第22話 マッキー

CM撮影に先立って、マッキーとの食事会が行われた。

会場は芸能人がよくお忍びで訪れるという個室のダイニングバー。これまでもイメージキャラクターに選ばれたタレントと社長の顔合わせなどに、何度か使用している店だ。

私と社長は先について、個室の椅子に座ってマッキーとマネージャーさんを待っていた。


「あれだけ言ったのに、スーツで来てくださいって」


私は横目で社長を睨む。結局、社長は今日もよれよれのセーターにジーンズというカジュアルな服装だ。

社長は不服そうに口をとがらせる。


「一応気を使ってきたつもりなんだけど」

「どこかです?」

「パーカーじゃなくて、セーター着てきただろ」


自信満々にそう言われて、私は思わずガクッと肩を落とした。


「そのよれよれのセーターじゃ、パーカーとそう変わらないですよ!」

「ちゃんと柔軟剤入れて洗ったんだけどなぁ」

「奥様にアイロンがけしてもらったほうがいいですよ」


そう言って、自分で自分の言葉に傷ついた。

──そして、こんなことくらいで傷ついている自分に驚いた。

社長が少し気まずそうな顔をしているのが、見なくてもわかる。


そのとき、個室のドアが相手マネージャーの林さんが入室してきた。


「どうも、お待たせしました」


私と社長は、あわてて立ち上がる。


「こちらこそ、お時間いただきありがとうございます」

「どうぞおかけください」


そして林さんのうしろから、目深にキャップをかぶった男性が入ってくる。

すらりと背が高く、明らかに一般人とは違う、タレント特有のオーラをまとっている。私と社長の正面に立つと、彼はキャップをとって微笑んだ。


「マッキーです。よろしくお願いします」


──さすが超人気アイドル……。


サラサラの茶髪と、キラキラ光る瞳、整った顔立ちが眩しい。仕事柄、芸能人は見慣れているつもりだったが、マッキーの放つオーラはすさまじかった。

もし仕事じゃなかったら、私も桃花みたいに、悲鳴を上げて彼に見とれていただろう。


私は平静を装って、頭を下げる。


「このたびは、弊社のCMキャラクターをお引き受けくださり、本当にありがとうございます」

「そんな、こちらこそありがとうございます!」


マッキーが爽やかな笑顔を浮かべる。


「僕、実際に卒論を書くときに御社のアプリを使わせていただいたんですよ」

「え、そうなんですか?」


それまで無口だった社長が、ぱっと目を輝かせる。──この人は本当に、わかりやすい男なのだ。

自分の会社のプロダクトへの愛がめちゃくちゃ強い。だから、自社アプリを使ってくれているときいて、目の色が変わった。


「うれしいなぁ。使い勝手はどうでした?」

「テーマ探しから使わせてもらって、本当に助かりました。このアプリがなかったら、僕、いまだに留年してると思います」

「テーマ探しから!うれしいなぁ」

「おすすめの参考文献までリコメンドしてくれるじゃないですか。あの機能最高っす」


人見知りの社長が、初対面の相手、しかも年下のアイドルに心を開いて話しているのを見て、私は思わず感心してしまった。二人の会話を聞いていると、マッキーがうまく会話をつないで、社長の話を引き出してくれているのがわかる。


──マッキーって、ものすごく感じのいい子だな。


確か、大学もアイドルの仕事をしながら通信課程に通っていたはずだ。努力家で、頭の良い子なのだと思う。


社長とマッキーがアプリの仕様で盛り上がっている間に、私はマネージャーの林さんとスケジュールなどの細かい話を進めた。


「確か、最近著書も出版されたんですよね? 私の知人の司書が、図書館で専用コーナー作っておすすめしているそうです」


社交辞令のつもりでそう言うと、マッキーが嬉しそうにこちらに視線を向けた。


「本当ですか? もしよろしければ、サイン本を寄贈させてください!」

「え……いいんですか?」

「もちろんです!」


マッキーはにっこり微笑んで、林さんから持ち歩いているらしい著作を3冊出してもらうと、さらさらとサインを書いてくれた。

そして、舞の目をまっすぐに見つめて、本を差し出してくる。


「永森さんも、よかったらぜひ読んでみてください」

「あ、ありがとうございます…」


正直、ちょっと驚いた。これまでたくさんタレントや有名人と仕事をしてきたけれど、下っ端のスタッフの名前をおぼえてくれる人は少ない。


──さすが超人気アイドル。裏の顔もぬかりないわね……。


これは熱狂的なファンが多いのもうなずける。

私は感心しつつ、桃花に「完璧なアイドルだった」と教えてあげよう、と思った。



===



食事会は終始和やかなムードで進み、思ったよりも早い時間にお開きになった。

タレントの中には、接待だからとやたらに長時間居座ったり、“二軒目”を要求する人も多いが、マッキーは最後までとても感じが良く、にこやかに挨拶をして去っていった。


「めっちゃ良い子だったね、マッキー」


めったに初対面の相手を褒めることのない社長が、感心したように言う。


「まだ24歳とかでしょ? 俺ファンになっちゃったよ」

「アプリも使ってくれてますしね」

「かなり良いCMが作れそうだな」


社長が嬉しそうに笑う。社長が心底嬉しそうに笑う時は、いつも八重歯がのぞいて、少年みたいな無邪気な顔になる。──こういう顔って反則だと思う。


「それじゃ、私もここで失礼しますね」


社長から顔を逸らし、帰り支度を始めると、「ええ~マジかよ」と彼は子供のように口をとがらせた。


「もうちょっと飲んでいこうぜ」


どういうつもりで誘っているんだろう、この男は。

一瞬、頭に血が上って頬が熱くなった。

だけど、すぐに心をしずめる。落ち着け、落ち着け。

この男にデリカシーなどあったためしはない。今だって、思ったよりマッキーとの顔合わせが楽しくて、テンションが上がっちゃったから、ついで飲んで帰りたいだけなのだ。──相手は、誰でもいいくせに。


「私はお先に失礼しますね」


そっけなく言ってカバンと会計伝票を手にもつと、「あ、ちょっと」と社長の手が伝票に伸びてきた


「ここは俺が立て替えとくよ」


社長の骨ばった手が私の手の甲をかすって、私は反射的に手を引いた。

ぱさ、と伝票が床に落ちる。社長が、少し驚いた目でこちらを見ているのがわかって、おもわず頬が熱くなった。

私は慌てて平静を装い、床に落ちた伝票を拾う。


「大丈夫です!会社のカード預かってきてますから」


「あ……そっか」


頭上で社長がぽつりとつぶやく。──こんな日でもスニーカー履いてくるような男なのよ、こいつは。

私はなんとか呼吸を整えて伝票を掴み立ち上がると、にっこり微笑みかけた。


「それじゃ、失礼します」


そのまま社長に背を向けて個室のドアを開けようとしたときだった。


「ちょ、待てよ」


思いがけず腕を掴まれる。心臓が大きく跳ね、腕を振りほどこうと振り返ると──社長は、めちゃくちゃテンションの下がった顔をしていた。


「……なんです?」


「いや、俺、今人生で自分が一番言うはずないであろうセリフTOP3の一角を口にしてしまった……」

「……何の話です?」

「“ちょ、待てよ”って。言っちゃったよ。口がすべって」


よくモノマネ芸人のネタにされる有名な俳優のセリフを、素面で言ってしまったほうが相当ショックだったようだ。

私は内心ガクッとしながらも、シリアスなムードにならなかったことにどこかで少しホッとしつつ、苦笑した。


「はいはい。社長には似合いませんよ、二枚目のセリフは」

「だよなぁ。でも……さすがになかったことにするのがキツくなってきてさ」


ふっと、社長の目が真剣な色に染まる。

プライベートではめったに見ることのない、意思の強いまなざし。


「それって……」

「あの時のこと」


言葉少なに社長が言い、わたしはそれが何を指すのか、瞬時に理解してうつむいた。

まさか、社長のほうからその話を持ち出されるとは思ってもみなかったので、想定問答していなかった。

「えっと…」


パニック状態の私を前に、社長はちょっと困ったように笑ってみせる。


「困らせたいわけじゃねーんだ。でも……完全になかったことにされてるけど、俺はそんなのイヤなんだよ」


思いがけない言葉。全身から汗が噴き出る。

押し黙った私に向かって、社長は困ったように頭をかきながら言葉を続ける。


「あれは偶発的なアクシデントじゃなくて、俺としてはいろいろ理由があって、意思があってしたことだし……永森もそうだと思ってたから。次会った時はまったく何もありませんでした~って態度とられて、正直ショックだったよ、俺」


社長の言葉に、いちいち体が反応してしまいそうになる。私は強く拳を握り締めて、なんとか冷静さを保つよう自分に言い聞かせた。


「何言ってるんですか……既婚者のくせに」


そう、この男は既婚者なのだ。

だから恋なんて始まらないし、一夜の情事はあってはならない不祥事だった。だから、この話はここで終わり。


「……いや…それはそうなんだけど……」


社長は複雑そうに顔をしかめて、小さくため息をついた。そして、思い切ったように顔を上げる。


「あのさ、俺、ほんとは──」


「あーやっぱりここにありました!」


場違いな明るい声とともに、唐突にマッキーが個室へと入ってきて、私と社長は文字通り飛び上がった。


「あ、わ、わ、あ、マッキーさん……お忘れ物ですか?」


まったく何もごまかせていない気がするが、なんとか社会人の仮面を取り繕って、椅子の後ろあたりをゴソゴソさぐっているマッキーに声をかける。

マッキーは「はい、ありました!カードケース!」と可愛らしいキャラクターの形のパスケースを拾上げ、にっこりと微笑んで立ち上がった。

さっきより至近距離で見ているせいか、第一印象よりも背が高く、全身がっしりしている。ほのかにムスク系の香水が鼻をくすぐる。


「いやー、実はぼく、結構忘れっぽい人間で……あやうく家まで徒歩で帰るハメになるところでした」

「えーそれは大変じゃないですか! 普段はタクシーですよね?」

「これくらいの距離ならいつも電車使ってますよ」

「好感度高い!!」


回らない頭のまま、妙に高いテンションでマッキーと会話していると、社長が「それじゃ俺はそろそろ」と気まずそうに会釈した。


「あ、近藤社長、今日はありがとうございました!」

「撮影楽しみにしています。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いいたします!」


きれいな斜め45度のお辞儀したマッキーに見送られ、社長は私に軽く目くばせして、個室を出て行った。

私は社長の背中を見送ると──あらためて、冷や汗をかいてきた。


聞こえてたかな? 社長との、いかにも「不倫してました」的な会話。

いや、そのとおりではあるんだけど、そうではないというか……。

その場に立ちすくむ私に、マッキーがにっこりと笑いかけてくる。


「それじゃ、僕らも帰りますか?」

「あ、はい……」

「永森さんも電車ですよね」

「はい……」


なんとなくそのまま、マッキーと一緒に帰る流れになり、私たちは並んで店を出た。

人気絶頂のアイドルと二人で店を出るなんて、軽率と思われるかもしれないが、もともと広告代理店で働いていたので、こういったケースで写真を取られたり記事になったりすることはありえないことをよく知っている。

つまり、その場にいるのが“同じ業界人”であれば異性としてのスキャンダルは基本的に成立しないのだ。たまに新人の記者が「スクープ取りました!」と先走ることもあるが、週刊誌の編集長はメディア関係の人脈をよくわかっていて、「いや、同業者じゃねーか。キスかハグの写真がなければボツ!」となるわけである。


店の外に出ると、ビクッとするくらい風が冷たかった。確実に、冬が近づいてきている。

目深にキャップをかぶり、マスクをしたマッキーが、こちらを気遣ってくれる。


「永森さん、薄着じゃないですか? ぼくのマフラー貸しましょうか?」

「いえいえいえ、とんでもございません」

「ぼく、こう見えて雪国育ちなので、体丈夫なんですよ」


無邪気に笑うマッキーを見ると、心の奥底が癒される感覚が、なんとなくわかる。

これが現役アイドルの力か……。

それにしても、さっきの下衆な大人の会話は聞かれていなかったようで、本当によかった。

ほっと胸をなでおろしたときだった。


「で、永森さんって近藤社長と不倫してるんですか?」


ひゅっ、と喉がなる。

マッキーは、長いまつげにふちどられたキラキラと煌めく瞳で、じっと私を見つめている。


「……もしかして、私と社長の話……」


「聞こえちゃいました。ぶしつけな質問ですみません」


まったく悪びれずに、マッキーはぺこりと頭を下げた。

──さあ、どうする私。

あれは社内のフットサルチームの編成の相談ですよ~既婚者のくせに参加したがるから無理やりチームから外したんです!とか。あれは社長が独身手当を不正に受給しようとして税務署で大揉めしたことがあって、社内ではなかったことになってる話なんですよ~とか。


マッキーの大きな目がじっと真っすぐに私を見つめている。

いったいどう言い訳をしたものか散々悩んだ末、私は小さくため息をついた。


「……不倫と言っていいかわからないけど、一度だけ過ちを」

「そうなんですね」


素直な私の返答に、マッキーは言葉少なにうなずいて、それ以上は詮索してこなかった。

私はふぅと白い息を吐く。仕事相手に対して、もう少しうまくごまかすべきだったのかもしれない。だけど、明らかにマッキーは私よりも人生経験が豊富そうだ。ごまかせばごまかすほど自分の愚かさを見透かされそうで、私は正直に答えるしかなかった。


ふてくされたように「ちょ、待てよ」と言った社長の顔が浮かぶ。不謹慎だけど、思わず笑ってしまいそうになって、私はうつむいた。


マッキーが不思議そうにこちらを覗き込んでくる。


「いろいろあったみたいですけど──社長と永森さんって仲良いですよね」

「そうですね、仲悪いわけではないです、絶対」


苦笑してそう返すと、マッキーは黒い瞳をキラリと光らせた。


「永森さん、気を付けたほうがいいですよ」

「え?」

「不倫するならするで、もっとガード固めて、秘密は墓場まで持って行かないと」


マッキーがあまりに思いがけない言葉を、ニコニコと明るい口調で言ったので、私はその場で固まってしまった。


「え……と……?」


「最近はほんとコンプラも厳しいですしね。絶対に周囲に気取られないように、危機管理を徹底するのは不倫のマナーじゃないですか」


「ふ、ふりんのマナー……」


「あ、ぼくはやったことないですよ。一般論として」


相変わらずマッキーはにこにこと微笑んでいて、発言に悪意はないようだ。

美鈴もそうだけど──最近の若い子の考えることって、よくわからない。


「とはいえ、ぼくは不倫否定派ですけどね」

「そりゃ、私だって肯定派ではないけど……」

「当事者の言葉に説得力はないですよ」


マッキーはアハハ、とおかしそうに笑う。


「当事者ってわけじゃ……いや、まぁ、当事者ですね、うん」


言い訳しようとしたが、やめておいた。

徹夜明けだったとか、既婚者とは知らなかったとか、私が何を言おうが起こってしまったことは変わらない。

マッキーはおかしそうに眉をあげて私を見つめる。


「永森さんって、案外口下手なんですね」

「……まぁ、口がうまい方ではないかも」

「服装とかはバリバリ仕事できますって感じで武装してるのに」


ギャップやばいですね、と帽子の下の目がきらきら輝いて笑う。

──なんだか、似たようなことを社長からも言われた気がする。


つい顔が赤くなりそうになり、私は慌てて視線を逸らす。


「年上をからかって遊ぶのはやめなさい」

「遊んでませんよ。ぼくはね、不倫も浮気も別に悪いこととは思ってないです。ただ、自分とは無関係ってだけで」

「無関係?」


その言い方が引っかかって聞き返すと、「そうです」とマッキーは子供のように笑った。


「結局人は何を選ぶか、でしょ。僕は真っすぐな道しか選ばない。だから、永森さんみたいにふらふらしている人を見ると、他人事だけど心配になりますね」


「……それはどうも」



やや不機嫌にそう返すと、「怒らないでくださいよ」とマッキーが笑う。


「説教したいわけじゃないんです。ただ、純粋に心配なだけ」

「どこが心配なんです?」

「永森さん、正直すぎるから」


マッキーの瞳が、ゆっくりと私の目をとらえる。

やっぱり、さすがアイドルだけあって、目の力がすごい。うっかり、何もかもを肯定してしまいたくなる。

──危ない危ない、無意識のうちにファンクラブに入会してしまうところだった……。


私は慌てて自分をとりもどし、その後はあたりさわりのない会話を続けながら駅に向かって歩いた。大通りではイルミネーションがはじめっていて、キラキラと光の粒が眩しい。

何が悲しくて、こんなところを仕事相手のアイドルと二人で歩かなくちゃならないのか。

一方的に、隣を歩くマッキーに八つ当たりしたくなる。

だけど彼は、どこまでも完璧なアイドル”マッキー”だった。


改札の前で立ち止まったマッキーは、「それじゃここなんで」と深く頭を下げた。


「本日はありがとうございました」

「こちらこそ!良い作品を作りましょう」

「ぜひお願いいたします」


深々とお辞儀をしてから、ふと後頭部に彼の視線を感じて目を上げる。

すると、マッキーがたとえようもないほど優しい目で私を見つめていた。


「永森さんの馬鹿正直なところ、ぼくは好きですよ」


そう言い残すと、マッキーはぺこりと頭を下げて、駅の雑踏の中に消えていった。

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