第9話ドレスは母から娘へ


 次の日、女性の使用人を引き連れた少女が店にやってきた。


 彼女こそ、ルーレンの妹であるステリアである。豊かな金髪を波打たせて、エメラルドの瞳をキラキラとさせていた。十七歳という年齢のわりには幼い外見であるが、これでも兄を手伝う切れ者らしい。


「お預けした母のドレスを引き取りに来たわよ。もう、なおっているわよね。お母様の勝負服」


 ステリアの前に、アリテは修理を終えたドレスを拡げる。緑色のドレスは偶然にも娘のステリアの瞳と同色で、似合わないわけがないという雰囲気だった。


 ステリアも新しい姿になったドレスを気に入ったらしい。自分の身体に当ててみて、楽しそうに鼻歌を歌っている。


「お渡しする前に、これを。ドレスの裾に入っていたものです」


 アリテは、台の上に五枚の金貨を置いた。それを見たステリアには、驚いた様子はない。御付きの女性の使用人は腰を抜かしていたが。


「お母様の若い時代は、ダンスで裾がひるがえるのがはしたないと言われていたわ。だから、裾にコインを入れていたの」


 そのように、ステリアは語った。


 だが、ステリアだってドレスに金貨を入れるというのはおかしいと分かっているだろう。


 ドレスの裾に入れるのは、豊かな貴族であっても銅貨のはずだ。銀貨では酸化が早く、黒ずみでドレスを汚す可能性がある。だからこその銅貨なのだ。そして、金貨では価値が高すぎる。


「お母様は何かがあったら、これを着て逃げなさいとは言っていたけれども……。まさか、金貨が入っているだなんて」


 ステリアは、自分の母親から金貨のヒントをもらっていたらしい。だからこそ、彼女は冷静でいられたのだ。


 有事の際にドレス一枚で逃げ出したとしても、金貨が五枚も入っていたら人生をやりなおせる。


 ユッカは、アリテが言っていた『金貨の意味』について考えてみた。いざというときには人生をやり直せるというのが、金貨の意味なのだろうか。


「年頃になった娘に、このドレスを譲った理由……。そのわけをステリア様なら、分かっているのでしょう?」


 アリテの視線に、ステリアは押し黙った。その様子を見た女性の使用人が「お嬢様……」と声をかける。ステリアは、降参とばかりに肩を下した。


「分かったわよ。金貨を盗まなかった褒美として、あなたと私で答え合わせをしましょう。勝負服っていうから顔合わせに着ていこうと思ったのに、とんでもない修繕師に仕事を頼んでしまったわ」


 ステリアは、台の上に乗せられた金貨を一枚だけ取った。


「これは、逃げるための資金。お母様は、駆け落ちをしようとしたけれども失敗したのね」


 ドレスに金貨を隠した理由は、そこしか隠せる場所がないからだ。そして、金を隠したのは新しい生活の必要になるから。


 ユッカは目を見開いたが、改めて考えれば世間知らずの娘の逃走資金だと思えば金貨を五枚もドレスに仕込んでいたというのは納得がいく。そして、なにがあっても貴婦人のドレスの裾を調べるような不届き者はいないであろう。


「金貨の意味って……。そうか普通に考えれば資金だもんな。何の資金に使いたかったのかを考えるべきだったのか」


 ユッカは納得すると同時に、緑色のドレスを着た籠の中の鳥を見たような気がした。秘密の恋を成就させるために金貨をドレスに縫い付けて、手と手をとって若い恋人たちは逃げようとしたのである。


 しかし、彼らは逃げることが出来なかった。


 何があったのかは分からないが逃避行は未然に防がれて、ステリアの母親は親が決めた相手と結婚したのである。そして、ステリアを産んだのだ。


「お母様は、自分の意志に反した縁談が来たら逃げてしまいなさいと伝えたかったのね。そんなことは言える立場ではないのに」

 

 普通ならば、娘の縁談をまとめるのに精をだすのは女主人だ。しかし、兄のルーレンがステリアの縁談をまとめるのに奮闘しているようであった。母親は、もしかしたらアリテの結婚に前向きではないのかもしれない。


「私は兄様を手伝いたい。だから、その条件を飲んでくれるような人となら一緒になっていいの。それが、結婚に求める唯一の条件。これって、ただの我儘かしら?」


 アリテは、首を横に振った。


「叶うか叶わないかはともかく、人生の一大事には必ず人は何かを思います」


 答えているようで、答えてはいない。


 アリテの言葉は、そういう返答だった。他者の選択には、手も口も出さないと言いたげな態度である。ステリアは、そんなアリテの気持ちを汲み取ってくれた。


「人に歴史ありね……。このドレスのことは、お母様には言わないわ。それでも、ひっそりと継承はさせてもらう」


 ステリアは、緑のドレスを掻き抱いた。


「私も逃げるチャンスだけはもらえたのね。もっとも、私は気に入らなかったら正面から断ってやるけど」



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