第25話美貌の踊り子たち


 伝説の剣を旅の少女が引き抜いて、悪い竜を退治する。


 それだけの昔話。


 それだけの昔話が、今日は誇張され、再現され、美化されて、舞台の上に参上する。


 今日の祭りには、町の外からも客が訪れている。ほとんどが近隣の町のもので、彼らも今年の祭りを楽しみにしていたはずだ。


 美味いものを食べて、わくわくする劇を見る。そういう楽しい時間なのだ。


 鐘がなり、劇が始まる時間になったことが町中に知らされる。町の中央の広場に設置された舞台を見ようと人が集まり、冒険者たちは下手な騒ぎが起きないように警備を始める。


 客は、例年よりも明らかに多い。


 舞台に立つ少女役が、アリテという美貌の男だと言う噂が広まっているのは本当らしい。美男の女装を楽しみに待つ女性や冷やかしで舞台を見に来た者。その他にも様々な目的で集まった人々が、今か今かと劇の始まり待っている。


「ルーレン様とステリア様もいるし」


 領主として民衆と同じ席で見るわけにはいかないらしく、設けられた特別席に護衛と共に兄妹二人は座っていた。


 護衛の隣には、ひょろりとした男もいた。彼が鉛筆と紙を持っているのを見つけてしまったユッカは、思わず苦笑いする。ルーレンは、今からアリテの女装姿で一儲けする気だった。本人の了承も取れていないというのに。


 舞台の幕が上がる。


 誰もが息を飲んだのが分かった。


「ルカさん……だ」


 冒険者として警備をしていたユッカは、遠くから舞台を見た。人々の視線の先にいるのは、キリッとしたメイクを施されたルカだ。舞台では、彼女の長身がよく映える。


 いや、それより何より——着ている衣装が圧巻であった。ひだの多い衣装は練習でアリテが着ていたものよりも華やかで、少しの動きが大仰に表現される。しかも、衣装は動く度に色を変えるのだ。


「……こんなの綺麗すぎる」


 あるときは桃色の布地がまくれ、あるときは青色の布地がひるがえる。二つが重なれば紫になった。


 こんな衣装は見たことはない。


 美しいものが好きで目が肥えているはずの領主兄妹すら、アリテの作った衣装には圧倒されていた。それぐらいに力強く、繊細な美であったのだ。


「これは、たしかに修繕じゃない。全く新しい別物じゃないか……」


 その衣装で、ルカは強くて弱い少女を演じる。不安定な心を経験した大人だからこそ、万人が想像する少女をルカは演じることが出来ていた。


「あの人、キレイ……」


 ルカを見ていた子供が声を上げる。


 たしかに、ルカも綺麗だ。


 けれども、それ以上に衣装が美しすぎる。ユッカは目が離せなくなった。アリテが衣装を作っていたとき以上に、心臓が早鐘を打つ。自分の呼吸が邪魔で仕方ない。もっと長く、もっと近くで、ルカの踊りを見ていたかった。


「ユッカ。どういうことなんだ!」


 声をかけられて、ユッカは目を見張る。自分の目の前には、ルーレンがいた。


 舞台のルカに見惚れて周囲のことが、まったく見えていなかったのだ。警備失格だと思うが、気を抜くと視線は舞台に向いてしまう。


「ユッカ、お願いだから正気に戻れ!!」


 ルーレンに肩を掴まれて、揺さぶられた。護衛の男が止めるまで、ルーレンはユッカの肩をゆすっていたのである。


「最前席をふいにしてまで、お前を探したんだ。どういうことなんだ。舞台にいるのは、アリテじゃないのか?あの女性は誰なんだ?」


 二人一役で少女役をすることは、ルーレンには知らされていなかったらしい。驚いたルーレンは、思わず最前席という贅沢も捨ててユッカに詰め寄ったというわけである。


 可哀そうなのは護衛で、主がどうしていきなり走り出したのか分からなかったであろう。今でも分からないらしく、護衛の男は疑問符を並べている。


「ちゃんとアリテも出ますって。後半と前半で役者が分かれる事になったんです」


 ユッカの説明で、ルーレンはほっとしていた。町の特産品を作ろうとするのは領主としては立派だが、そこまでアリテの女装姿に期待を寄せなくともと思ってしまう。なにせ、客は舞うたびに色の変わる衣装に十分驚いているのだから。


「今出ているのは、ルカさんっていうパン屋の奥さん。ほとんど練習せずに踊っている凄い人だ」


 ユッカの話を聞いたルーレンの目が、きらりと輝いた。


 その目の輝きは、なんだか怖いものがある。


「パンが焼けて、踊りも出来る……。彼女を父の療養に連れていけないか?踊りは美しいものを好む父を喜ばせるし、パンが焼けると言うなら厨房の手伝いもできるだろう」


 ルーレンの提案は、ユッカには予想外のことだった。だが、そうなればルカは夫のムッシュルから離れる事ができる。


 療養地にいく前当主に付き添うのならば、住み込みで働くになるからだ。女性であっても賃金は十分に支払われるはずである。それこそ、パン屋で働いていたときよりもずっと多く稼げるのだ。


「それなら……」


 パン屋の奥さんでいるより実入りがいいなら、ムッシュルと離婚することだって考えていいはずだ。ルカは、暴力から解放される。それは、ユッカにとってもとても喜ばしいものであった。


「旦那がいるなら、町のパン屋は安泰だろう。領主として、町人の生活に必要な人材を奪っていくわけにはいかないからな。……本当は、俺の側にはアリテを置いておきたいが」


 最後の言葉は、とても小さなものだった。だが、町としても腕のいいアリテを召し抱えられてしまうのは困る。領主には、あくまで客の一人であってもらわなければならない。


「まったく……おかしなお膳立てをされたものだ。あいつの目が隣にあったら、世界は違ったものに見えるのだろうな」


 ルーレンの思わせぶりな言葉に、ユッカは不思議に思った。


「賢すぎる目を共有するのは、楽しそうだと思ってしまうんだ」


 ルーレンの言葉に、ユッカは目を見開く。


 そのような考え方もあるのかと思った。


 アリテはアリテで、自分は自分としながらも視界を共有したいと願う道が。同じ視界を共有して、違うものを想って、面白いと楽しむ道が。


 まだ若いユッカには、想像もできなかった道だった。


 それと同時に、本来ならばルーレンのような人物の方がアリテと親しくなれる人間なのだと気がついた。歳も近くて敏いルーレンは、いとも簡単にアリテの心を解きほぐすのかもしれない。それこそ、恋人のことすら忘れさせてしまうのかもしれない。


「領主さま、アリテは渡しませんから。あいつの一番の友人は俺で、いつかは俺も同じものを見ますから」


 ユッカの一言に、ルーレンは笑った。


 子供の背伸びを笑うような顔だったが、それでもユッカには構わなかった。ユッカが子供なのは変わりがない。けれども、渡したくはないと思ったのだ。アリテの親友は、自分だけなのだから。


「なら、私も負けてはいられませんね」


 どこか楽しげな口調は、妹を相手にしているような優しさだ。子供の未来を楽しむ大人のものだった。


 舞台の上で、ルカによって伝説の剣が抜かれた。もはや、少女は後には引けない。己で決めた道を己で歩くために、竜が住まう山に向かう。


 竜の登場と共に、ルカは舞台裏に戻った。


 暴れ狂う竜の役者は身体をうねらせて、怒り狂った様子を表す。黒子となった町人が両脇から、竜の役者の衣装を引っ張った。


 その瞬間に、真ん中から竜の衣装が破ける。そして、下から現れたのは赤色の衣装だ。本来ならば、これが舞台の名物の早着替え。


 緑色から赤色に衣装を変えるのは、竜の怒りを表すためだ。ダイナミックに踊る竜がいる舞台に、アリテが上がった。


 くるり、と大きくアリテは回る。大輪の花が咲いたかのような光景だった。長い手足に衣が絡み広がり、一瞬一瞬で違う表情を見せる。


 ルカよりも背が高いアリテが踊れば、自然に迫力ある舞となる。それは、戦いにおいての少女の大胆さを表しているかのようだった。


 そして、竜を見やる凛々しい横顔。


 色白の肌に粉を少しだけ叩き、紅を引いただけのかんばせ。


「うわぁ……」


 ユッカは、綺麗だとも言えなかった。


 言葉に出来ないのだ。


 いつものアリテは、そこにはいない。舞台の上にいるのは、絶世の美貌の役者である。人を魅了するために生まれたとしか思えない女神を模した人間は、大胆に踊って竜との死闘を演じていた。


 やがて、アリテが持っていた剣を竜に突き刺す。


 竜の役者は苦しむように倒れて、祭の舞台は幕が降りた。


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