かあったのか。

『……申し訳ありません、ゲレティー様。ターシェン様は魔力を消費され、意識がありません。ツヴィ様とリンゲ様は、騎士団の連中に捕縛されたようです。……おそらくは』

『その場で処刑されたか。騎士団は命までは取らないと踏んでいたが……例の、魔法使いと騎士の二人組だな。魔力を探っていたが、別の三人とも行動を共にしているようだった』

『それが……』

 ターシェンは端的に状況を説明してくれる。ターシェンとフォルは、魔法使いと女騎士二人組を隔離して相手取ったこと。ツヴィとリンゲは他の二人と騎士団と対峙したことを。そして、自分たちが全員敗れたという。

『……不思議なことですが、魔法使いの少女はターシェン様を墜落から守ったのです。ですが、女騎士は容赦なくわたくしを殺そうとしていた。騎士団の連中たちも、ツヴィ様とリンゲ様の捕縛だけしていたそうです。おそらくお二人の命を奪ったのは……』

『……そうか。フォル、お前の傷は大丈夫か』

『問題ありません、動けます。……ツヴィ様とリンゲ様を助けられませんでした。申し訳ありません』

『気にするな。采配を間違えた俺の責任だ。ターシェンを頼む。二人ともしばらく潜伏して、養生に専念しろ』

『……御意』

 フォルとの思念伝達を遮断する。ゲレティーは少し項垂れて、自らの額にそびえた角に触れる。

 無駄に大きな窓の前に立っていた。外の街には夜の帳が下り、明かりが灯っている。道を照らす街灯にも、家を彩る照明にも魔石が使われているという。おかげでこの王都が眠ることはない。

 建物の建築から生活用品に至る細かなことまで、人間は魔石に恩恵を受けているらしい。魔石のおかげで、人間の文明はめざましく発展していると聞く。

 ……人間が。人間ばかりが。今の安寧にもたれかかり、のうのうと暮らしている。そんな現状を、許せるわけがなかった。

 必ず思い知らせてやる。お前たちが永劫に続くと思っていた平和は、ほんの一時の夢でしかなかったということを。

「……ツヴィ、リンゲ。すまない。先に行って待っていろ。必ず朗報を持っていくと誓う」

 星の見えない夜空に向かって、ゲレティーは目を閉じ小さく祈った。

「ゲレティー! これは一体どういうことだッ!」

 感傷に浸る沈黙を破るように、客室の扉が乱暴に開けられた。僅かな間に城の衛兵たちが窓際にいたゲレティーを取り囲む。その外側で睨みを利かせているのは、リオネルト王の側近のオルゲンという老いた男だった。

「魔族を名乗る連中が、ブラム大陸の町を襲撃したと報告があった! 貴様、謀ったな! お前の仲間だろう!」

「……落ち着いていただきたい。お言葉ながら、その話は初耳でございますオルゲン殿。そもそも私が謀りごとをしたのなら、どうしてわざわざ王都フレアラートに伺う必要があるのでしょう。私はあくまで、フレアラートと私たちの間で和平関係を結びに来たにすぎない。平和で親交的に、です」

「だが連中は……ッ!」

「その件に関しては心から謝罪いたします。我々の意見も、一枚岩というわけではないのですよ。人間と和平協定を築くことを、快く思わない者もおります。あなた方の歴史を鑑みれば、それも必然ではありませんか」

「お前がけしかけた者たちの仕業ではないのか」

「滅相もございません。私がここに赴いた目的は、フレアラートと我々の和平交渉。それが締結されれば、今回のようなことも起こらなくなるとは思いますよ」

「その言葉を鵜呑みにするほど、我々が愚鈍だと思っているのかッ!」

 衛兵たちは一斉に剣を抜き、ゲレティーに向かって構える。当然、想定していた事態だった。

 十秒も要さずにこの場にいる全員を始末することも容易かったが、今は時期じゃない。もう少し深く、王都に潜り込む。もう少し広く、魔族の名を世に知らしめる。

「信じるか信じないかはあなた方にお任せします。ですが私も、愚鈍ではない。そちらがその気ならば、抵抗するまでのことです」

 ゲレティーは指に装着した指輪を、前に掲げる。埋め込まれた丸い水晶の中に、紫色の光が宿る。ターシェンの魔力を、そこに封じ込めてもらっていた。ゲレティーならそれを任意の時に魔法として使うことが出来る。

 途端、ゲレティーを囲んでいた衛兵たちが、自らの首に持っていた剣の刃をあてがった。全員、もれなく目に紫色の光が宿り、生気を失った眼差しをしている。ターシェンに、あからじめ暗示を掛けてもらっていたのだ。ゲレティーの思うがままに、掛けられた者を本人の意識を奪い操ることが出来る。

「お、お前たち……⁉ 一体何を……!」

「下手なことをしないでいただきたい。私が指一つ動かすだけで、この人たちは自らの首を刎ねますよ。更に、こういう芸当だってこなすことも出来る」

 ゲレティーが指輪をくゆらせると、衛兵のうち一人が感情を乗せた声で喋り始めた。

「国王は城内に魔族を匿っている! 奴らと手を結んで、俺たちの生活を脅かすつもりだぞ!」

「なっ……」

「一言一句、私が命じたことを話させることも出来ます。望むなら、この王都に不安分子の種をばら撒くことも出来る。仮に私が死んだとしても、後から命じたことを実行させられますよ。あなた方も痛くもない腹を探られたり、根も葉もないうわさで国民たちが揺らぐのは望むことではないでしょう」

「き、貴様……ッ。やはり我々を謀るつもりで……ッ」

「これはただの自衛の策ですよ。こうなる事態を予測していなかったわけじゃない。私の目的は、和平協定の締結。それだけです。あなた方が友好的に接してくださるなら、もちろん危害を加えるつもりはありません」

 ゲレティーは手を下ろす。すると囲んでいた衛兵たちも糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。全員の意識を奪わせてもらった。間違いが起こっては困る。この場では。

「先ほども申し上げましたが、判断はあなた方王都側にお任せします。私としては、何事もなくこの協議が終わることを願っていますよ。……では失礼。ここでは寝られそうもないので、別の客間に案内していただけませんか」

 ゲレティーは客間の入り口の方に音もなく移動をして、茫然としているオルゲンを振り向き微笑みかける。彼は口惜しそうに手を握りながらも、新たに呼びつけた衛兵たちに意識を失った者の介抱と、ゲレティーの別室への案内を言いつける。あからさまに数を増やした監視に囲まれながら、ゲレティーは明るい廊下を進む。愚鈍な者たちだ。数で解決する問題ではないというのに。

「……見張っているからな。変な気を起こすな」

 わざわざ着いてきたオルゲンが捨て台詞を吐いて睨んできた。「ええもちろん。あなた方次第です」とゲレティーは笑い返し、別の客室の中に入った。

『デァート。そこにいるな』

 扉が閉まり一人になるなり、ゲレティーは明かりも点いていない客室の隅に目を向ける。そして思念で語り掛けた。

 暗闇の中で窓際に縮こまっていた影が、微かに身じろぎした。

『悲しい……悲しいわね……。人間って、どうしてこんなに愚かなのかしら……』

 金色の長い髪が、窓からの月明かりを受けて闇の中に浮かんでいる。そして先端の方が琥珀色に微か光っている角を、側頭部から二本覗かせていた。両手で顔を拭う仕草を繰り返しているのは、彼女が座り込んですすり泣いているからだ。

『ここは俺に一任してくれていい。お前は、ターシェンたちと対峙した魔法使いたちのことを調べてくれ。彼女たちの素性を知っておきたい』

『悲しい……。ターシェンほどの魔力の持ち主が負けるなんて、現代の人間の魔法使いならありえない話よね。ゲレティー、あなたもまさか、とは考えているんでしょう……?』

『ああ。ターシェンの魔力が弱まる直前、凄まじい出力の魔力をすぐ傍で探知した。あの並外れた魔力量、そして卓越した魔法の使いこなし。俺はそれに、覚えがある』

 ──リーエル。

 十年以上前に、ゲレティーたちの前から姿を消したサキュバス。彼女がこの世界に来ていたとしたら。

『調べて、逐一報告してくれ。必要なら接触してくれて構わない。もし説得が可能なら、こちら側に引き入れておいて損はないだろう』

『説得が無理なら……? ……ええ、そうよね。悲しいわ……』

 デァートがゆっくりと立ち上がる。彼女の小さな背中に、大きく広がったのは翼だ。暗闇すら寄せ付けない、漆黒の羽根。

『こんなに悲しいことは、早く終わらせないとね……。また会いましょう、ゲレティー』

 デァートが後ろに下がると、そのまま壁に吸い込まれるようにその姿が消えた。

「……ああ、そうだな。……終わらせないと」

 ゲレティーは誰もいない闇の中で、一人呟いた。


  11


「やはり仕込んでいたか、魔族どもめ。しかし催眠魔法とはな。これで我々は迂闊に向こうに手を出せなくなった。完全に後手に回ったというわけか」

 王の私室にて。リオネルトは報告を受けて憤慨せざる得なかった。

 このままでは向こうの手中で転がされ、不利な協定を結ばされるどころかこの国ごと内側から滅ぼされてしまうかもしれない。事態は、思っていた以上に深刻になりつつある。

「しかし王、朗報もございます。どうやら町を襲撃した魔族たちを始末した連中がいるようなのです。どうやら強大な魔力と魔法の技術を持っているらしく、魔族たちを圧倒したとか」

 報告に私室を訪れていた側近のオルゲンが、まくしたてるようにそう伝えてきた。彼も少しでも状況を打開しようと必死なのだろう。その焦りはリオネルトも痛いほどわかった。

「強大な魔力? しかし人間では、魔族以上の魔力を有する者などいるはずが……まさか、仲間割れか? ゲレティーは自分たちは一枚岩ではないと言っていたのだったな」

「詳しい状況はわかりませんが、もしその者たちを味方にすれば少し我々は優位に立てるかもしれません。最悪、捕らえてしまえばいい。我々には切り札が必要です、陛下」

「……そうだな。四の五の言っている余裕はなさそうだ。これ以上、魔族の奴らに好き勝手にさせるわけには行かない」

「私にお任せを、陛下」

 声を掛けられて、初めてリオネルトは自分たちのすぐ傍に誰かがいる気配に気づいた。

 彼女は、いつもそうなのだ。音を消し存在感すらも掻き消し、隠密に行動する。人間の中では数少ない、自ら有した魔力で禁断魔法をも操ることが出来る者。

「カンバル。来ていたのか。その者たちの調査を頼めるか。まずは素性を知っておきたい。人間なのか、魔族なのか。味方になりえるのか……敵になりえるのか」

「可能な場合は説得。それが不可能なら生きたまま捕縛し王都へ連れ帰る。それが任務ということでよろしいですか」

「話が早くて助かる。表立ってことを起こすと、魔族たちに気づかれる危険性がある。騎士団は使えないが、隠密部隊から何人か君の下に付けよう」

「御意。心遣い、感謝いたします」

 かしずいていた彼女は言って立ち上がると、再度頭を下げるとそのまま部屋を出て行った。足音もなく、目の前にいるはずなのに透明な人間を相手にしたような気分になる。それだけ彼女は、その場に溶け込む技術に長けているのだ。

 そんなカンバルの左腕。彼女が幼い頃に失ったというその部位は、今魔法で作り出された半透明の腕が存在していた。従来の腕のような動作も可能だが、あらゆる形に変化して使うことが出来るという。隠密行動には便利だと彼女は言っていたが、詳細はリオネルトも知らなかった。

「あんな小娘一人にこの一大事を任せてしまって大丈夫なんですかね……」

 オルゲンは不安というかやや不服そうにカンバルが去った後を見つめている。手柄を横取りされたと思って面白くないのかもしれない。この男はそういう嫉妬深いところが玉に瑕だ。

「彼女は優秀だ。信じていい。これだけ魔石で豊かなこの世を保っていられるのも、彼女の助力あってこそでもある。もちろんあなたのように国のことは任せられないがね」

 下手なおだてだったが、オルゲンは素直に頷いてくれた。扱いやすくて助かる。

 事実、オルゲンはリオネルトの下に付いてくれてからは表立って出来ないことを難なくこなしてくれている。それがこの世界の発展に間接的にでも貢献になっているといっても過言ではない。彼女のような役回りは、この国を、そして世界を動かすという面では必要な人材なのだ。そして少なくとも、今のところ替えは効かない。

「さて。俺たちは俺たちで、対策を講じようじゃないか。これ以上、魔族の連中に好き勝手に場を荒らされては敵わん。何としても奴らが住まう世界への入り口を突き止めてやる」

 そしてこの世界が対面している問題ともケリを付けるのだ。リオネルトの力強い言葉に、オルゲンは感嘆したように何度も頷いて見せた。

(……しかし、魔族を圧倒するほどの魔力の持ち主か。一体何者だ……?)

 リオネルトは考えを巡らせる。

 一瞬頭に思い浮かんだのは、数年前に直接リオネルトが遭遇した魔族。溢れんばかりの強大な魔力を有したサキュバスという種族のことだった。

(あいつが、生きていたのか……?)

 そのサキュバスが同行していた人間の女のせいで仕留め損ねたのを、リオネルトは未だに鮮明に記憶している。この件に、あの二人は絡んできているというのか。

 複雑と化してきた事態に、リオネルトは頭を抱えたくなってきた。

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