義とは心の拠り所だから 御館の乱篇 外伝

檀ゆま

短編 堀江宗親

北条丹後守が深手を負って館までどうにか辿り着いたのはほんの数ヶ月前、だのに随分と昔の事のように感じる。


「お前はここを出るといい」


あの方は、丹後守の亡骸を虚ろな目で見下ろし、こちらをちらとも見ずに、小さく言った。

その姿は見てはいけない神聖な何かのようにも感じて目を逸らした筈なのに、今でも目に焼き付いて離れてくれないのだ。


まだ雪の残る鮫ヶ尾城から、春日山城はよく見える。

端正な横顔のこの方は何を思って春日山を眺めているのだろう。


どうしてこんな事になったのか。

どうして私はこの方の傍に居るのか。


上杉景勝から開城しろと通達は来ていたが返書はしていない。

忠義心などというものが己にあるなどとは思わない。

御実城様から信濃の国境を任されたことを誇りに思っているなどと嘯いてはいるが、心の底では面倒なことだと思っていた節さえあった。

既に斬られたと噂に聞く前の関東管領にすら、愛想笑いを浮かべて適当な言葉を吐いていた。

それでももういないのだと思うと、喉仏の奥に重たい痼を感じずにはいられない。

表情がコロコロ変わるあの幼い若君は、もう斬られたのであろうか。

館からこの城へ逃げ延びる際に亡くなったのだという、この方の奥方、つまり上杉景勝の姉君もどのような心中であったのだろう。


「駿河……」

「はい」

「景勝から何か言われているだろう。いいんだ、もう、いいんだよ」


その横顔から、感情を読むことは出来ない。

そもそもこの方の感情を理解できたことなど一度たりともないのだ。


裏切って仕舞えばいい。

とっとと開城して、この方の首級を差し出して仕舞えばいいのだ。

それは決して不義ではない。


そうは思うのに、身体が重く、相変わらず喉の奥の痼が重くて唾を飲み込むことすらできない。


死にゆく丹後守を抱きしめたこの方の瞳から涙なんてものは流れていなかった。

けれど、全身で涙を流しているのが分かった。

この方は、きっと、自分自身ですら己の感情が解らない鈍感な方なのだ。

だから私が裏切っても、傷ついた事にすら気付かないのだろう。


「私も、もういいのですよ」



遠く春日山城を臨みながら美しい横顔で彼は呟く。



「そうか」



どうせこの城は落ちる。

それでもこの横顔に寄り添いたいと思ったのだ。

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