鶴野の恩返し

長多 良

鶴野の恩返し

「どうして会社のトイレットペーパーを全部、

 皇室献上品の高級な奴にすり替えたりしたんだ?」


 牧山がそう問いかけると、目の前に座る部下、新人の鶴野は笑顔で、

 つまり、自分が叱られている、とは全く思っていない様子で答えた。


「トイレが気持ちいいとみんなの仕事が捗って助かると思って」


「そうだな。確かにすごく気持ちよかった。トイレに行った人みんな、トイレットペーパーの話をしていたし、いい気分で仕事したんで効率は上がった気がする・・・。

 いや、そういうことじゃなくてだな」


 牧山はトイレットペーパーの感触を思い出してつい同意してしまったが、

 それは素も半分だが、部下の発言にはまず同意、共感から入るべしという、コンプライアンス研修で学んだ手法を意識した部分も半分ある。


 そして、共感から入ったあとで、優しく相手を軌道修正してあげるのがいいらしい。


「君が善意でやっているのは分かるけど、会社の備品を個人のお金から出すのはまずいんだよ。会社の備品は会社のお金で買わないと」


 社会人として、おそらく至極まっとうなことを言った後で、

 それに加えて、どうしても聞かずにおれないことを口に出した。


「どうして何度言ってもこういうことをするんだ?」


「私、トイレットペーパーを取り換えたのは初めてですよ?」


 鶴野は心底驚いたという様子で抗弁した。


「確かにトイレットペーパーは初めてだ。

 その前はオフィスのボールペンを全部万年筆に変えたし、

 その前は消臭剤をティファニーの香水に変えていた。

 その前は皆のPCのモニターにブルーライトカットのシートを貼り付けていた。

 全部自腹で」


 うんざりした顔で指折り数え上げた。

 他にもあるが、長くなるのでそこで止めた。


 鶴野は、確かに基本的に一度言われたことは2度とやらない。

 その代わり、あれやこれや別のやり方で自腹を切ってくる。


 それとは別に、何度言ってもやめないこともある。


「あと、勤怠切った後にコッソリ家でサービス残業するのはやめてくれって、

 これは本当に何度も言ってるだろう」


 鶴野はそれを聞いて、初めて声を上げた。


「そんな!あれほどPCの作業履歴は見ないでくださいといったのに!」


「いや、会社には見る権利があるんだよ!お前みたいに仕事しすぎて倒れられたら大問題なの!」


「でもいっぱい仕事して、どんどん作業が進むほうが、先輩も会社も助かりますよね?」


「絶対だめだよ!昔はサービス残業とかよくあったみたいだけど、今はもう労働基準法とかコンプライアンスとかで、サービス残業させてることを知られたら大問題なんだ」


「でも私は全然平気ですよ」


「いやいや、お前どう見ても日に日にやつれていってるから、絶対まずいって!」


 毎日サービス残業で長時間働いた上に、会社の備品を自腹であれだけ買えば、金欠と過労でやつれていくのは当然のことと言える。


「とにかくもう、頼むから変なことはしないでくれよ・・・」


「・・・わかりました。すいません」


 鶴野は今度は不満を顔には出さなかった。

 ただ、本当に善意でやっているらしく大きく落ち込んでいた。


 しかし、これでやめてくれるならそれで解決なのだ。


「分かってくれたらいいよ。

 お前は普通に仕事してても優秀なんだから、余計な事さえしなけりゃいいから」


 そのようにフォローを入れて、牧山は部屋を出た。


 ◆


「おう、牧山。例の後輩の面談だったんだろ?どうだった?」


 休憩室で休んでいると上司が入ってきた。


「お疲れ様です。さっき終わりました」


 牧山は一息ついてから続けた。


「さすがにもう大丈夫だと思います。

 どうにも本人はズレたところがある感じですが・・・」


 実際のところまだ心配ではあるが、こう言うしかない。


「変なヤツだよな。仕事自体はちゃんとできるっていうけど。

 いわゆるZ世代ってやつ?」


「うーん、でもZ世代って、残業嫌いとか飲み会嫌いとか、そういう感じでしょう?

 鶴野は逆にコッソリ残業するようなヤツなんで、違うんじゃないですか?」


「いやいや」


 上司はコーヒーを一口飲んで、少しニヤニヤしながら、


「最近は逆に、上司が優しすぎて叱ってくれないとか、残業が少なすぎるとかいう理由で、自分が成長できない!って不満を持つ若手もいるらしいぞ」


(そうは言ってもトイレットペーパーを勝手に変えたりしないでしょう)


 口に出すと話が長くなりそうなので、牧山はあいまいに「はぁ」とだけ言って苦笑した。


 ようするにこの上司は、トンチキな部下に苦労する牧山を面白がっているのだろう。


「まあ、もう大丈夫ならいいけど、これ以上騒ぎを起こさせるなよ。

 今月は費用調整で忙しいからな」


 そう言いながら休憩室から出ていく上司を見送って、牧山はため息をついた。


 ◆


「・・・どうしてあんなことをやったんだ?」


 牧山は1週間前と同じ部屋で、一週間前より苦々しい顔で鶴野に問いかけた。


 鶴野は、さすがに今度は「何のこと?」とはいかないらしく、居心地の悪そうな顔をしていた。黙っているので牧山が続けた。


「なんで社食のバイキングに勝手に大量のから揚げを置いたりしたんだ?」


 自分で持ってきたから揚げを、社食バイキングの一品であるかのように紛れ込ませたのだ。


「・・・から揚げは、あればあるほど幸せになれると思って・・・。

 うちの社食、揚げ物がほとんど出ないですし」


 確かに我が社は、最近健康志向で揚げ物は出ない。

 特に若い社員はカロリーに飢えていたのだろう。

 鶴野のから揚げが絶品だったこともあり、から揚げは飛ぶように食べられていったのだが。


「社食で個人が持ってきた食べ物を大勢の人に食べさせちゃだめだろ・・・。

 衛生管理とかそういう方向で・・・・」


 そもそもどうやってあんなに大量に持ってきたんだ。


「総務と社食のおじちゃん達からメチャクチャ怒られたんだ。

 もし食中毒でも起こしていたら本当に取り返しがつかないぞ」


 鶴野も流石に理解しているらしく、言葉もなくうなだれている。


「あと、コッソリ残業するのは本当にやめてくれ」


「あれほどPCの作業履歴は見ないでくださいといったじゃないですか!」


 鶴野は急に非難がましく顔を上げた。


「この期に及んで、なんでそこだけはこっちを責めるんだよ!」


 ついに牧山は声を上げてしまった。

 ・・・そんなに強く言ったつもりはないが。

 鶴野はショックを受けたようでガックリとうなだれた。


 しばらく沈黙が続き、気まずくなって、牧山はまた語勢を抑えて問いかけた。


「なあ鶴野。なんでこんなことするんだ?いくら何でもおかしなことしてるって、自分でもわかってるだろ?あんなに大量のから揚げをわざわざ・・・」


 そこまで言って、牧山はふと何かを思い出しそうになった。

 何だっただろうか。そういえば、から揚げを食べた時にも何かを感じていた・・・。


 ・・・味だ。


 あのから揚げの味、以前も食べたことがあったはずだ。


 あれは確か・・・。


 牧山は顔を上げて鶴野を見る。


「鶴野、お前まさか、あの時のから揚げ屋か・・・?」


 鶴野はその言葉に驚き顔を上げ、


「ついに・・・気づいてしまったんですね」


 観念したようにこちらを見つめた。


「そうです、

 私はあの時に助けていただいた鶴野です・・・」


 ◆


 あれは数年前、牧山がまだ新人だったころ。


 たまたま入った揚げ屋さんの店員が、ガラの悪い客に絡まれていた時に、助けてあげたことがあった。

 と言っても、「ちょっと、迷惑ですよ」と言っただけで相手は引き下がったので、

 大層なことではないと思っていたのだが。


 店員―――バイトのようだったが、いたく感激したようで、涙を流さんばかりにお礼を言い続けていた。


 名前を聞かれたが、面倒なので何も言わずに買い物だけして店を出た。


 ◆


「あの時、牧山さんがかけていた社員証で、会社名とお名前が分かったんです。

 それでどうしても恩返ししたくって」


「え、ちょっと待って、じゃあ、その恩返しのためにわざわざウチの会社に入ったの?」


「はい。ちょうど就活中でしたし。

 こんな立派な人がいるんだ!って感動して!」


 鶴野は思い出してるうちに興奮してきたようだ。


 一方牧山はドン引きしていた。


 そう言えば、鶴野がうちの部署に来るのを希望していた、というのは聞いていたが、それも、自分と同じ部署になれるように、ということになる。


 牧山の様子を見て、鶴野はすぐに冷静さを取り戻したようだ。


「あ、す、すいません・・・。急にこんなこと言われたらびっくりしちゃいますよね」


 一応そういう意識はあるようだ。

 だから今まで隠れてああいうことをやっていたのだろう。


 鶴野が謝ってきたので、こちらもきつく当たるわけにはいかなくなった。


「い、いや、そんなふうに感謝してくれるなら、助けてよかったよ。

 でもそこまでしてもらうほど凄いことしたかな?」


 そこまでしなくていいよ、という意味で言ったのだが。

 鶴野は違う受け取り方をしたようだ。


「とんでもない!本当に立派です。

 それまで私の周りには、悪いことでも見て見ぬふりをするような人しかいませんでした。

 でも先輩は違いました!先輩は私の憧れなんです!」


「そ、そうか」


 本当にそんな立派な気持ちでやったわけじゃないのだが、そこを議論しても平行線な気がする。

 それに、もうこの話は早く終わらせたかった。


「じゃあ、そう思ってるならなおさら、俺の言うことは聞いてくれ。

 コッソリ残業したり、会社の備品を自腹で出したりするのは、ルールを破ってることになるから、それはよくないだろ?」


 そう言われて鶴野はハッとして今までの勢いが止まった。


「確かに・・・そうですね。

 先輩に憧れてこの会社に入ったのに、恩返しすることばかりに夢中で、先輩の考えと違うことをしていたかもしれません・・・」


 話の流れがようやく変わったので、牧山はたたみかけた。


「分かってくれたらいいよ。

 それに、恩返しっていっても、それで鶴野が自分を犠牲にするようなことをしちゃだめだよ。

 鶴野が倒れたりしたら、そっちの方が心配だし。

 鶴野は仕事はしっかりしてくれるんだから、それだけで恩返しになってるよ」


 倒れて仕事を休まれる方が迷惑だ。


「まあ、これからは昔のことなんか気にしなくていいから、変なことはせずに、仕事だけきっちりやっていこう!」


「はい、ありがとうございます」


 鶴野、急な価値観の変化に戸惑っているのか、少し元気がないように見えたが、しかし返事は笑顔でしっかりとしてくれた。


 これでようやく一安心だ。

 牧山は胸を撫でおろした。


 ◆


 次の日、鶴野は来なかった。


 退職する旨が書かれたメールと、仕事の引継ぎ資料が残されていた。


 メールにはこんなことが書かれていた


 -------------

 牧山先輩


 今までありがとうございました。


 私は今まで、恩返しとは、自分のことを犠牲にして相手に尽くす。そこまでして初めて感謝の気持ちを表せると考えていました。


 しかし、昨日先輩と話して、それが間違いだと気づきました。


 今までご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。


 そして、改めて正しく生きることの大切さを思い出させていただきました。


 先輩はこれからもこの会社にいていいと言ってくださいましたが、やはりルールを破った私がいてはご迷惑をおかけしてしまうので、責任を取って会社を辞めます。


 最後に、引継ぎ資料を作るために会社の情報を整理していたら、不正会計の証拠を見つけました。

 ルールを大切にする先輩にとっても看過できないことだと思いますので、しかるべき機関に連絡しておきました。


 これで先輩にとっても安心だと思います。


 これが私の最後の恩返しです。


 鶴野

 -------------


 とにかく社内は大騒ぎだ。


 上司が顔を真っ赤にして鶴野を探させているが、誰も連絡がつかない。


「不正会計」とやらには牧山も上司もさらにその上も、色んな人が関わっていた。

 あんな書き方をされたので牧山が鶴野を唆したと思って、牧山に何とかしろと詰め寄っている。


 牧山もどうしたらいいかわからない。

 とにかく鶴野に電話をかけ続けるしかない。


「鶴野!どうか戻ってきてくれ!鶴野―!」



 おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鶴野の恩返し 長多 良 @nishimiyano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ