第32話 告白

 指折り数えて待ちわびた、奈々子ちゃんと飲みに行く日。

 俺は超高速で仕事を片付け、待ち合わせ時間の10分前に予約しておいたタイ料理屋に入店した。内装がいやらしくない程度にオシャレで、味は本格的で、そのうえ値段がお手頃という、非常に使い勝手の良いお店だ。実は何度かデートに使ったことがあり、毎回それなりに好評を得ている。

だいぶ余裕をもって着いたつもりだったが、半個室のソファ席に通されると、すでに奈々子ちゃんが席に座って待っていた。


「先輩、お疲れ様です」

「うわー待たせちゃったね、ごめん!」


 慌てて謝りながら向かいの席に腰を下ろすと、奈々子ちゃんは「とんでもないです」とブンブン首を振った。


「私が早く来すぎちゃったんです。…ちょっと緊張しちゃって」


 そう言って恥ずかしそうに笑う奈々子ちゃんの笑顔に、俺はもう完全に胸を射抜かれた。間違いない、間違いないぞ、これは。この甘酸っぱい胸の疼きは……。

 仕事帰りの奈々子ちゃんは、タイトスカートにブラウス、カーディガンというだいぶ地味な服装で、それがまた一層彼女の清楚な可愛らしさを強調している気がして、胸をくすぐる。ほとんど化粧はしてなさそうなのに、なんでこんなにキラキラして見えるんだろう。


ビールで乾杯したあと、パッタイやらトムヤムクンやらを食べつつ、俺たちは学生時代の思い出話でひとしきり盛り上がった。当初こそかなり緊張していた様子の奈々子ちゃんだが、俺がペラペラとサークル時代のバカ話を喋り倒すうちに、徐々に警戒心が消えていったようで、打ち解けた笑顔を見せてくれるようになった。

やはりサークルの仲間っていうのは貴重だ。青春時代の共通の思い出があるというだけで、相手をものすごく身近な存在に感じる。


 しかも嬉しい誤算で、奈々子ちゃんは意外にも酒豪だった。


「奈々子ちゃんって、こんなにお酒強かったんだね。そんなイメージ全然なかった」


 お互い5杯くらいビールを飲み終わったところで、半ば感心しながらそう言うと、奈々子ちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑った。


「弱そうに見られるんですけど、けっこういけるクチです」

「マジかぁ。大学のときからこんなに飲んでたっけ?」

「実は端っこのほうで、結構ガンガン飲んでました」

「くっそー、知ってたらもっと誘ってたのに。学生の時から一緒に飲みたかったなぁ」


 思わずそうつぶやくと、奈々子ちゃんはちょっと意外そうな顔をした。


「学生のころは、先輩はすごく遠い存在でしたから…。まさかこんな風に飲む機会がくるなんて、まったく想像してなかったです」


――だよね。俺も、全然想像してなかった。

とにかく、過去を悔やんでも仕方ない。俺は今、奈々子ちゃんと仲良くなりたいんだ。

気を取り直して、俺はリサーチモードに入り、テーブルに身を乗り出す。


「ちなみに、奈々子ちゃんの一番好きなお酒は?」

「最近ウイスキーにハマッてます。アイラモルトとか」

「マジで!?俺もイギリスで旨さに目覚めてさぁ!」

「そのお話、聞きたかったんです。蒸留所いかれました?」


 思いがけず奈々子ちゃんと共通の話題を発見し、俺はだいぶ浮かれていたんだと思う。

 ひとしきりイングランドやアイルランドの蒸留所を巡った話を披露し、お互いおススメのウイスキーを紹介しあったあたりで、いつもの調子でついこう言ってしまった。


「良かったら、このあとうちに来て飲まない?カリラの12年も、アードベッグの10年もあるよ」


 そう言ってから、ハッとした。――おっと、家に誘うのはまずかったんじゃないか!?

 いくら同じサークルの後輩とはいえ、会ったのは5年ぶりくらいだし、何よりサシ飲みは初めてだ。合コンで知り合ったそのへんの子をノリで誘うのとはワケが違う。

 慌てて訂正しようとしたら、奈々子ちゃんはまったく何のためらいもなく、にっこりと頷いていた。


「いいんですか?ぜひアードベッグ飲んでみたいです!」

 

 あまりにも、無邪気な笑顔。

 ――これは、どう受け取ったらいいんだ…?

 頭のどこかで焦る気持ちがありつつ、しかし酔っぱらって気が大きくなっていたのか、俺は無意識のうちにテーブルの伝票を手に取っていた。


「よーし、じゃあさっそく行こうぜ!」

「はい!」


――いやいや、俺、ほんとにどうすんだよ。



**********************************

 


そして20分後。

俺の家のソファに、奈々子ちゃんがちょこんと座っている、という夢のような状況が実現した。

俺は内心めちゃくちゃ戸惑いつつ、「ひとまず水と氷用意するわ~」と平然を装ってキッチンに入った。冷蔵庫からミネラルウォーターを注ぎながら、そっと奈々子ちゃんの様子を伺うと、きょろきょろと興味深そうに部屋の中を見回している。


「さすが先輩、おしゃれなおうちですね」

「そーかな?アハハ…」


 ちなみに、全女子に警告したいが、部屋が妙にオシャレな独身男は絶対に信用しちゃいけないぞ!!女の子を連れ込むためだけにインテリアそろえてる奴が8割だからな!

 もちろん俺も女子ウケだけを考えて、都会的なソファやリビングボードをそれなりのブランドでそろえているが、実際は家具なんてどーでもいいと思っている。下手したらミカン箱と座布団だけで生活できるぞ。


「これが俺の秘蔵のカリラちゃんです」


 水や氷と一緒に、ウイスキーのボトルを持って彼女の元に向かうと、奈々子ちゃんは目を輝かせて俺を見上げた。


「わぁ!ありがとうございます」


――信頼100%の笑顔じゃねぇか。

 どうも俺は、奈々子ちゃんの警戒心を解きたいあまり、“人畜無害モード”を展開しすぎたらしい。多少は意識してもらうように“オス”を出していくべきか、しかしこの平和な雰囲気を壊すのも怖いし……と、ぐるぐるする頭を抱えながら、奈々子ちゃんの隣に座ってショットグラスにウイスキーを注ぐ。

すぐ隣にいる奈々子ちゃんからは、石鹸のような、優しい香りがふんわりと漂ってきて、自然と脈拍が早くなる。

――大丈夫か、大丈夫か俺!?


 グラスを合わせて乾杯し、ぐいっとグラスをあおった奈々子ちゃんが、めちゃくちゃ良い笑顔で俺を見つめる。


「すごく美味しいです!カリラ飲みやすいですね」


 ああ、やめてくれ、そんなキラキラした目で俺を見ないでくれ……。


「カリラはクセ強くなくて、でもアイラらしい味でうまいよね」

「いいなぁ、私も現地で蒸留所回ってみたいです」

「――海外に住むのは、抵抗ない?」


 思わずそう聞くと、奈々子ちゃんは嬉しそうにうなずいた。


「もちろんです。学生時代、短期でしたけどカナダに留学したのは本当に良い経験になりましたし…。日本語教師の資格も持ってるので、いずれ海外で日本語教えながら生活してみたいですね」


 その瞬間、さぁーっと俺の脳裏に、奈々子ちゃんとの未来の妄想が浮かんだ。

 今後も俺はいろんな国に駐在するだろう。そこに奈々子ちゃんも一緒についてきてくれたら…。現地で日本語教師の仕事をしつつ、家で俺のことを待っていてくれたら……。

 ずっと探していた最後の1ピースが、パチリとはまった気がした。


「俺、どうかな?」


 ほぼ無意識にそう言っていた。「え?」と奈々子ちゃんが不思議そうに首をかしげる。

 ムードも手順もクソもない、ひどい告白だ。完全に勢い任せだが、このタイミングしかなかった気もする。俺は妙に冷静な気分で、彼女に向き直った。


「俺のこと、男として全然ナシってわけじゃなければ、付き合ってほしい」


 目の前の奈々子ちゃんの顔が、一瞬固まって、そしてぱぁっと赤くなっていく。


「え、え、えっと……」

「急すぎると思うかもしれないけど、奈々子ちゃんが好きだ」


 ――できれば結婚前提で、という言葉は飲み込む。あんまり先走ったことを言うと、逆に軽く聞こえそうだよな。

 奈々子ちゃんは真っ赤になって、言葉を探すように視線を泳がせている。明らかに困っている様子で、やっぱり急すぎたみたいだ。ざぁーっと失望が広がっていくが、すぐに気を取り直す。

大丈夫、大丈夫、落ち着け俺。まだチャンスはある。これからゆっくり距離を縮めていけばいい。


「急にマジトーンで告白されてビビったよな。返事は全然急がないし、ゆっくり考えてくれると嬉しい。今日は送っていくよ」


 精一杯の笑顔でそう言って、ソファから立ち上がろうとした時だった。奈々子ちゃんの手が、俺のシャツの裾を掴んだ。

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