面従後言

三鹿ショート

面従後言

 私と恋人は、同じ種類の人間である。

 秀でた能力も無く、他者から虐げられる日々を過ごしているために、我々は自分たちがどれだけ傷つけられているのかを互いに理解することができるのだ。

 ゆえに、我々が親しい間柄と化すことは、不思議なことではなかった。

 今日もまた、我々は、自分たちを虐げている人間たちに対する恨み言を吐きながら、慰め合った。

 相手に服従しながらも、その姿が存在していない場所で陰口を吐くなど、いかにも弱々しい人間の行為だが、我々を虐げている人間たちに対して、直接不満を口に出してしまえばどうなってしまうのか、火を見るよりも明らかだったために、このようにして日頃の鬱憤を晴らすしかないのである。


***


 学生という身分を失ってからも、私と恋人との関係は続いていた。

 我々を虐げていた人間たちから解放されたために、これ以上は無いほどの幸福な日々を過ごしているとも言うことができるが、私の内心は穏やかではなかった。

 それは、恋人の変化に理由が存在している。

 私の恋人は、明らかに美しく変化していたのだ。

 虐げられる日々から解放された影響なのかどうかは不明だが、今では道を歩けば必ず異性が振り返るような存在と化したのである。

 それでも恋人は、これまでと変わらぬ態度で私に接しているのだが、私はそれを信ずることができなかった。

 何故なら、これまで虐げられた人間たちを前にすれば服従し、その姿が無い場所では陰口を吐いていたという我々の表と裏の様子を思えば、私を裏切りながらも愛している演技をしているという可能性が存在しているからだ。

 苦楽を共にしてきた恋人を疑いたくはないのだが、そのように考えてしまうほどに、私の恋人は佳人へと化していたのである。

 ゆえに、私は恋人の友人である彼女に対して、私の目が存在していない場所での恋人についての情報を集めてほしいと頼んだ。

 単純に、私が嫉妬深い人間だというわけではなく、これまでの私と恋人の言動について説明した上での依頼だったためか、彼女は口元を緩めながら首肯を返してくれた。

 謝礼について訊ねると、彼女は時折食事を共にしてくれるだけで良いと告げた。

 そのようなことで良いのかと問うたところ、彼女が迷うことなく頷いたために、私がそれ以上追及することはなかった。


***


 彼女から伝えられる恋人の情報は、私の不安を裏付けるようなものばかりではなかった。

 だからこそ、私の杞憂だったのかと結論づけようとしたのだが、状況は一変した。

 彼女が私に見せてきた写真の中では、とある男女が笑顔を浮かべながら手を繋いでいた。

 それだけではなく、二人が宿泊施設の中へと消えていく姿と、宿泊施設の中から出てくる姿もまた、写っていた。

 私の恐れていたことが、現実のものと化した瞬間である。

 写真を手にしたまま言葉を失っている私に対して、彼女が声をかけてきた。

「あなただけが苦しむ必要はありません。恋人があなたを裏切っているのならば、あなたもまた同様の行為に及んだとしても、責められることはないでしょう」

 その言葉を聞いて、私は彼女に目を向けた。

 彼女は顔を赤らめ、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、私の膝に手を置いた。

 恋人を裏切るなど考えたこともなかったが、私もまた同様の行為に及べば、互いに裏切り者と化すために、結果として、対等の立場となるのではないか。

 私は、彼女からの誘惑に負け、そのまま宿泊施設へと向かうことにした。

 これは、恋人に対する報復と同時に、必要な行為なのである。


***


 彼女と関係を持ってから、恋人を前にしたとしても、私が動ずることはなかった。

 私だけが裏切っているのならば、罪悪感によって言動に影響が生ずるだろうが、私と恋人が互いに裏切っていると分かっているために、神経質になる必要はなかったからである。

 やがて、我々は結婚し、そして、子どもも誕生した。

 子どもについては、然るべき調査をしたために、私の子どもであるということに間違いはなかった。

 それでも、彼女との関係は終焉を迎えていない。

 彼女から、私の妻が未だに同じ相手と関係を持っているということを伝えられていたからである。

 ゆえに、これは心の余裕を得るための、必要な行為なのだ。

 ただ、子どもには申し訳なく思ってしまう自分が存在していた。


***


「あなたも、物好きですね。未だに関係を持っているとは」

「好意を抱いている相手ですから、当然のことでしょう」

「ですが、彼ももう父親なのですから、子どものためを思えば、関係を続けてほしくはないということが本音です」

「それは、叶わぬ願いですね。そもそも、あなたが彼を裏切らなければ良かった話です」

「一度だけの過ちです。一生、同じ男性のことしか知らないというのはどうなのかと思った上での行為でしたが、結局、彼を選んだことに間違いは無いと気が付くことができたのです」

「では、それを正直に伝えれば良いのではないですか。そうすれば、私は彼との関係に終止符を打ちましょう」

「残酷なことを言うものです。そのようなことをしたとしても、私が最初に裏切ったという事実に変わりはありません」

「結局のところ、我々は今の関係を維持することが一番だということなのですよ」

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面従後言 三鹿ショート @mijikashort

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