第9話──7「再戦」


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 瞬時に作り出した巨大な炎の球体。それを前方へ解き放つ。

 熱波と同時に、火花のように球体が散った。しかし、それらは全て水の膜が包み込むようにして全て相殺してしまう。ほんのりと熱を帯びた水しぶきが上がり、周りに雨のように降り注ぐ。

(……へぇ。無詠唱とはいえ、あーしの炎の魔法を正面から全部相殺しきっちゃうか)

 ターシェンは口元を歪めて、目の前を見据える。正面、同じ視線に浮かび上がっている、とんがり帽子を被った幼い少女にその視線を向けられていた。

 フィーリー、とか言ったか。人間のくせに、しかもガキの分際で、凄まじい魔力をあの小さな体に宿している。それが溢れんばかりに漲って、彼女から立ち込めているのが目に見えるように感じ取れた。

 単純な魔力量なら、今のターシェンにも負けずとも劣らずかもしれない。初めて海の上で対峙した時よりも、それなりに修羅場は潜って来たというわけか。

(でも、まーだまだ青いなぁ。魔法の使い方は一丁前に様になってきてるけれど、相変わらず隙が多すぎ。あたしがどう出るか感じ取ってから行動するまでのタイムラグが致命的だなぁ。もったいなぁい)

 詠唱を短くすることでその隙を補おうとしているようだが、放つ魔法の威力も速度も当然落ちる。それは魔法を扱う者にとって、完全な命取りの瞬間。

 試しにターシェンは、作り出した氷の礫を周りに浮かせ、そのまま四方八方からフィーリーを狙うように放つ。

 それをフィーリーは炎の魔法を周りに滾らせて自分に届く前に溶かし切った。

 ……やっぱり。ターシェンは肩を竦める。明らかにこちらが氷の魔法を使うと感じとれてから炎の魔法を展開している。

 その判断は、あまりに遅すぎる。これが実戦経験の差。弱点を晒してしまうのも、察してしまうのも。せっかく付いてきた実力に、彼女自身が付いて行けていない。本当に、勿体ない。ここで殺してしまうのは。

(でもまぁ、いらないでしょ。殺し合いに、心遣いなんてねぇ?)

 ちょっとでも足掻いてみせてね? じゃなきゃ、容赦なく踏みつぶしちゃうかも。それも悪くない。力の差を見せつけて、踏みつける愉悦も。

 フィーリーが詠唱後に、炎の鳥を打ち放ってくる。複数の魔法の合わせ技。こういう派手な技の時、こいつは気を逸らせて別の攻撃を仕掛けてくる。

 これ見よがしに打ち消してやると、案の定背後から魔法の気配。見るまでもなく、今のより少し小さな鳥がこちらに速度をつけて体当たりしてきているのがわかる。

「甘っちょろいなぁ、お子様ぁ……!」

 この程度なら詠唱する必要すらなし。振り向きもせず、風と水の魔法を振りまいて炎の鳥を掻き消しながら。フィーリーに複数の鋭い突風を撒き散らした。

 彼女は慌てたように魔法で浮いた体を移動させて避けたが、突風が掠り、腕から血が飛沫を上げた。掠り傷で済ませたのは悪くないけれど、この程度で被弾するようでは大きくマイナス点。

「くっ……!」

「どーしたの? 死ぬ気で来ないと本当に死んじゃうよ? この前みたいに、もう逃がしてあげないからね?」

「余計なご忠告、どうもありがとうございます。そういうの結構ですから……ッ!」

 ムキになったように彼女は素早く詠唱する。

 雷か。案の定、上空からいかずちがターシェンに向かって降り注ぐ。一度、二度。更に囲むように雷のエネルギーを溜め込んだ球体が複数現れ、爆弾のように炸裂した。

 だがそれら全てを、ターシェンは同じ雷の結界で相殺している。ちゃんと向こうもそれが視認できるように、ド派手に放たれた雷撃を散らしてやった。

「そんな、嘘……っ」

 フィーリーはわかりやすく唖然とした表情でその様を眺めていた。渾身の一撃だったのだろう。この程度か。失望と共に、目の前の状況を受け入れられていない様子の彼女に、少しぞくっとした。こういうのも悪くないけれど、こいつに期待しすぎちゃったか。

「これで終わり? 残念だったね、君はもうちょいいいところまでいけると思ってたんだけどなぁ。あーしの見当外れかぁ」

 ──もぉ、いいや。じゃあね。詠唱し、ターシェンは構える。両手の人差し指と中指を立てて、ピースサイン。それを弓を構えて、弦を引くような体勢になる。

 向けられた途方もなく膨らむ魔力に気づいたのだろう。フィーリーは対抗するように炎の玉を飛ばしてきたが、遅い。無詠唱でその程度なら、今ターシェンが放とうとしている魔法の圧だけで掻き消してしまう。

 今更防衛に回っても手遅れだ。ありったけ魔力を込め、短い間に詠唱もこなした。おそらくどんな防壁も突き破るだろう。

(あーあ。本気で渡り合えるかもって思ってたのに。ダメか。つまんなぁい)

 雷の矢を放つ。空間が歪むほどの魔力。さっきの彼女の雷撃の吸う十倍の威力。

「ッ……!」

 受け止めることも相殺も出来ないと察したのだろう。フィーリーは咄嗟に回避行動に出た。素早く浮き上がり、飛んで来た巨大な雷の矢を踵一寸のところで避けた。

 だが、その臆しと隙が命取り。ターシェンは既に彼女の背後に回っていた。こちらの魔力を探知する余裕もないのだろう。そういうところが未熟なのだ。卓越した魔法使いなら、常に相手の魔力の位置を計る。

(摘むには惜しいけど。ま、それも花の運命ってことで)

 人差し指と親指をクロスさせて、魔力を引き絞る。そこから溢れた炎が、まるで剣の刃のように象られた。

「フレイムヴェイン」

 滾る炎の刃で、背後から隙だらけの彼女の首を刎ね飛ばそうとした時だった。

「がぁッ……⁉」

 突如、衝撃。頭の奥で閃光が弾けた。

 動けない。体が痺れている。雷の魔法を喰らった。視界がちらつく。それはわかったが、どこからだ。ターシェンは必死に頭を巡らせる。こいつには魔法で援護できるような味方もいないはずだし、第一今の今までターシェンがそんな魔法の気配を察知していなかった。

 すぐさま、目の前で魔力が膨れ上がっていく気配。ぼやけた目の前に、とんがり帽子のシルエットが浮かんでいる。その周りを巡る、言葉の輪。いくつも連なっている。

 攻撃が来る。魔法だ。防がなければ。動け体。魔法を、防衛魔法を展開しろ。今もろに喰らったら、確実にやばい。

「ッ……!」

 何とか人差し指と親指をクロスさせて印を結ぶ。雷の気配だった。だからこちらも雷の防壁を正面に張る。

「ぐぎッ……! がはッ!」

 だが防壁は、いとも容易く打ち破られた。射抜くような電撃がターシェンの身体を襲う。頭の芯が弾け飛びそうな衝撃。

 それでも気を失わず、浮き上がる風の魔法も絶やさずに立っていられたのは、一瞬の判断で身に纏わせた雷のオーラのおかげだった。それが僅かにターシェンを打った稲妻の炸裂を中和してくれたのだ。

 だがダメージは入っている。もう今までのような大掛かりな魔法は使えないだろう。詠唱出来るほど、頭のリソースに余裕がない。

「……あなたは多分、とどめは自分の手で決めたい人だと思っていました」

 声。どこまでも冷静な。フィーリーの真っ直ぐな眼差しが、満身創痍なターシェンを捉えているのがかろうじて見えた。

「お前……今なにしてくれちゃったわけぇ……?」

 息を乱しつつも、かろうじてターシェンは聞く。時間を稼ぐ。少しでも、残った魔力を練る。

「私の魔力を、周りに細かく分散していたんです。一つ一つが、あなたの魔力探知に引っかからない程度に。さっきの魔法は、それを密かに集合させてあなたに後ろから炸裂させました」

「粋なことしてくれんじゃん……っ。あーしの魔法に後手後手で対応してたのも、演技ってわけ……?」

「はい。この前あなたと戦った後、シザクラさんに教えてもらったんです。相手は私のことを初手で舐めくさってくるだろうから、それを最大限利用してやれって。予想通り動いていただいて、ありがとうございます」

「なっまいきなガキだなぁ……っ。まんまとしてやられてやっちゃった……」

 ターシェンはふらつきながらも、頬を緩めた。

 さらっと説明したが、体外から放出した魔力を分散させその場に留めておくなんて並大抵の技量では出来ることじゃない。それも常に魔力探知を怠っていなかったターシェンの網をかいくぐるほどの極小の魔力を保ちながら。散りばめた水に、視認できないほど小さな雫という形を与えて無数に点在させていたようなものだ。

 いつから自分は、彼女の魔力に囲まれていた。戦い始めた当初、彼女に魔力を放出するような不自然な動作はなかった。つまり最初から、彼女の魔力は自分の周辺に散りばめられていたのだ。

 そして敢えて隙を作り、そこにまんまと釣られて突っ込んできたターシェンの死角に瞬間的に点在していた魔力を集中させ、雷の魔法として炸裂させた。

 魔力をとどめの一撃として振り切っていたとは言え、無詠唱でこちらを一時的に前後不覚に陥らせるほどの威力。そしてたった今の魔法。こちらの防壁を突き破った上に十分すぎるほどのダメージを喰らわせてきた。

 ……とんだ食わせ者のガキ。でも、こっちにはまだ。

「……やるじゃん。でもまだ、詰めが甘いよ。がきんちょ。前に言ったでしょ? 相手の魔力は、ちゃんと封じておかなきゃ」

 痺れた手を左目に被せて、右目に魔力を集中。紫色の目の光が強まったのを感じた。

 しっかり眼差しで、向こうの瞳を捉えた。発動した。確信する。

 禁断魔法、催眠。これでフィーリーはターシェンの言葉なしでは指一本動かすことも、魔法を詠唱することも出来なくなる。ただこの前と同じように、口だけは効けるようにしてやった。最後の言葉くらいは、冥途の土産にしてやってもいい。

「だめだよぉ、あーしの催眠はちゃんと警戒してなきゃあ。時間稼ぎも許しちゃうし、土壇場で油断しちゃったねぇ? フィーリーちゃん?」

「油断したのは、あなたです。ターシェンさん」

 そう言い放ったフィーリーの目。紫の光は確かに宿っているはずなのに、揺るがない何かが、ターシェンの身を竦ませた。

「私が周りに漂わせていた魔力は、さっきの魔法で全部じゃないんですよ」

「……それが何? いくら魔力だけあろうが、あんたがそれを魔法に昇華しない限りどうにも……」

 言いながらターシェンは気づく。こいつ、まさか。

 フィーリーの前に、魔力が集まっていくのを感じる。途方もなく膨れ上がっていくような、膨大な量だ。

 時間差詠唱。予め詠唱しておくことで、タイミングをずらして魔法を発動させる技術。この前の戦闘で、ターシェンの決定打になったものだ。

「だから、詰めが甘いって! 防ぐ魔力が残ってなくても、あーし自体がそんなの避けちゃえば……」

 動こうとしたターシェンの手足が、引っ張られるようにして固定されていた。

 見る。四肢に空中から現れた植物の蔓が巻き付いている。時間差詠唱は、今目の前で発動しようとしているものだけではなかった。こうなるまで、彼女は読んでいたのだ。戦況を。

「私、結構根に持つタイプなんです。これでこの前のは、痛み分けですよ?」

「……あっそ。ほんと、最後までいけすかないガキなんだからさぁ……ッ」

 膨らむ魔力は空気を引き裂くような音を立てながら、巨大な矢の形に成っていく。稲妻の矢。先ほどターシェンが放ったものの数倍はでかい。これも意趣返しか。……ほんと、むかつくガキ。

 蔓に体を絡めとられた時点で、ターシェンの魔力は封じられていた。こちらの催眠を解くためだろう。詰みだ。

(やっぱあーしの目は、間違いじゃなかったわけね。ほんと、これだから魔法って面白い……っ)

 空気を戦慄かせる矢が放たれる。痛みはなく、衝撃と空気が爆ぜるような大きな音だけをかろうじてターシェンは感じられた。

 そこで意識はぷっつりと途切れる。

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