第3話 最悪の出会い


 恵理のお節介な“ご紹介”により、弁護士・佐々木雄吾氏と食事をすることになった、当日。


レストランのホームページによると、ドレスコードは“スマートカジュアル”。なんだそれは。スマートなのかカジュアルなのかハッキリしてくれ。

 直前まで結婚式用のフォーマルなワンピースを着ていこうか散々迷った挙句、結局「どうにでもなれ」という気持ちで見すぼらしくないレベルのシンプルなワンピースにパンプスを合わせて、私は現場に向かった。


 ――それにしても、気が重い。


 家を出る寸前、“独身荘”の入居者たちに慣れないワンピース姿を見とがめられ、散々アドバイスの皮をかぶったイジリにあって、私はすでに疲れ果てていた。


 やれ「デートにしては地味だ」だの「顔色が暗く、老けて見える」だの「スッピンでデートは鬼畜の所業」だの、皆、容赦なさすぎ。――ていうか、メイク、一応してるし。

 宮村に至っては、「その喪服みたいなワンピが勝負服ですか!? 冴子さん、ヤバいっすね!」と、人一倍でかい声で騒ぎ立ててくれた。


 私は重い体と心を引きずるようにして、これまでの人生で一度も縁のなかった外資系のクソ高そうなホテルへと足を踏み入れる。

 ドアマンがうやうやしく開けてくれた扉から、豪華な装飾で目がくらみそうなロビーに入るなり、ふわっとデパートの化粧品売り場を思わせる香りに包まれた。


 ――ま、迷子になりそう。


 近くにいたベルボーイに、しどろもどろにレストランの名前を告げると、にこやかにエレベーターへと案内された。

 必要最低限の化粧と、ただバレッタでまとめただけの髪。エレベーターの鏡に映る自分を見ていると、これから場違いな場所へ出向かなければならない億劫さで、自然とため息が漏れる。



 お店のエントランスで、慇懃な態度の店員に予約名を告げると、東京の夜景を一望できる窓際の特等席に案内された。

 集合15分前に到着したこともあり、まだ相手は来ていない。少しだけホッとして、私は店員が引いた椅子にぎこちなく座った。


 それにしても、豪華なレストランだ。照明は暗くおさえられ、各テーブルには生花を飾った花瓶とろうそくがおかれている。――もちろんフェイクのLEDライトではなく、本物の火がついてるやつ。


 ぐるりと店内を見回すと、いかにもエリート的なサラリーマンたちが会食していたり、妙齢なマダムの一団が女子会していたり、妙に金回りのよさそうな若い男がモデル級の美女とデートしていたりと、なかなか面白いお客さんたちが席を埋めていた。


 そして、間もなくこの場に「いい年して独身の変わり者弁護士と、行き遅れた地味な司書」という奇妙な組み合わせの2人が加わることになる。


 ――切実に、このまま相手がドタキャンしてくれないかなと思う。



 しかしそんな願いもむなしく、手持無沙汰に分厚い本のようなメニューをめくっているところへ、お相手である佐々木雄吾氏が颯爽と現れた。


「お待たせしちゃってすみません」


 低い声がして反射的に振り返ると、ちょっとびっくりするくらいのイケメンが、上質なネイビーのスーツに身を包んで立っていた。


 年齢を感じさせない管理された体型、ビシッとジェルで整えられた髪、軽く日焼けした肌、きりっとした眉に彫りの深い顔立ち……。何もかもが、私の苦手とする要素だ(念のため言っておくと、私の好みは、色白ガリガリのサブカル系メガネ男子である)。


「いえ、私も今着いたところです」


 当たり障りのない返答を返す私を、気づかないほど一瞬だけど、佐々木氏がちらっと全身チェックしてきたのがわかった。――男が女を値踏みするときに見せる、下心と残酷さが同居する目つきだ。

 間違いなく失望したであろうに、佐々木氏はさすがの精神力で、負の感情はおくびにも出さずにっこりと白い歯を見せて笑う。


「佐々木雄吾と申します。今日はお時間いただきありがとうございます」


 まるでビジネスの会話だ。私は引きつらないように苦労しながら、笑顔を返す。


「遠藤冴子でございます。こちらこそ、貴重なお時間頂戴しまして…」


 恐悦至極です、と言おうとしてやめておいた。さすがにあからさますぎる。

 佐々木氏はぴくりと眉をあげて、しかし何事もなかったかのような涼しい顔で私の向かいに座った。


 ガラス越しに薄暗くなりはじめた大都会・東京の風景を背にした彼を、改めて正面から見ると、文句のつけようのない美男子だ。1ミリのスキもない。

 スーツの襟には、黄金の弁護士記章がキラリと光っている。まさに人生勝ち組って感じのたたずまいだ。


 ――あー、恵理のやつ、よりによってこんな恋愛ヒエラルキーの頂点に立つような強者を、なんで私みたいな戦力外通告受けた老兵に紹介してくるかなぁ……。

 どう考えても釣り合ってないし、お互いのニーズに合ってない。


「お酒は飲まれます? よければシャンパンでも」


 佐々木氏から、スマートにグラス1杯2500円もするシャンパンをすすめられて、私はなんだかアホらしくなってきた。


 お互いに「異性としてナシ」判定はすでに済んでいるというのに、これから双方にとって何の得にもならない、非生産的なディナーが始まる。それなのに、この男は最後までこの調子でやりきるつもりだろうか。


 そもそも店選びのチョイスがおかしい。まだ気が合うかどうかもわからないのに、いきなりフルコースのディナー? 海外ドラマの見過ぎじゃないの?

 さしずめ、私は「華麗なる独身弁護士・佐々木雄吾のキラキラ東京ライフ」のモブキャラってところか。


 そもそも、この年になると、こってりフランス料理のコースはキツイっつーの。日本酒持ってこい、日本酒を。


「そうですね、私ザルなんで最初から強いの行っていいですか? ウイスキーにしようかな」


 開き直ってそう言うと、佐々木氏は意思が強そうな黒い目をキラリと光らせた。


「どうぞどうぞ。じゃ、僕も遠慮なくシャンパンのボトルにします」


 佐々木氏はさっとウェイターを呼んで、飲み物と一番値段の張るコース料理を注文した(ウナギ屋の松・竹・梅でいう松だ)。そして、にっこりと私に向きなおる。


「いやあ、嬉しいな。お酒を気兼ねなく飲める方とご一緒できて。恵理さんのお友達なんですよね?」

「そうです。恵理の行き遅れの友人です」


 真顔で答える私に、一瞬佐々木氏は面食らった顔をして、それから何事もなかったかのように微笑む。


「……さすが恵理さん、本人だけじゃなくお友達もお綺麗なんですね。信一郎にはもったいない、できた奥さんだなぁ」

「どうでしょうね。人間の顔なんてどれも五十歩百歩ですよ」


 あからさますぎるお世辞に、憮然として答える私。

 数秒、間が開いた。――しかし、次の瞬間には、また佐々木の顔に愛想笑いが広がっていく。


「……冴子さんって、天然と言うか、面白い方ですね!」


 アハハと快活に笑う佐々木氏を、私はしらけた気分で見つめていた。

 なんだこの営業マシーンみたいな男は。まるで人間味を感じない、サイボーグみたいなやつだ。


 こうして、“いい年して独身の変わり者弁護士”と、“行き遅れた地味な司書”の、世にも奇妙なディナーが始まったのだった。

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