第4話 会食


 外資系ホテル最上階の、初見ではとても読めない難解な名前のフランス料理店にて、私は弁護士の佐々木雄吾と向き合って、苦痛な会食を続けていた。


 その後も、お酒を飲みかわしながら、佐々木氏はあらゆる角度から“口説いてる風”のボールを打ちまくってくる。


「冴子さんって司書をなさってるんですよね? 知的で素敵なお仕事だなぁ」


「はぁ」


「僕は弁護士なんですけど、最近独立して、自分の事務所を構えたばかりなんです。ここ数年独立の準備で忙しくて、恋愛沙汰から遠ざかっていて……。やっと落ち着いたところなんですよ。もういい年ですし、やっぱり将来を見据えてお付き合いできる方と出会えたらいいなって」


「へぇ」


「趣味は海外旅行です。僕、こう見えてバックパッカーしてたんですよ。思い付いたらすぐエアのチケット取っちゃうタイプでした。でも今は、ゆっくり高級ホテルに泊まる楽しみもわかってきましたね」


「ほー…」


 はいはいはい、相手の職業を真摯にほめる & 仕事を頑張ってるボク自慢 & 恋愛に対して真面目でそろそろ落ち着きたいアピール & 女性の大好物である「海外旅行×高級ホテル」をちらつかせる技のコンボですか。


 あらゆるテクニックを詰め込んで、完全にルーティン化された“ぼくのかんがえたさいきょうのデートトーク”を披露されている気分。あー、くだらない。


「あ、ちなみに食べ歩きも趣味で。ジャンル問わず、美味しいお店を開拓するのが好きなんです。このお店も弁護士の先輩に教えてもらったところで、プライベートで来たのは初めてなんですよ」


 絶対うそだろ。毎回この店初回デートに使ってるだろ。さっき支配人が目線で挨拶してるの見えてたから。


「最近料理にもハマッてるんですよ。始めると凝りだすほうで、このあいだパエリア鍋なんか買っちゃいました。まだ一回も作ってないんですけどね」


 今度は女子が喜ぶ男性の趣味第二位(※私調べ)の料理を持ち出してきましたか。さらに、話にオチをつけて“完璧すぎないオチャメな僕”もアピール、と。

 こんなペラッペラなトークで、よく今まで女性を落とせてきましたね。



「……冴子さん、僕の話つまらないですか?」


 「はぁ」とか「へぇ」としか言わない私に、デザートが運ばれてくる段になってとうとうしびれを切らしたのだろうか。眉間をピクピクと震わせて、はじめて不快感を表に出した佐々木氏がストレートに聞いてきた。


 適当な相槌だけを返しながら飲食に集中していた私は、すでに10杯目になる赤ワインをぐいっと飲み干し、大きくうなずいた。


「そうですねぇ、おもしろくはないですかね」


 ピクピクッと、彼の眉が怒りに痙攣しているのがわかる。


「そうですか……じゃあ、冴子さんのおもしろい話を聞かせてくださいよ。ずっと僕ばかりに話させてますよね?」


「私、お笑い芸人じゃないんで。あなたと違ってそんなに持ちネタないですよ」


「俺だってお笑い芸人じゃねーよ!?」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、恋愛マニュアルロボット・佐々木が一気に人間へとスイッチを切り替えてきた。


「さっきからぶすーっとつまらなそうにしやがって! 良い年してお姫様のつもりか? 男のエスコートに任せるしかできないのか? だから行き遅れるんだよ」


 ――こちらが本性のようだ。

 私は、思わずニヤリとしてしまう。そうそう、こっちのほうがずっと面白い。


「あなた何歳でしたっけ? 38歳ですよねぇ。売れ残りはお互いさまでしょ?」


 ぐッ、と佐々木が言葉に詰まるのを見て、私は一気に畳みかける。


「しかも、今までの会話がエスコート? 言葉の定義おかしくないですか? こっちはあなたの恋愛マニュアルトークの暗唱を延々聞かされて、座ってるだけなのに疲れ果てたわ」


「な、な……マニュアルって……」


「だいたいこのお店のチョイス、おかしくないですか? 初対面の相手と高級店で食事なんて、気を使いすぎて全然楽しめないでしょ。財力を見せつけたかった? 良い店知ってるアピール? しかももう何回も初回デートに使ってるのバレバレですけど」


 佐々木某の目が、怒りですっと細まる。ボルテージが上がりきったようだ。


「そんなにこの店が気に食わないなら、俺が店名を連絡した時点で言えばいいだろ? そうしなかった理由は二つしかない。俺の“エスコート”に丸乗っかりしたってことか、もしくは結局あんたもこの店に来てみたかったってことだよ」


 弁護士らしく冷静な口調で並べ立ててから、佐々木はフンっと鼻で笑う。


「そして俺がこの店を毎回デートに使ってるかどうかは、本旨からまったく論点がずれてるから、この場合は無視する」


 私はわざとらしくパチパチと拍手を送った。


「さすが弁護士先生ですね、説得力ありすぎて気絶しそう。その論法でさぞかしモテてきたんでしょうね、なぜか今独身ですけど」


「学生時代から女は途切れたことないけど? だいたい結婚だって、俺はあんたと違って、しようと思えばいつでもできたんだよ。ただ仕事を優先していただけ」


「その結果が今でしょ? 今の状態だけ見たら、私たち完全にどっちもどっちですから。あなたに見下されるいわれはないですね」


「別に見下してない。同情してるだけだ。一生独身だろうなって」


「まったく同じ言葉をお返ししますよ。あなたこそ、一生独身でしょうね」


 佐々木の漆黒の瞳がさっと燃え上がり、口元が意地悪くゆがめられた。待ち合わせ場所へ颯爽と現れた、あのいかにもエリート然としたやり手の弁護士など、今は跡形もない。


「だとしても、あんたの独身とはまったく実態が違う。雀の涙の給料で老後まで苦しむあんたと違って、俺の年収、軽く三千万超えてるからな」


「あっ、さっきは司書の仕事が素敵とか言ってたのに、結局見下してますよね? 年収でしか自分の価値を相対化できないんでしょ? 表面だけ好青年ぶるところからして、自分に自信がない証拠ですよ」


「そういうあんたはあれだな、横柄な態度を“飾らない自分”と取り違えて、“本当の私の価値をわかってくれる王子様”を待ち続けて周囲からドン引きされてるタイプだ」



 ……その後の記憶は、正直言ってあまりない。二人ともかなりの量のお酒を飲んでいたし、言い争いがヒートアップして興奮していたと思う。


 途中からは、支配人らしき店員がお水を替えるふりをして何度も様子を伺いにくるようになったので、私たちは申し合わせたように声のトーンを落とし、笑顔を貼りつけながら幼稚な口喧嘩を続けた記憶がある……大人げないことに。


 最終的に会計の支払い方で揉めて(「あなたにだけは奢られたくない」と万札を突き出した記憶もある)、「誘ったんだから俺が払う」と強硬に主張する佐々木に押し切られて結構な金額を奢ってもらい、売り言葉に買い言葉というのか、「借りがあると思うと気持ち悪いのでお歳暮か何か送りたい」というようなことを主張して、大爆笑した佐々木から「じゃあ次回はあんたがオゴってよ」と言われた気がする。


 次回なんてあるわけないと思ったけど、何て言い返したかは忘れた。


 そして気が付けば、私は独身荘の共用リビングで、フローリングに顔を押し付けるようにうつぶせになって爆睡していたのだった。

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