第14話ギメルリング


 アナのおかしな声に、誰もがアリテが吐いたと思った。それぐらいにアリテの様子は酷かったからだ。しかし、それは間違いだ。アリテは吐いてなどいなかったのである。


「あっ、やっぱり」


 ユッカは、そのことを何となく察していた。


 よくよく観察していれば、アリテが奇行もすぐ分かるのである。分かりたくはなかったが。


 アリテが、アナに抱きついて身体をまさぐっていたのである。いたるところにアリテの手は這っていって、アナはくすぐったさに我慢できずに悲鳴をあげたのだ。


「どうしんだよ。お前が、自分から抱きつくなんて」


 アリテらしくはない、とユッカは思った。


 アリテは、知らない人間に触られるのも触るのも大嫌いなはずだ。ユッカなどには気軽に触ったりしているが、それはユッカとの付き合いが長くなってきたのと歳の差があるからであろう。


 アリテにとって、ユッカに触るということは子供の口についたケチャップを拭うのと同じぐらいの感覚なのだ。


 そんなアリテが、アナの身体を丹念に触っている。


 修繕師は、手先を使う仕事だ。金物の修理もするから火傷もするし、あかぎれも絶えない。見るに耐えないほどに荒れた指なのだが、アリテの手の形の優美さには目を奪われるものがある。


 その指が男性の身体を丹念になぞる様に、誰かが唾を飲む音が聞こえた。なでられているアナ本人もくすぐったさではなく、手の動きの官能に動けなくなっている。


「もう止めろ!理由は知らないが、お前の触り方は目の毒だ」


 エアテールが、アリテのことを止めた。自分のやったことで被害者が出ているとは思わないせいもあって、アリテはきょとんとしている。


「私は極めて健全なつもりですよ。そうですよね、ユッカ?」


 不意に同意を求められて、ユッカは戸惑ってしまった。答えるのが恥ずかしい。


 辺りをきょろきょろして助けを求めたが、誰も助けてくれない。誰もが顔をそらすので、ユッカは泣き出しそうになってしまう。


「えっ、どうして涙ぐむのですか?私が、何かを悪いことをしたんですか……」


 アリテまで、おろおろとしはじめてしまった。


 その様子を見ていたエアテールは、大きなため息をつく。


「十五歳のユッカには刺激が強すぎたんだな」


 しょうがないとエアテールは言うが、アリテとしては納得がいかない。放っておかれたアナは、もっと納得がいかない。


「おい。さんざん人の身体を触っておいて、無視はないんじゃないのか……」


 アナの言葉に思い出したとばかりに、アリテは手を叩く。その反応に、アリの口元は引きつっていた。


「なんだよ。この超絶なマイペース野郎は」


 アリテに振り回されたアナは、苛立っているようだ。ユッカは涙をぬぐいながら、今だけはアナに同意する。


 物知りで頭の回転が早いアリテだが、性格はマイペースで我儘である。人に物を投げる時点で、それは察せられるであろう。


 だからこそ、アナは油断していたのだろう。


 アリテをあなどっていたのだ。


「あなたは、冒険者ではありませんね」


 アリテの言葉は、その場にいた全員を騒然とさせた。なかでも一番驚いているのは女将である。冒険譚が好きな彼女は、アナの異国の話を信じていたのだから。


「アナは、服を着込んで体格を誤魔化しています。冒険者の人は筋肉隆々の人が多いでしょう。普通の人間は、冒険者を名乗ると体格からして違和感が出てしまうんです」


 冒険者は危険な仕事なので、たしかに筋肉質な者が多い。年若いユッカでさえ、同年代の少年と比べれば筋肉質だ。そのなかで普通の人間が冒険者を名乗れば、たしかに体格からして違和感が付きまとうであろう。


「ユッカ、アナに触ってみてください」


 話を振られたユッカが反応する前に、アナは逃げ出そうとした。だが、他の冒険者たちが逃げ出そうとするアナを拘束する。やはり、集められた冒険者たちは苛立っていたのだろう。アナを拘束する手は、ずいぶんと荒っぽい。


 その光景に、ユッカは危険を感じた。


 アリテが真実を明らかにしたときに、アナがどんな目にあわされるのかが分からなかったからだ。


「本当だ。こいつ、そうとう着込んでいるぞ!」


 多数の冒険者たちが、アナの体格を服の上から確認する。そのうち、服をひん剥かれてしまった。


「あ……すごい。偽物の筋肉だ」


 思わずユッカは、呟いた。


 それぐらいに衝撃的な光景だったのである。


 服の下から出てきたのは、人間の腹筋を模したハリボテであった。木で骨組みを作って、紙を何枚も貼り重ねて作ったのだろうか。丁寧に、そして丈夫に作り込まれたハリボテはもはや劇団の小道具のような精密さであった。


 ここまでの準備は、アリテも考えていなかったらしい。彼も絶句している。


「丁寧に作り込まれていますね。……これって、自作なんですか?どういう手順で作ったんですかね。よかったら、作り方を教えてもらえませんか?」


 修繕師としては、そこが気になってしまうらしい。目を輝かせてハリボテを観察しているアリテの頭からは、アナに関する話がすっかり抜けているように思われた。


 アリテの興味が脇道にそれていたので、ユッカが「剣は、どこにあるんだよ」と聞いたことで軌道修正された。


「皆さん、ギルメリングをご存知ですか?」

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