第6話 ストーカー


 時計が17時に近づき、少しずつ図書館の利用者が帰宅しはじめた頃だった。


「すみません、おすすめの本を聞きたいんですけど」


 ふいに声をかけられて顔を上げると、信じられないことに、カウンターの向こう側に佐々木雄吾が立っていた。

 上質そうな白いポロシャツに細身のチノパンを履き、一見さわやかな好青年にしか見えないが、ふんぞり返った偉そうな態度はいかにも佐々木だ。


「……すみませんが、こちらは年収が低い庶民向けの図書館ですので、年収三千万以上の方は高級ホテルのコンシェルジュにでも聞いていただけますか?」


 内心の動揺を隠して低い声でそう返すと、佐々木はこらえきれないという表情で吹き出した。


「公立図書館の司書だって、いわば接客業だろ。もっと愛想よくできないのか?」

「ストーカーに愛想よくできるわけないでしょ? ここに何しにきたんです?」

「ストーカーじゃねぇよっ」


 隣のカウンターから、夏川さんがチラチラこちらの様子をうかがっているのがわかる。私は声をひそめて、彼をにらみつけた。


「とにかく、仕事中なんで迷惑です! 何か御用ですか?」

「昨日約束しただろ。次回はあんたがオゴるって」


 キョトンとした顔で言う佐々木に、私は思わずぽかんと口を開けてしまった。


「……確かにそんなこと言ったかもしないけど……お金を回収に来たとか?」

「何言ってんだ? 今日さっそくオゴり返してもらおうと思ってきただけだよ」


 佐々木はまったく悪びれず、さも当然のような態度をとっているので、一瞬そんな約束したっけ?と自問してしまったが、絶対に違う。


「そんな約束してませんよね?」

「善は急げだろ。てゆーか、俺、メッセージ送ったよね?」

「仕事中なので見てません」

「あ、ホントだ、既読ついてない」


 スマホをちらっと確認してから、まぁいいか、と佐々木は肩をすくめた。――いやいや、全然よくないんですけど。


「とにかく、仕事終わったらメシいこうぜ」

「お断りします」

「素直じゃねぇな、俺に誘われてうれしいくせに」


 ――はああぁぁ!?


 思わず大声が出そうになってしまい、私はぐっとこらえる。そんな私を見て、佐々木は勝ち誇ったように笑った。


「図書館、17時までだろ。外で待ってるから」

「ちょっ……」


 私の返事は聞かずに、さっと踵を返して佐々木は出て行ってしまった。

 怒りと混乱でワナワナと震えていると、隣のカウンターから興味津々という表情で夏川さんが身を乗り出してくる。


「ちょっと遠藤さん、今のイケメン誰なの? 彼氏?」

「まさか……赤の他人ですよ……」


 好奇心むき出しの夏川さんに問われ、私は笑顔を引きつらせながら否定した。しかし、ゴシップを何より愛する彼女が、こんなつまらない回答で納得するわけがない。夏川さんは爛々と目を光らせて、興奮に頬を赤くしている。


「俳優さんみたいなイケメンじゃないの。素敵な人ねぇ、本当に恋人じゃないの? あっ、ほらこっちを見てるわよ。手を振った!」


 キャーキャー騒ぐ夏川さんに閉口しつつ、うっかりガラスの扉の向こうに立っている佐々木のほうをチラッと見てしまった。すると、無駄にスタイルの良い立ち姿の佐々木が、いかにも勝ち誇った顔で手を振ってくる。


 ――いったい、何の魂胆? 宗教か投資セミナーの勧誘? それとも、恵理に何か強制された?


 何にしろ、私にとって何のメリットもなさそうだし、とんでもなく気が重いことには変わりがない。


「――今日、残業して書庫整理しようかなぁ」

「なに言ってるのよ、カレを待たせちゃ悪いでしょ」


 「すぐに閉館作業終わらせちゃいましょ!」と夏川さんがやる気満々で立ち上がる。

 窓の外の佐々木はまったくその場を立ち去る気配がなく、私は心から深くため息をついた。



=====



「――それで、何の用なんです?」


 本当に仕事が終わるまで待っていた佐々木を、仕方なく職場近くの居酒屋に連れていくと、佐々木は不思議そうに目を瞬かせた。


「それはこっちのセリフ。おまえが言ったんだろ、次回はオゴりますって。おまえのほうが俺を誘ったんだからな」


「別に誘ったわけじゃないです! 社交辞令ですよ社交辞令」


「何照れてんだよ」


 ――だめだ、まったく話が通じない。

 この場は諦めて、1~2杯付き合ったら早々に退散しよう。そう腹をくくると、私は冷酒とホタルイカの沖漬けを注文した。


 高級店しか行かなそうなヤツが、居心地の悪さに早く帰りたくなるように…という願いを込めて、あえて私が知る中でも一番薄汚い店へ連れてきたのだけど……。 意外にも佐々木は店の雰囲気にすんなり馴染んでいる。


「あ、俺も日本酒にしようかな。あと、おすすめのつまみ頼んで」

「自分で頼んでくださいよ、めんどくさい」

「本当に変わった女だな」


 佐々木はまじまじと私の顔を眺めてくる。ぶしつけな視線だが、初対面のときの値踏みするような目線に比べれば、それほど不快じゃなかった。


「佐々木さんも相当変わってますよ」

「そうか?」

「昨日あれだけ酷い態度をとった女と、よくもう一回会おうと思いましたね」


 冷酒をあおりながら言うと、佐々木はおかしそうに肩を揺すって笑った。


「いや酷いなんてもんじゃないだろ。おまえ、どういうつもりだったの。仮にも恋愛を前提とした“ご紹介”だろ? 気に入らない相手だろうと、多少は取り繕えよ。よく社会生活送れてるな」


 しかも相手は俺だぞ、と佐々木は偉そうに胸を張る。


「低収入のしょぼくれたハゲジジイが来たならまだしも、竹野内豊似のイケメン弁護士だぞ? あそこまで不快な態度をとられたの、初めてだよ」


「はぁ!? 竹野内豊さんを汚さないでくれます!? 全っ然似てませんから!!」


 ひとまず一番重要なところに突っ込んでから、私は佐々木を横目でにらんだ。


「まぁ正直言って、昨日の私の態度はひどかったと思いますよ。すみません」


「謝ってる態度か、それ?」


「でも、私は我慢ならないんですよ。それこそ“ご紹介”された相手に、ネコ100枚くらい被って別人格装ってる人間と、楽しそうに歓談しなきゃいけないなんて」


「別人格、って……」


 苦笑する佐々木だが、どうやら思い当たるフシはあるらしい。


「自分の本心を見せない相手との会話って、嫌いなんです。なんの実りもないから。時間の無駄になりそうだなと思ったので、あなたを怒らせて早く解散しようかと」


「なるほどね」


 言葉少なにうなずいて、佐々木は自分の日本酒を口に運んだ。カウンターに並んだ彼の彫りが深い横顔は、確かに俳優の誰かに似ている気がした。

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